二度目に目覚める時
記憶や意識をなくしたというのは、起きている時だけで、夢を見ている時は、意識も記憶も残っているのではないか。しかし、それを自分のこととして見ることはできないので、誰かを借りることで、記憶や意識を再現できる。それが唯一の「自殺菌」により自殺した人がこの世で感じることのできる、
――生きていた時の記憶――
だと思った。
――この人は、俺を通してなら、自殺する前の自分の記憶を取り戻すことができるのかも知れないな――
と感じたが、それも今は夢の中でしか実現できないことだった。
ただ、それは現世を生きている自分の発想の限界であった。
だが、それにしても、よくここまで発想できたものだと、我ながらビックリするほどだった。
まるで見てきたかのような発想に、今度は自分でどこまで納得できるのか、考えてしまうほど、一度生まれた発想は、留まるところを知らない。
そうやって考えてくると、一日を繰り返してしまっている発想を頭に抱いたことも、まんざら遠い発想ではないのかも知れないと感じた。
今までに、何度か、
――一日を繰り返しているのではないか?
と思ったことがあった。
この間は、初めて感じたように思っていたが、その思いが急に変わってきたのも、
――自分の中に他に誰かがいるのではないか――
という発想を持った時だった。
元々、一日というものの定義は天文学的なものであって、一日という単位は人間だけのものではないかと思っているところに、何者かの力が働いて一日を繰り返しているのだとするならば、その何者かの力というのは、人間以外の何物でもないような気がする。
――ということは、自分の発想の域を出ないということだろうか?
そう考えると、夢の延長線上にあるものだという考えが一番納得のいくものになるだろう。
夢と一日を繰り返している発想が同じところから来るものだとすれば、
――一日を繰り返しているのは、本当に自分だけなのだろうか?
という発想も生まれてくる。
一日を繰り返すのが自分だけだからこそ、この発想は奇抜なものとして、自分の中に戻っていたはずだ。しかし、他にもいるとすれば、自分の中で説明がつかなくなる。それを恐れたことで、一日を繰り返すのは自分だけだと言い聞かせているのかも知れない。その発想が、今度は夢との間に分離を呼び、夢と一日を繰り返しているという発想が、簡単に結びつくものではないと思えるようになった。
不思議なことを理解するには、夢だと思うことが一番手っ取り早い。その考えに逆説を唱えているようなものだった。
この間、バーで綾と話をしている時、
――俺は肝心な部分の何かの記憶を失っているような気がする――
と感じたのを思い出した。
それがどんな記憶なのか、その時は想像もしていなかったが、一日を繰り返しているという考えを持ったことで、何か思い出せそうな気がしてきた。
――徐々に俺は、自分の記憶の核心に触れようとしているのかも知れない――
と感じていた。
昇は、それが本当に自分の記憶なのか分からないということを意識しながら、わざと意識しないようにしていた。下手なことを考えると、せっかく、思い出せるかも知れない記憶が思い出せなくなると思ったからだ。
一日を繰り返しているという発想は、いろいろなことを連想させてくれる。そして、最後に辿り着いた意識が、
――元に戻るには、死ぬしかない――
ということだった。
そこまでの結論に辿り着くまで、果たしてどれだけの時間を要したというのだろう。
いや、時間を要したというよりも、いろいろな考えが頭の中を過ぎったのだろうと思う。その中で、どれとどれを結びつけて、自分の中で確立したものにしてしまうかが大きなポイントだと思っていた。
しかし、結びつければ結びつけるほど、堂々巡りを繰り返す危険性が高まってくるとこに気付かなかった。
ここでは敢えて危険性だということにするが、堂々巡りを繰り返すことが危険性だけを孕んでいるという発想には最初から疑問を持っていた。モノには危険性が表に出てきているものは少なくはないが、危険性ばかりを見ていると、その内面にあるものを見逃してしまいそうな気がする。
昇は、危険性ではない堂々巡りを考えてみようと思うようになっていた。その手始めとして、
――一日を繰り返している――
という発想であった。
あまりにも唐突で、信じられない想像上のものだからこそ、できることではないかと思うのだった。
一日を繰り返しているという思いは、午前零時を回った瞬間に気付くものだと思っている。逆に回った瞬間に気付かなければ、自分が同じ日を繰り返していることに気付かないのではないか。つまりは、同じ日を繰り返していても、そのことには気付かない。なぜなら、本人が気付かなかった瞬間に、前の日の記憶は失われてしまうからだ。
前の日の記憶が失われるのは、そう考えてみれば、当たり前のことであり、失われた瞬間から、もし同じことを繰り返していたとしても、それはその人にとって、
――今までになかった新しい世界――
であることに変わりはない。
考えてみれば、今までになかった新しい世界という方が、新しく作るという意味では大変なことのように思う。それが当たり前のように過ぎていくということは、新しいものを作るというのは、日常茶飯事の出来事なのかも知れない。
パラレルワールドというのを聞いたことがあるが、無限に広がる可能性の世界の中で、一つのことを繰り返すという方が、かなりのレアなタイミングということになるではないだろうか。
では、一度でも、午前零時を回った瞬間に、
――同じ日を繰り返している――
と感じたとすれば、かなりのレアなタイミングを引き当てたことになる。
そして、気が付いたくせに、すぐにはその事実に対して意識できないということは、
――日が変わった瞬間に、毎日、すべての人がしなければいけない「リセット」となるのだ――
と、感じた。
ということは、一日を繰り返すということは、その「リセット」することを忘れたということになるのだろうか?
リセットが無意識に行われるのであれば、「忘れた」という感覚はおかしい。
――何者かの手によって、リセットが邪魔されてしまった――
と考えるのが妥当ではないだろうか。
そこで考えたのが、「自殺菌」のような菌の存在だった。
――自殺菌以外にも人間に寄生して悪さをする菌が他に存在するのではないか?
という発想が生まれても無理もないことだった。
しかも、さらに次の発想として、
――これは、人工的も誰かによって作られたものである――
と考えるのはあまりにも突飛過ぎる発想であろうか?
確かに自殺菌も、それ以外の菌の存在自体の発想は、かなり奇抜なものである。そこから派生した発想で、誰かの手によって作られたものだというのは、自然の成り行きによるものなのかも知れない。