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二度目に目覚める時

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 そして、そのコマ送りの原因が、もっと恐ろしいことに端を発していることにも気付いていない。普段感じたことのない思い、いや、感じたことがあったのかも知れないが、一瞬にして否定してしまった思いがそこにはあるのかも知れない。
 昇は、その日、駅を離れたのは、
――今日はこのまま帰るのがもったいない――
 という思いだけだと感じていたが、本当は何かの予感めいたものがあったということに気が付かずにいた。その予感めいたものが、人との出会いというだけではないことが、気が付かなかった理由の一つになっていたのかも知れない。
「せっかく会ったんですから、ご一緒しませんか?」
 思いもよらぬ誘いに、笑顔を隠すことのできない昇は、
「ええ、いいですよ」
 と、願ったり叶ったりの思いを隠そうとはしなかった。
「この近くに私の知っているお店があるので、行きましょう。バーのような雰囲気なんですが、落ち着いて飲めるし、食事もなかなかですよ」
 バーというと、今までに一度も入ったことがない。一人で気軽に行ける店もあるという話を聞いたことがあったが、今までは焼き鳥屋か、炉端焼き屋が性に合っていると思っていたのだ。
 綾は、昇の手を引いて、まるで引っ張るように歩いた。
――別に店が逃げるなんてことあるわけないのに――
 と、彼女の態度に少し驚いたが、どこか微笑ましさを感じ、手を引っ張られるのも悪くないと思っていた。
 綾が連れてきた店は、少し奥まったところにあったので、まるで隠れ家のような店を自分の馴染みにしてみたいと思っていた昇としては、これも願ったり叶ったりで、嬉しく感じていた。まわりはスナックが多い中で、知らない人は、ここもスナックではないかと感じるだろうと思うと、最初からバーだと思っている自分は、何か得したような気がしてくるから面白かった。
 店の扉を開けると、足元に一瞬寒気を感じ、思わず足元を見下ろしたが、白い煙が抜け出したように思えた。
――まるでドライアイスのようだ――
 と、感じたが、それも一瞬で、すぐに暖かさが戻ってきた。
 暖かさが戻ってくると、最初に感じた寒気は、足元ではなく、背筋に感じたものだったことに気付くと、足元の煙が何だったのか、考えてしまった。
「どうしたの?」
 いつまでも足元を見つめている昇に対し、きょとんとした表情を向ける綾、その顔にはあどけなさが残っており、
――この表情を、俺は好きになったんだっけ?
 と、今さらながらに、綾が気になった時のことを思い出していた。
 元々、綾のことが気になったのは、綾が仕事にも慣れてきた頃のことだった。それまで綾のことを年上だということで遠慮していたが、駅で声を掛けられた時に見せた表情に屈託がなかったことで、意識し始めたのだ。
――会社の中と、外とでは、こんなにも違うんだ――
 今までなら、会社と外で違う雰囲気の人はあまり好きになれないと思っていたが、綾は別だった。いや、本当は会社と外とでの違いを意識する必要などなかったことを、綾から教えられるまでもなく分かっていたのかも知れない。それでも、綾から教えてもらったと思うことで、綾に対しての感情を深めることができるのであれば、それはありがたいことだった。
 ただ、駅のホームで見たあどけない表情の綾のことが気になったのだとずっと思ってきたが、実はそうではなかった。本当に気になっていたのは、会社の中にいる綾のことで、その思いがあるからこそ、社内恋愛について考えてしまう自分を気にしていたのだった。
 会社内での綾は、いつも毅然としていた。最初はあまり表情を変えないのは緊張からなのだろうと思っていたが、そうではなかった。二か月経っても三か月経っても、仕事に慣れてきていたのがハッキリと分かっている綾だったのに、雰囲気もまわりに対する態度も変わることはなかった。
――他の人は綾をどう見ているのだろう?
 と、他の人の目を意識したことがあったが、それは取り越し苦労だった。他の人は綾のことなど眼中にないようだ。特に、自分のことだけに精一杯の人ほど、綾を意識することはなかった。逆に意識させないことが、まわりに対していいことなのかも知れないと思えるほど、綾は表情を変えなかった。
 あどけない表情も悪くはないが、ポーカーフェイスの綾を、昇は最初に好きになったのだ。
 だが、その時のことを思い出そうとすると、どうも霧が掛かったかのように、ぼやけてしまうのは、その印象もだいぶ前に感じたことのように思うからだろうか。今回は、前のことのように思えるだけではなく、違った目線から見ているように思えてならない。その思いは身長が高いはずの自分が、女性を同等の高さで見ているほど背が低くなったかのような錯覚を感じたからである。これは完全なる違和感であった。
 会社でしか見たことのない綾だったが、外で見ると、また違った趣がある。会社ではここまで無表情ではないと思っていただけに、表で見せるこの表情は、女性では珍しい凛々しさを思わせた。
 あどけなさを感じさせたり、凛々しさを感じさせたりと、綾は不思議な女性だった。本当に同一人物なのかと思わせるほどの表情の違いに、どちらも前から知っていた表情に思えたのだった。
 綾に対して凛々しさを感じている今、昇は普段の自分ではないような気がしていた。普段なら、バーなどに立ち寄ると、その雰囲気だけに飲まれてしまうほど、普段から立ち寄らないところに近づくのは苦手だった。しかし、その日は普段とは違い、バーの雰囲気に懐かしさを感じるほどだった。
 懐かしさと言っても、かなり以前に感じたものではなく、最近感じたかのように思えたもので、その時のことを思い出そうとすると、またしても、霧が掛かったかのようにおぼろげにしか思い出すことができないようだった。
 その記憶が自分にあったものではないように感じたのは、バーの中に、自分が知っている人がいたからだ。その人は一人で呑んでいたのだが、昇に対してまったく反応を起こさない。
 気が付いていないわけではない。目線が合って、お互いに見つめ合ったのにである。親友というほどでもないが、顔を合わせて無視するほどの水臭い間柄ではない。昇は自分が金縛りに遭ってしまって身体が動かないのを感じていたにも関わらず、相手は身体が軽そうに見えた。にこやかな表情を見ればそのことは分かりそうなもので、その人がこちらに気付いていないのか、謎であった。
――自分のさらに向こうを見ているようだ――
 まるで昇の身体が透けているのかも知れない。その存在を意識することもなく、顔を確認できたわけでもない。ひょっとすると、それまで意識の外にいた綾を最初に意識したのは、その時だったのかも知れない。
 昇は、自分がそれまで意識していなかった人を急に意識し始めることがあった。それは何かのきっかけがあったからなのだろうが、いつも気が付けば意識するようになっていたという思いだけが残っているだけで、いつから意識し始めたのか、そのターニングポイントを感じることはなかった。
――ちょっともったいない気がするな――
 だから、忘れっぽいのかも知れない。
作品名:二度目に目覚める時 作家名:森本晃次