二度目に目覚める時
被害妄想もいいところだ。昇はそんなつもりで相手を見ているわけではない。それよりも最初に露骨な顔をして、相手に不信感を抱かせたのは、相手の方ではないか。どこか釈然としない思いが、昇の中で悶々とした気持ちにさせた。
――それにしても、蔑むような目ってどんな目なんだろう?
思わず鏡を探した。自分がどんな顔になっているか、一刻も早く見てみたかったのだ。
「ちょっと、トイレに行ってくる」
トイレになら、鏡があるはずだ。
「いいわよ」
ゆりかも、トイレに行くようだった。
鏡を見ると、なるほど、冷めたような目をしている。蔑んでいるようにも見えなくない。それは蔑んでいるという指摘を受けたからそう見えるだけで、少し顎を突き出しているところから、見下ろして見えるのかも知れない。
決して蔑んでいるわけではないか、見下ろして見えることと、冷めた目が複合して、蔑んでいるように見えたに違いない。
――こんな顔をしていれば、被害妄想でなくても、いい気持ちはしないわな――
と、少し反省もあった。
しかし、今さら表情は変えられない。今日一日はこの表情のまま行くかも知れない。そう思いながら、トイレから戻ってくると、今度はゆりかの表情が変わっていた。下から見上げるその表情は、相手を慕っているような顔だったのだ。
――こんな表情をされると、俺も顔が戻るかも知れないな――
と感じたが、表情が戻ることはなかった。むしろ、もっと上から目線に変わっていたようだ。
それでも視線や表情を変えることのないゆりかを見ていると、
――この娘のこんな表情、初めて見たようには思えない――
どこか、懐かしさを感じた。
自分を慕ってくれているような目を見ていると、逆に苛めたくなる衝動に駆られた。
――天邪鬼だからな――
と、自分が天邪鬼であることに苦笑いしてしまった。しかし、この思いが天邪鬼なところから来ているだけではないことを、すぐに悟った。
天邪鬼なだけなら、すぐに苛めたくなるような衝動は消えるだろう。衝動に駆られるというのは、その時、突然に感じることで、感じただけですぐに収まることをいうのだろう。確かに衝動に駆られたことで、自分の性格が変わってしまったかのように感じたので、理性というものが働いて、苛めたくなるなどという思いは消えていく違いないと思ったからだ。
それは、苛めたくなるというサディスティックな性格は、いい性格ではないと思うからだ。性的な悪しき性格は、考えただけで、嫌悪感を感じる。
――俺にそんな性格が備わっているわけはないじゃないか、天邪鬼だからそう思っただけで、本当に反射的に感じただけのことだ――
と思ったが、しかし、衝動的に感じたことが、天邪鬼なところから来たとしても、一瞬でも感じたということは、自分の中にS性がまったくないとは言いきれない。少しでも顔を出したということは、自分の中に必ずあるということだ。それを、
――潜在意識――
というのではないだろうか。
潜在意識ということは、今までに夢で見たことがあったかも知れない。夢は目が覚めるにしたがって忘れていくものなので、覚えていないだけで、見た可能性は否定できない。
夢の世界を掘り起こそうとしている自分を感じた。夢の世界には、今まで感じたことのない何かが存在しているような気がして、逆に、
――触れてはいけないもの――
もあるのではないかと思えてきた。
夢の世界を掘り起こすことはタブーであると感じると、思い出そうとしてしまった自分に後悔した。
自分が夢の世界を掘り起こそうと考えた時間は、結構長かったかのように感じていたが、実際にはあっという間だったようだ。それこそ夢の世界のようで、
――考えただけでも、夢の世界に行ってしまっていたのだろうか?
と感じたほどだった。
ゆりかを見ていると、昇を見る目が変わることはなかった。
――ということは、ゆりかの慕っているような目は、俺の勘違いなのではないだろうかーー
ゆりかの視線をよく見ていると、突き刺すように鋭いものがある。それは最初、
――人よりも鋭い眼光で自分を見ているんだ――
と思ったが、実はそうではない。
――俺の後ろに誰かを見ていて、それで眼光が鋭いんだ――
と感じるようになった。
つまり、昇の目の奥を突き刺すようにして、向こうを見ていると感じると、恐ろしさを感じた。
――一体、誰を見ようというのだ?
その恐ろしさがあったから、昇は自分が夢の世界に入りこんでいこうとするのを止めることができたのかも知れない。
だが、そんな視線でも、恐ろしさを感じながらでも、逃げることはなかった。むしろ、さらにゆりかに対して苛めたくなるという感情を残しているのは、やはり、自分の中にS性が潜んでいるということに確信できるだけのものとなっていた。
昇は自分の天邪鬼がどれほどのものなのか、ゆりかと付き合っていれば、その力量を計り知ることができるような気がしていた。
――ゆりかに対してなら、素直になれるかも知れない――
と、自分の天邪鬼な性格を少しでも治せるのではないかと思っていた。
しかし、それは勘違いで、むしろ、ゆりかと一緒にいることで、自分の奥に潜在しているものが、引き出されるのではないかとさえ思うようになっていた。
その根拠は、ゆりかの慕うような視線を見て、少しでも自分の中にあるS性に気が付いたからだ。
自分のことを今まで天邪鬼だと思っていたが、ゆりかと付き合っているうちに、いわゆる「天邪鬼」とは、少し違っているのではないかと思うようになっていた。
何でもかんでも、人の反対を考えるのではなく、自分の潜在意識を感じることで、それが人との考えと違っているだけのことであった。きっと他の人も自分の中にある潜在意識を感じることができると、
――自分は天邪鬼なんじゃないか?
と、感じることになるのではないかと思うのだった。
自分が天邪鬼なんじゃないかと考えるようになったのは、実は自分にS性があるのではにないかと思うようになったことと密接に結びついているのではないかと思うようになった。
その理由としては、自分が意識している女性から慕われていると思っていると、本当であれば、愛おしいと思い、可愛がってあげたいと感じるはずなのに、それがなぜ苛めたくなるのかということに気が付いたからだ。
苛めたいと感じていることは、決して正反対のことではない。むしろ、自分が考えていることがさらに先に進んで、深いところに入り込むことで、相手のことを余計に見えてきたからだと思うようになった。
「好きな人ほど苛めたくなるっていうじゃないか」
という話をよく聞くが、最初は、
――そんなことあるはずないよな――
と、まるで他人事のようにしか思っていなかった。
さらに、女性を苛めたくなったり、女性の方も男性から苛められたいという感情を持つようになったりするというのも、昇には考えられないことだった。そういう意味では、昇は、自分とSMの世界とはまったく違う世界の話だとしか思っていなかった。
――それは俺だけに言えることではない――