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二度目に目覚める時

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 そのビックリは、彼女も自分の学生時代と同じような経験をしたことがあるというものと、もう一つは、自分が駅のホームに対して意識が飛んでしまうのではないかという思いを抱いた瞬間に、彼女がビックリするようなことを口にしたということは、まるで昇の気持ちを察しているからなのではないかと思えるところがあったからだ。同じような経験をしたというよりも、むしろ自分の気持ちを見透かされているのではないかと思うことの方が印象に残ってしまった。
――こっちの方が稀なはずなのに――
 と感じているにも関わらずである。
「また、あなたとは会えそうな気がする」
 というと、
「今までにも実は何度も見掛けているのかも知れませんね。これだけ人が多いので、気付かなかっただけで、でも、ゆっくりお話してみたい気がします」
 その日は彼女に用事があるということで別れたのだが、近い将来会えることは間違いないと思っている昇の心境は、紳士的になっていた。
「せめてお名前だけでも」
 と、昇がいうと、
「香坂ゆりかと言います」
「ゆりかさんですね。いいお名前です」
 ゆりかという名前の人に知り合いはいなかったが、それだけに新鮮だった。会社の外で出会ったことで、それまでの自分と違う自分が発見できそうな気がして、少し嬉しく思う昇だった。
 ゆりかと別れて、少しウキウキした気分になった昇は、そのまま電車に乗るのが何となくもったいない気がして、踵を返して、駅から表に出てきた。お腹が減っているのも事実だったので、何かを食べて帰ろうと思ったのだ。
 どうせ部屋に帰っても一人なだけだ。普段はそれでもいいと思っていたのだが、その日は久しぶりに部屋で一人になることがもったいなく感じられた。ただ、どこに行っても一人であることには違いないが、少しでも普段と雰囲気を変えてみたいそんな日だってあるのだった。
 駅を出ると、会社とは反対方向に歩き始めた。駅のロータリーを抜けると、その向こうの大通りは、河川敷に面していた。会社のある駅は、各駅停車しか止まらない駅ではあるが、それでも、乗降客は少なくはない。会社がたくさんあるわけではないが、バスに乗っていく距離のところに住宅地があり、都会への通勤通学にはちょうどいい距離ということもあって、駅前は結構整備されていた。
 河川敷も遊歩道になっていて、日が暮れても街灯が明るいので、散歩している人も少なくないと聞いていた。まだ日が暮れると寒さが残っているが、それでも散歩やジョギングしている人はいるようで、歩いてみると、何人もとすれ違った。
 ちょうど、風がなくなっていて、寒さを感じることはなかったのもありがたかった。しばらく河川敷を歩いてから大通りに抜けると、その奥にある飲み屋街が見えてきた。
 風がなく、寒さを感じないとはいえ、飲み屋街からの香ばしい香りは鼻だけではなく、全身をブルッと震わせる効果があった。
 引き寄せられるように飲み屋街に入り込むと、今度は匂いよりも、赤提灯のような明るさが目立つのを感じた。
――夜になると、色ってハッキリと見えるんだ――
 前から感じていたことのはずだったのに、その時、今さらながらに感じたのだった。
 赤提灯の赤い色をじっと見ていると、一瞬字がぼやけて見えてきたように感じたが、すぐにクッキリと見えて、それからもうぼやけることはなかった。その日は、会社を出るまで結構疲れていたはずなのに、完全に日が暮れてしまうと、それまでの疲れがウソのように、
――これから、新しい一日が始まるような感じがする――
 と思えるほど、疲れはどこかに飛んでいっていた。
 ただ、初めて来たはずなのに、どこか懐かしさが感じられ、ゆっくりと人通りもまばらな飲み屋横丁を歩いてみた。
「だ〜れだ?」
 後ろから、声がしたのと同時に、暖かい手の平が後ろから昇の目を塞いだ。こんな茶目っ気のある「遊び」は小学生以来のことで、一瞬戸惑ってしまったが、悪い気はしなかった。ちょうど、歩いている横丁に、小学生の頃出掛けていった縁日を思い起され、想像の延長とも思えるような演出も、楽しみに感じられた。
 声に聞き覚えはあったが、誰なのか、すぐに想像がつかなかった。なぜなら、頭は完全に過去に舞い戻っていて、小学生の頃に一気に遡ったかと思うと、今度はゆっくりと時間を進めていく。
 中学生から高校生になっていくが、一向に立ち止まることはない。自分の思い過ごしであったかと思っていたその時、
「私ですよ」
 と言って、昇の胸に手の平を置いた。それで相手が誰なのか分かったのだ。
「綾ちゃん?」
 会社で二歳年上の、最近気になっているアルバイトの女性だった。入社が自分の方が先で、相手がアルバイトということもあり、親しみを込めて、
「綾ちゃん」
 と呼んでいたが、雰囲気もお茶目で、とても二つ年上などとは思えないほどの幼さに、ちゃん付けで呼ぶことに、違和感はなかった。
 綾は、抑えていた目から手を離すと、昇の正面に姿を見せた。普段の会社での雰囲気とほとんど変わらない様子に、安心感を持った昇だが、綾の屈託のない笑顔には、いつも癒されていることを、今さらながらに思い知った気がした。
「珍しいですね。春日さん。今日は一人で呑んで帰るつもりだったんですか?」
「駅まで行ってみたんだけど、急にこのまま帰るのがもったいないと思ってね。今までにはあまりなかったことだけどね」
 と口では言ったが、そういえば、以前にも一度、仕事が終わってまっすぐに帰る気にならずに、ここにフラリとやってきたことがあった。その時に一緒に飲んだ人と気が合って、もう一度一緒に飲みたいと思い、何度か来てみたが、その人と出会うことはなかった。相手の素性も何も聞いておらず、
――ここに来れば会える気がする――
 という根拠のない考えだったが、信憑性がなかったわけではない。それでもやはり会うことができなかったのは、きっと彼の方に何か事情ができたのではないかと、勝手に思っていた。
 それが今から三か月前くらいだっただろう。今から思い出せば、三か月くらい前だというのが妥当な感じがしていたが、思い出した瞬間は、まるで数年前くらいの出来事のように思えた。それだけ自分の中で忘れていたことなのか、それとも、その時だけが異常な数日だったというのだろうか。今まで、その数日がなければ、毎日を何も感じずに、ただ一日が平和に終わってくれればいいという程度の考えで日々を過ごしてきたことで、少しでも張りのある数日間というものが、自分の今までの生活の中で、特殊な日々だったのだろう。
 そんな日々を特別に感じてしまうと、いつのことだったのかという感覚がマヒしてしまう。それは、ずっと近くを見ていて急に遠くを見た時に感じる遠近感を失ったような感覚に似ているのかも知れない。
 ただ、それが最近よく感じる、電車を待っていて、ホームに滑り込んでくる電車の姿が、まるでコマ送りのように見える瞬間を想像させるものであることを、その時はまだ気が付いていなかった。
作品名:二度目に目覚める時 作家名:森本晃次