小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

二度目に目覚める時

INDEX|4ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

――どうして、そんなに自殺にこだわるんだろう?
 どうせ死ぬなら、自殺だろうが何だろうが関係ないような気がする。
 死ぬことの理由にこだわるのは、読んだ本の内容を意識しているからなのかも知れない。寝る前に本を読みながら、自分に当て嵌めて読んでいたので、夢にも出てくるのだし、死ぬことの理由にこだわってしまうのかも知れない。もっとも、どんな本であっても、読みながら自分に当て嵌めてしまうのは、今に始まったことではない。本を選んだ時から、夢を見ることや、死ぬことの理由にこだわることは、分かっていたことなのだろう。
 まだ読み始めて最初の方であったが、中途半端なところで読むのをやめたという意識はない。いくら寝る前で眠かったとしても、中途半端なところで止めてしまうと、気になってしまうのは分かっていることだ。
 ということは、ある程度、理解できるところまでは読んでいたに違いない。それでも、気になって夢に見るということは、その内容がよほど自分の中で理解できないことなのであろうか、それとも、読んでいたということを忘れてしまうほど、衝撃的なことなのだろうか。
 もし、後者であるとするならば、自分の考えとかけ離れているから衝撃的だというよりも、その逆で、自分の考えにあまりにも似ているほどの気持ち悪さが、衝撃的なこととして自分の中に残ってしまったことで、中途半端な気持ちのまま消化できない気持ちが悶々としたまま夢を見させたのかも知れない。
 どちらにしても昇には、意識の中に、自分のものではない何かが潜んでいるように思えて気持ち悪いと思っている。
 電車を待っていて、余計なことを考えてしまったことで、いつの間にか気を失ってしまい、気が付けば経ってしまった時間がどこに行ってしまったのか、また同じ場面に戻っていたのである。
――今日、何度目になるんだろう? 電車が滑りこんでくる光景を見るのは――
 と、駅員がこちらに向かって合図する姿を遠くに見ながら、滑りこんでくる電車のスピードが、最初に比べて速くなってきていることに昇は気が付いていた。
――スピードが速くなってきているというよりも、あっという間に目の前に電車が来ていたと言った方が正解なのかも知れない――
 コマ送りのように、一瞬電車の動きが止まったかと思うと、次の瞬間には、半分くらいまで来ていて、同じようにまた動きが止まると、目の前に電車の顔が迫っていた。瞬きをしたわけでもないのに、まるで瞬きの瞬間、時間のコマがいくつか飛んでしまったかのようだったのだ。
 コマ送りの映像が目の前を駆け抜けた時、さらに思い出したのが、中学の頃の記憶だった。
 あの時も同じくホームに電車が滑りこんでくる光景だったと思う。もちろん、同じホームだったというわけではなく、まわりの光景も目の前の光景も、記憶とは隔たりがあった。少なくとも、ラッシュ時のホームだったという記憶ではない。
 あの時は逆に、ホームで待っている人はいなかったような記憶がある。まったくいなかったわけではないのだろうが、誰も、黄色い線に沿って待っていたわけではなく、昇の視界に人が入ってこなかっただけのことであった。
 その時、風が吹いていたのを覚えている。吹いてきた風に煽られて、そのままホームに落ちてしまうのではないかという錯覚から、足元がふらついた。しかし、そんな思いをしたのは、その時だけで、今も昔も、黄色い線ギリギリに立つようにしている。なぜ、その時だけビビッてしまったのか、しばらくビビッていたことすら、忘れてしまっていたくらいだった。
 その時は、それまでの自分と違った感覚を持っていた。だから、見えないものまで見えていたのではないかというのが、今の気持ちである。それは、今の自分が普段とは違った感覚を持っていて、しかもそれは初めてではなかったことを示している。
 あの時に感じた思いは、
――小さいものが次第に大きくなって見えてくる――
 という、いわゆる「見た目そのまま」の意識だった。人間には遠近感があるので、近づいてくるという感覚を持つことができる。しかし、遠近感を感じなければ、大きさだけが残像として残ってしまい、立体感ではなく、平面的にしか見えていないことを悟るしかないのだ。
 中学の頃にも、平面的にしか見えていないという意識はあった。しかし、それが何を意味しているかなど、考えるつもりもなかった。その時に見えた感覚は、ただの勉強疲れのようなものだと自分に言い聞かせていた。ちょうど前の日も受験勉強で睡眠時間をだいぶ削っていたこともあって、疲れからだということにすれば、自分を納得させるには十分だった。
 一度納得してしまうと、後から理屈を考えるのは気が楽だった。いくらでも理屈を組み立てることができる。組み立てた理屈は、今度は気持ちの余裕に繋がってくるのが分かったからだ。
 その日にあったことを、しばらくの間忘れていた。その日の昼間、学校に行くと、友達が一人遅刻してきた。今までに遅刻などしたことのないやつだったので、少し気になったこともあり、
「どうして遅刻したんだい?」
 と聞いてみると、
「俺が悪いんだけど、いつも乗る電車と違う電車に間違って乗ってしまったんだ」
「どういうことだい?」
「間違って急行に乗ってしまったんだ。慌てて引き返してきたんだが、結局遅刻することになったんだ」
 急行電車に乗り間違えるなど、普通なら考えにくいことだった。なぜなら、自分たちが通学で使っている電車は、各駅停車と急行電車、特急電車とでは、電車の下部の色が違っている。各駅停車は青なのだが、急行電車と特急電車は赤い色なのだ。普通に見れば、乗り間違えることはない。自分たちの学校の最寄りの駅には、各駅停車しか止まらない。つまり、急行に乗ったということは、その時点で遅刻は免れなかったのだ。
「慌ててたのかい?」
「いつもより家を出るのが遅くなって、ギリギリに駅に着いて、ちょうど、目の前に入ってきた電車に乗ったんだけど、確かに俺は青い電車に乗ったと思ったんだ。でも、実際は急行電車で、おかげで二つ先の駅まで連れて行かれたよ」
「時間は?」
「時間も見計らって乗ったはずだったんだけど、電車が遅れていたのか、どうやら、一本前の電車だったようだ」
 自分の通学時間の出来事に比べれば、友達が電車に乗り間違えたということは、些細なことだった。他人事なのだから、些細なことだと思うのも当然であろう。しかも、同じ通勤時間でも、お互いの時間に共通性はない。それぞれに違った出来事だとして考えるのも無理のないことだった。
 しかし、今その時のことを思い出すと、どこかでこの二つの出来事が繋がっているかのように思えてならなかった。それは、今自分の意識が交錯してしまっているからだった。
――遅刻したというのは、本当は俺のことだったんじゃないかな?
 目の前に滑り込んできた電車を見た時、最初は青い部分が見えたのが分かっていたが、次第に大きくなってくるのを感じると、大きすぎて、下部にまで目が行き届いていなかったように思う。
――本当に各駅停車だったのか?
 と、言われれば、確認して電車に乗った意識はない。
作品名:二度目に目覚める時 作家名:森本晃次