二度目に目覚める時
ゆりかに対して嫉妬するというのであれば、博という男性になるのだろうが、彼は行方不明ではないか。
――いや、彼が行方不明だからこそ、ゆりかの中で、それ以上大きくならない代わりに、永遠に消えることのない意識として残ってしまった。それは、記憶として格納されるわけではなく、前面に押し出された意識の中に残ってしまっている――
どうしてそう言いきれるのか分からないが、昇はゆりかの涙を見た時、自分の中にある嫉妬を感じた。その思いが、
――ゆりかの中に、永遠に消えない何かの意識が残っているような気がする――
という思いを残させたのだった。
昇は、ゆりかだけでなく、彼女の意識の中の誰かを意識しなければいけないということに、気持ちが冷める原因を見たのだった。
その時から昇は、
――俺って天邪鬼なんじゃないかな?
と思うようになっていた。
本当なら感動して、相手を愛おしく思うはずのシチュエーションで、気持ちが冷めてしまってから、自分を天邪鬼だと思うようになった。しかし、天邪鬼だと思うようになった原因にはもう一つだったのだ。
――俺って、寂しがり屋だったはずなのに――
と感じた時だった。
寂しがり屋で、一人になることを怖いくらいに感じていたはずなのに、いつの間にか、一人でいることに寂しさを感じなくなった。
――孤独や寂しさって違うような気がする――
孤独も寂しさも辛いとは思わないが、孤独を辛いと思わないと、寂しさも感じなくなった。
――どこか感覚がマヒしてしまっているからではないか――
とも感じるようになっていて、自分が天邪鬼になったかのように思えたのだ。
感じなければいけないものに感じなくなったというのは、本当なら由々しき問題なのだろうが、それすら由々しき問題とは思わないという、それこそ堂々巡りの発想は、天邪鬼にふさわしいのではないだろうか。
それでも、ゆりかに対して冷めた気持ちは、長続きしなかった。すぐにゆりかに慕われたいという気持ちが起こり、
――ゆりかに対して冷めた気持ちになったのは、自分が天邪鬼だということを自覚するために通らなければいけない道だったのかも知れない――
と感じた。
遠まわしではあるが、いかにも昇は自分らしいと感じた。一つのことから、いろいろな発想を巡らせることが多くなった最近では、遠まわしに感じる方が、考える時間があっていいのではないかと思った。遠まわしに感じるということは、それだけ時間が経っているということで、本人はあっという間のことのように思っているが、実際には掛かった時間が考える余裕を与えてくれた。本人は意識していないつもりでも、意識の中で何かの答えはきっと出ているはず。自分が考える発想には、必ず何かの結論がついてくる。答えと結論が結びついた時、遠まわしであっても、辿り着くところに遅れることなく辿り着いていることだろう。
天邪鬼なところは、確かに今に始まったことではない。むしろ子供の頃の方が意識は強かった。
しかし、子供の頃は自分が天邪鬼だと思ったとしても、その理由についてまで考えることはなかった。
――どうせ考えたって分かりっこないんだ――
と思っていたからだ。
そういう意味では、子供の頃の方が、諦めがよかった。今の方が、分からないと思っても、一応考えてみるようになった。それがいいことなのか悪いことなのかまでは分からないが、
――時間の無駄なのかも知れないな――
と感じている。
理由を求めるべきではないことまで、答えを求めようとするのは、確かに時間の無駄である。自分が天邪鬼だということに対して理由を求めようとするのは、必要のないことなのかも知れない。
だが、もう一つの考え方としては、
――何ごとに対しても理由は存在しているのだから、理由を一度でも求めようとしなかったら、その時点で自分の存在価値がなくなったことを意味しないだろうか?
と考えると、
――そんな時にこそ、自殺菌の入り込んでくる隙を与えることになるのでは?
またしても、自殺菌のことを思い出してしまった。考えてみれば、自殺菌について考える時というのは、必ず何かを考えている時で、ただ、
――どこからそんな発想が出てくるんだ?
と思うほど、唐突なところから発想が生まれた。
自殺菌の発想から、いろいろな発想が生まれたが、それこそ時間の無駄なのかも知れない。本当に自殺菌なるものがあったとしても、その存在を知ったところで、どうなるというものでもない。誰に話してもバカにされるだけだろうし、酒の肴にしかなりはしないだろう。
――それこそ、オオカミ少年のようだ――
と、口にするだけバカにされるようなことこそ、小説のネタにするには、格好の題材ではないだろうか。
「私、彼と一緒にいる時、いつも彼が正直な人だとは思っていたんですけど、どこか面白くないところを感じていたんです」
「正直な方がいいんじゃないかい?」
「それはそうなんですけど、正直というのを、何でも自分から話してくれる人のことを言うんだって思っていたんですが、本当にそうなんでしょうか?」
「どういうことだい?」
「彼は、私に何でも話してくれたんです。中には私が聞きたくないようなこともありました。面白くないという表現はおかしいのかも知れませんが、聞きたくもないことまで言われたら、急に頭の中が冷めてしまったりもしますよね」
――冷める?
そういえば、自分も頭の中が急に冷めることが時々ある。ゆりかの涙で急に気持ちが冷めてしまったこともあった。それは、自分が天邪鬼な性格なところがあるからなのかも知れないが、ゆりかの場合は天邪鬼による気持ちの冷め方とは違っているようだ。
――ゆりかのような気持ちの冷め方が、本当の気持ちの冷め方なんじゃないだろうか?
と考えてみたが、ゆくゆく考えて結論が出るものでもなかった。ただ、自分がゆりかの立場に立って考えれば、
――そりゃ、気持ちも冷めるよな――
と思っていた。
昇がゆりかに対して急に冷めた気持ちになったのは、自分が天邪鬼な性格だからというだけではないのかも知れない。ゆりかの中で、誰かに対して気持ちを一度でも冷めるようなことがあったということを、一緒にいて察知できたことで、自分もゆりかの態度の中から、彼女に対して冷めた考えが浮かんできたとも言えるだろう。
「そういえば、俺も相手に対して正直でありたいという気持ちから、相手が聞きたいことなのかどうかも考えず、言葉にしてしまうこともないとは言えない」
「そうなんですか? 私にはその気持ちは理解できません」
ゆりかの態度は露骨に嫌な顔になった。
――今まで、こんなゆりかの顔を見たことはなかったな――
意外とゆりかは激情家なのかも知れないと思った。
激情家というよりも、ゆりかこそ、自分に正直なのか、思ったことを顔に出したりして、隠し事のできない性格なのだろう。
――男性に対して、正直なところが面白くないなど、よく言えたものだ――
と感じたが、言葉に出すこともなかった。
「やっぱり、あなたもそんな顔をするんですね?」
「えっ? そんな顔というのは?」
「私を蔑むような目で見ているでしょう?」
「そんなことはないよ」