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二度目に目覚める時

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 だが、「夕凪」を少しでも克服しようと思ったとしても、夕凪というのは限られた時間なのだ。しかも、鬱病の時、夕凪の時間は結構長いくせに、心境が変わってしまうと、あっという間に終わってしまう。まるでこちらの気持ちを察しているかのようなのだ。
――鬱病の時は、時間に完全に呑まれてしまっている――
 と感じることがある。
 自分の意志に完全に時間が逆らっていた。
 元々、時間というものが、その人に影響を与えることがあっても、一人の人間が時間を自由に操ることなどできるはずはない。だからこそ、時間に操られるのではなく、うまく利用する方向で行こうと考えるのである。
 時間を自分で操ろうなどと、もし考えたとすれば、その人は本当に、同じ一日から逃れられるようになるかも知れない。
 そうなった時、逃れる方法は、本当に死ぬしかないという結論に達してしまうだろう。同じ時間を繰り返すことは、そういう意味では、
――自分の傲慢さへの報復――
 になるのだろう。
 その時は必ず、何者かの手によって作り上げられた状況と言えるだろう。そうでなければ、報復ではないからだ。
 躁鬱症というのは、
――必ず終わりがやってくる――
 というのが、当然の発想である。
 鬱状態が一定期間続けば、後は躁状態が待っている。躁状態が一定期間続けば、その後には鬱状態が待っているのである。
 躁状態から鬱状態に移行する時のことは分からないが、鬱状態から抜け出す時というのは、その前兆に気が付いていた。それは、真っ暗な中に黄色い明かりがついているトンネルから、表の世界に抜け出す時のことを連想させた。つまりは、鬱状態だと言っても、真っ暗ではないということだ。
 鬱状態というのは、やることなすことがすべてうまくいかないというわけではない。一つのことをしようとすると、やればやるほど、悪い方に向かっていくというまるで、抜け出すことのできないアリ地獄のような発想だった。
――もがけばもがくほど深みに嵌ってしまう――
 それが鬱状態だった。
 だが、一般に言われる鬱状態が、昇の思っている鬱状態と一緒だと言えるのかどうか、昇には分からなかった。
 鬱状態の人に、
「あなたは、鬱病ですか?」
 などと聞けるはずもないからである。
 ただ、一度昇の方が他の人に、
「あなたは鬱状態ですか?」
 と聞かれたことがあった。
 それ以上もがいても逃れられないことが分かっていただけに、
「ええ、そうですよ」
 と、相手に対して露骨に嫌な顔をしたのを覚えている。その時の表情は鏡に写したわけでもないのに、なぜか想像できた。鬱状態であれば、自分がその時できる表情がどんなものか、容易に想像できたようだ。それだけ、その時できる表情には、限りがあったに違いない。
 その時、急に肩から力が抜けていくのを感じた。
――もがけばもがくほど、抜けられないんだ――
 ということは、その時の状況に身を任せればいいということになる。相手はその時それ以上何も言わずに二コリと笑って去っていった。
 その人とは、それから一度も会っていなかったが、その人がそれから数日後に死んだというのを聞かされて、愕然としてしまった。
――何か話をしておけばよかったかな――
 その人が死んだことに驚愕したわけではない。その人とそれ以上話をしなかった自分に対し、後悔があったのだ。
 どんな話になったかなど、想像できるものではなかったが、何か目からうろこが落ちるような話ができたような気がして仕方がなかった。
 だが、その時、一つ不思議な感覚にも陥っていた。
――この人と、またどこかで会えるような気がする――
 というものだ。
 正確に言えば、死んだと聞いた時にそう思ったわけではなく、もっと前、つまり声を掛けられた時に感じたことだった。だからこそ、死んだと聞いた時、驚愕したのだ。
 ただ、その驚愕は、後悔に繋がるものではなく、恐怖を伴うものだった。人が死んだと聞かされたことで、これほどの恐怖を感じたことはなかっただけに、自分でビックリしたのだ。なぜなら、その恐怖は、今までに感じた中でも、
――これ以上ない――
 と感じさせるくらいのものだったからだ。
 それからしばらく、昇は自分のことを、
――鬱状態になった時に、自分に声を掛けてきた人は、死ぬことになるんだ――
 という、まったく根拠のない妄想を抱くことになった。ただ、そんな妄想を抱く時というのは、自分が鬱状態に入っている時で、鬱状態から抜けている時はそんなことを考えたりはしなかった。
 なぜなら、躁鬱状態にある時の昇は、鬱状態から通常の状態に移行するわけではなく、いきなり躁状態に移行する。そして、躁状態に翳りが見え始めると、次に待っているのは鬱状態なのだ。
 そんなことの繰り返しが一年ほど続いただろうか。それが中学時代に一度あり、次には高校時代に一度あった。その間に躁と鬱をどれだけ繰り返したのか、数えたこともなかった。
 躁状態に入った時は、自分が鬱だったことを完全に忘れている。逆に鬱状態に入った時、少しの間、躁状態だった時のことが頭の中に残っている。
――残っていなくてもいいのに――
 と思うのだが、その時に感じた躁状態というのが、直前まで感じていた躁状態なのか、それともそれよりも前の躁状態だったのか分からない。考えても思い出せないのだ。
――思い出せないからこそ、鬱状態なんだよな――
 と、今さらながら鬱状態であることを再認識するのだが、そこに何の意味があるというのだろう。躁と鬱を繰り返しながら、堂々巡りから抜けられないことを感じていたのだった。
 この感覚は、昇が初めて「堂々巡り」を感じた時だった。あまり堂々巡りという言葉にいいイメージを持っていなかったのは、この時が最初だったからなのだろう。
 ただ、どうして堂々巡りにいいイメージを持っていなかったかなどということは分かっていなかった。漠然と感じる胸騒ぎのようなものがあっただけだった。
 そのうちに、いつしか、
――一日を繰り返している――
 と感じた時、最初に反射的に感じたのが、この堂々巡りの発想だった。しかし、発想はしてみたものの、一日を繰り返すことが妄想でしかなく、さらに何の根拠もないことで、堂々巡りとの関係について、それ以上考えようとはしなかった。ただ、意識だけは頭の中にあって、何かを考えるたびに、そのことが引っかかっていたのではないかと思うのだった。
 一日を繰り返しているという発想をいろいろな側面から考えているうちに、いつしか、「夕凪」の発想に辿り着いた。その時、
――どうして、「夕凪」の発想に、すぐ気付かなかったんだろう?
 と感じたほど、その時は連鎖反応であったかのように、一緒に躁鬱状態にあった時のことを思い出した。
――まるで昨日のことのようだ――
 躁鬱状態だった時のことを思い出したのだが、その思い出した瞬間というのが、鬱状態から、躁状態に変わる時のことで、正確にいえば、まだ鬱状態の中にありながら、トンネルの中にいることを想像し始め、そして、出口の明かりが見え始めた頃のことだった。
 その時に見える明かりは、レインボーに感じた。
作品名:二度目に目覚める時 作家名:森本晃次