二度目に目覚める時
結局それから一週間、祖母の意識は戻らないまま、帰らぬ人になってしまった。あまりにも突然のことで、誰もが心の準備ができているわけもなく、意識を取り戻さない間も、頭の中にあるのは元気な姿だけ、
「気が付けば、もうこの世の人ではなかったって感じだな」
誰からともなくそんな言葉が発せられ、誰もがその声に振り向くことなく、頷いているだけだった。この一週間は、長いようであっという間だった。人の命を削るには、十分な時間だったと言えるのだろうか。
祖母の死から一か月くらい経った頃だっただろうか?
フラリと出かけた休日に、一人気になる人がいた。その人は、前を見ているようでまったく前を見ていない。
ただ、都会を歩いていると、そんな人は少なくはないが、ボンヤリしていても、どこかに精気はあるというものだ。
しかし、気になる人はまったく精気がなかった。歩いていると言っても、惰性で前に進んでいるだけ、目的があって歩いているわけではないので、歩きながらフラフラしている。
――誰も気にならないのかな?
と思いながら見ていたが、
――ひょっとすると、あまりにも近くにいると、その人の精気のなさに影響されているんじゃないかな?
と感じていた。
その人を見ていると、彼がまるで病原菌のように感じられ、またしても、自殺菌を思い起こさせるに至った。
自殺菌のことは、しばらく忘れていた。
祖母の死を目の当たりにしたこともあって、死というものに対して、少し印象が変わってきたのを感じていた。
それまで肉親でも、自分に関わりのある人でも、実際に死んだ人の葬儀に出席したりしたことはなかったので、ピンと来なかった。
自殺菌の話を聞いても、信じていたと思っていたが、本当は他人事だったのだ。理屈としては頭の中で理解できても、死についてピンと来ないのであれば、それは他人事でしかないのだ。
昇は、初めて出席した葬儀は、想像していたものと比べてまったく違っていた。
葬儀といえば、ただ暗いだけで、悲しさだけが表に出ていると思っていたが、通夜からの流れの中で、
――まるでイベントに参加したみたいだ――
と、死んだ人には悪いが、拍子抜けした気持ちになっていた。
「酒を呑んだり、昔からの馴染みの人が故人を偲んで、楽しく会話できれば、それが故人を安らかな眠りに誘うことになるんだよ」
と、聞かされたことがあったのを思い出した。
あれは、小学生の頃だっただろうか。一応親戚の人が亡くなったということだったが、結構な遠縁にあたり、しかも遠距離だということもあり、学校がある昇は参加しなかった。しかし、通夜について話をしているのを聞くと、
――そんなの信じられない――
と思う話だった。その話を今さらのように祖母の通夜の席で思い出し、
――あれは本当のことだったんだ――
と感じることで、祖母を明るく送り出すことに抵抗感がなかった。
普段はあまり人と喋らない昇だったが、その時は饒舌だった。自分が知らない祖母の話を、祖母の昔なじみに人から聞かされるのは楽しかった。
「おばあさんも、君が立派になったのを見届けたんで、安心してあっちの世界に行けたと思うよ」
と言われて、柄にもなく、涙もろくなった昇だった。
線香臭さは、どうしようもなかったが、それでも、通夜からの流れで、暗い気分にはならなかった。葬儀の日は、さすがに騒ぐわけには行かず、静粛にしていたが、暗くなっていたわけではなく、初めての葬儀に、感心しながら過ごしていたのを感じたのだ。
その時の雰囲気が、それからの昇に少なからずの影響を与えた。
――死というものを暗く考えることはないんだ――
という思いに駆られていた。
もちろん、死んでしまうと、その人とは二度と会えないという思いが一番の辛さであることは以前も今も変わっていない。それでも、死というものが、暗いだけだという認識ではないことを考えるようになっていたのだ。
その一か月後、完全に死相を感じさせる人を見かけた。それは、死を目の前にしていた祖母とはまったく違っていて、最初から生きることを放棄しているかのように見える雰囲気が漂っていた。
――この人、死ぬんだ――
と思ったが、止めようとは思わなかった。
止めたところで、思いとどまることはない。いや、本人に死という意識があるのかどうかも怪しいものだ。
説得というのは、相手が意識していることに対してできるもので、無意識の人間に対して説得など通用するはずもない。そう思うと、ただ見ているだけしかできなかった。
ただ、それを見ているだけの自分をじれったく感じることはなかった。むしろ、見届けるだけでいいと思っているのだ。
死相を感じたその人が、それからどうなったのか、正直分からなかった。しかし、その日の夜に見た夢は、まるで正夢のようで恐ろしかった。普段覚えていないはずの夢をここまでハッキリと覚えているのは、実に珍しいこと、どうして覚えていたのか自分でも分からなかったが、夢の中で見た死相が現れた人の顔は、夢から覚めるとぼやけて見えていたのだ。
――こんな人だったかな?
夢から覚めて思い出そうとしたその顔を思い出すことはできなかった。それだけ印象が浅かったのかと思ったが、あまりにも無表情なその顔は、印象が浅いというよりも、恐ろしさで、目を閉じてもその顔が迫ってくるのを、最初に見た時に感じていた。
――それなのに、覚えていないというのは、どういうことなんだ?
自分でも疑問だった。
だが、昇がその人のように、まったくの無表情な恐ろしい顔を、今までにも見たような気がして仕方がなかった。
その人も、最初に見た時、目を瞑って浮かんでくるその顔を、
――絶対に忘れることなどない――
と思っていたにも関わらず、同じように夢に見て、やはりその顔は目が覚めると、ぼやけてしか覚えていないのだった。
どんなに印象深い顔であっても、夢から覚めてしまえば忘れている。
――それだけ、夢の世界というのは、現実の世界とは一線を画した存在なのかも知れない――
と、その時に感じたが、再度同じことを感じるようになるとは、正直思ってもみなかった。
現実世界において、今まで感じたことがあった世界を思い起すことができても、一度夢に見てしまい、そして、夢から覚めてしまって、おぼろげになってしまったことは、いくら、
――絶対に忘れることなどない――
と、以前に思っていたとしても、結局は、夢の世界に従ってしまうことになる。それだけ夢の世界は、自分に大きな影響を与えるのだった。
だからといって、夢の世界だけを見つめていては、今の自分を見つめることはできない。それは一番自分が分かっていることであり、死相が現れた人を見たことで、その考えがさらに確定したものとして自分の中に残ると言うのも、皮肉なことであった。
昇は、以前見た夢の相手が亜季だったことを思い出した。
亜季に対して、死相が現れたのを見て、絶対にその顔を忘れないと思っていたのに、夢を見たことで、おぼろげになってしまった。それは、
――亜季に対して、恐ろしい表情を自分の中でイメージとして残したくはない――
という思いを持っていただけに、