二度目に目覚める時
恐れている気持ちがあるから「暗黒星」のようになっているということなのか、考えてみれば、保護色を使う動物というのは、その理由が、
――他の外敵から、身を守るため――
に備わったものではないだろうか。
亜季が自殺をしようとした気持ち、何となく分かるような気がしてきた。
――亜季は、信頼をおいていた誰かに裏切られたんだ――
と感じた。
それが男性ではないと思えていた。相手が男性であれば、亜季の性格からすると、自殺など考えないと思えたからだ。
男性に対しては、毅然とした態度を取っていて、決して相手に負けないという意志があった。これは女性に対しても同じだったが、相手が男性であるか女性であるかによって、明らかにその強さに違いがあるように思えてならなかった。
相手が男性であれば、自分に対して好きにならせることにある程度の自信を持っていたようだ。
「私を好きになってくれる男性以外、私は興味を持たないのよ」
と、以前笑いながら話していたのを思い出した。
最初は、何かの強がりなのかと思っていたが、考えてみれば、話の脈絡の中で、別に強がってみせる必要のないところだったはずだ。それなのに、強がっているように見えたのは、彼女が笑いながら話したということだけだった。それだけ亜季の笑顔には、「力」があり、その力は、同じ笑顔でも、微妙な違いがあったとしても、昇が感じるのは、大きな違いだったのだ。
「じゃあ、亜季が俺と一緒にいてくれるのは、俺が亜季を好きだと思っているということかい?」
「そうね、その通りよ」
というと、亜季はさらに笑顔を見せた。含み笑いであることは昇にも分かった。
「俺は確かに亜季のことを好きになっているようだけど、俺の方も、相手が俺のことを好きになってくれないと、それ以上の気持ちを表に出すことはしないはずなんだが、実際はどうなんだい?」
「私に答えてほしいの?」
本当は言葉で返してほしい回答ではなかった。そのことを亜季は分かっている。言葉で返してしまうと、信憑性が希薄なものになるからだ。せっかくのムードがぶち壊しになるというものである。
「いいや」
昇は、亜季に言葉で返してもらうことを拒否した。それはもちろん本心からだが、この時が二人の気持ちが一番接近した時だったのではないだろうか? それからしばらくして二人は離れ離れになった。そして、亜季が自殺未遂をしたことを知ることになるのだった。
ゆりかと付き合って行くと、今度は自分が亜季のようになり、ゆりかが以前の自分のようになるのではないかと思うようになっていた。それは、自分がいずれ自殺するようになり、ゆりかが、自分の気持ちに正直になれずに苦しむような人生であった。
――これは悲惨な結果を招きそうな気がする――
ゆりかとは一緒にいない方がいいのではないかと思うようになっていたが、ゆりかも、そんな昇の気持ちが分かっているようだ。
すでにゆりかの目は昇の中に博を見ていない。昇もしばしの間だけ自分の中に博らしき男がいたような気がしていたが、今はまったくそんな気持ちはない。それは自分にS性を感じるようになってからのことだった。
亜季と、バーで会ってからは会っていなかった。半月という歳月がどのようなものだったのかというのは、亜季に出会ってしまうと、それまで感じていたことがあったとしても、まったく違った感覚に陥るような気がして仕方がなかった。
亜季が昇の前に姿を見せたのは、朝の通勤時間だった。
いつものように朝の通勤時間、駅のホームで滑りこんでくる電車を見ていた。
思わず飛び込みたくなるような衝動に駆られることが多くなったと感じていた矢先のことだったが、その日は、朝から軽い頭痛に見舞われていたのだった。
頭痛はそれまでも時々あった。朝起きてから、頭が重たいと感じるのはしょっちゅうだったが、目が覚めるにしたがって、頭痛も収まってくる。だが、頭痛が続く時というのは、目が覚めた時から分かっていて、それだけに目覚めがその日一日で一番大切であるということも最近分かるようになった。
頭痛がするのは以前からだったが、目覚めの瞬間から頭痛が分かるようになったのは最近のことだった。それまでは頭痛がしても、そこまでハッキリとしたものが自分の中に存在しているわけではなかった。ただ、もう一つの考えとして、
――目が覚めた瞬間、一度ハッキリと目が覚めてしまい、さらにもう一度、眠気に戻り、目が覚めるまでに時間が掛かる。最初の一瞬を忘れているか、それとも最初の一瞬を覚えているのに、途中を忘れてしまうかのどちらかしか、記憶には残らない。それをまったく違うものとして理解しているのではないか――
と感じるようになっていたのだ。
亜季のことを考えていると、自分の目覚めを考えるようになり、目覚めの瞬間に、一度感じた、
――電車がホームに滑り込んでくる瞬間――
が、まるで正夢であったかのように、その日、亜季と出会うことは、最初から分かっていたような気がしていた。
――電車が滑りこんでくるという表現も面白い――
と感じていたが、それはホームが線路よりも高い位置にあり、高さで言えば半分くらいの位置にホームがあることで、滑りこんでくるという意識を持っているに違いないと思っているが、そのことを自覚しているかいないかで、ホームに滑り込んでくる電車に対して、どれほどの恐怖を感じるかが決まってくるように思う。
昇は以前、それほどホームに入り込んでくる電車を怖いと思っていなかった。しかし、途中から怖いと感じるようになったのは、昇が自殺者の気持ちを考えるようになったからだ。
――俺に自殺菌が入りこんだのかな?
と考えたのもその時で、自殺菌の存在を一度肯定して考えると、否定することができなくなってしまったのも事実だった。
だからこそ、自殺菌が入りこんでしまったという妄想に憑りつかれていたのだし、妄想は次第に慣れにつながって、
――入り込んでしまったのなら、共存していくしかないか――
と考えるようになった。
ホームに電車が滑りこんでくる瞬間が、考えてみれば、一番恐ろしい瞬間であった。自殺してもおかしくない状況で、しかも、自殺してしまいたくなる衝動に駆られるのも事実だった。
滑りこんでくる電車の顔が、いつも同じに感じられていた。確かに表情があるものではないが、光の当たり方などでも微妙に違ってくるものだと分かっているのに、なぜか、いつも変わりないと思えていた。しかし、たまに違った顔を見せることがあった。何か自分の中で心境の変化があると思うのだが、その時に自分の中にいる自殺菌が、表に出ようとしているのだと感じる。しかし、だからといって、自殺したくなる衝動に駆られるわけではない。ただ、そんな日は、自分のまわりが喧騒とした雰囲気になることが多かった。
自殺しないまでも、自殺未遂が必ずまわりのどこかで起こり、自分の耳に入ってくるのだ。聞きたくないことを聞かされるのは、やはり気持ちのいいものではない。
二度目覚めがあるということを感じた時、やはり、自分の中にもう一人誰かがいることに気が付いた。
――俺は、ゆりかのことが好きなんだ――
そう思ったのは、本当に昇なのだろうか?