二度目に目覚める時
元々、死後の世界のことなのだから、現世の理屈に合わせようというのが無理なことである。ということは逆に言えば、何とでも解釈できるということであり、発想も無限に広がってもいいということになるだろう。
今までに、死後の世界のことなど考えたことはなかった。ただ、テレビドラマなどで、見ていて共感するところはあった。本当はあまり気にしたくないと思っていることでも、気になって見てしまうのは、やはり、
――俺にも好奇心があるということだろうな――
と思えたからだった。
好奇心があっても、探求しようとは思わない。それは死後の世界というものが神聖なもので、それを侵すということは、
――神をも恐れぬ暴挙――
になると思ったからだった。
そう思うということは、神を信じているという証拠でもあり、死後の世界と神がいかに結びついているかなど分からないが、頭の中で一つになりながらも、
――侵してはいけない神聖な世界――
というイメージを持っていた。
そんな昇が、いつ頃からだろうか、不思議な現象だったり、死後の世界のことを、無意識に考えるようになっていた。
――俺の中にもう一人誰かがいるような気がする――
と感じるようになったから、死後の世界や不思議な現象について気になるようになったのか、それとも、死後の世界や不思議な現象について気になるようになったから、自分の中にもう一人の誰かを意識するようになったのか、どちらでもいいように思っていたのだが、今は、その順序の違いが大きな影響を自分に及ぼすことになるような気がして仕方がなかった。
綾と一緒にバーに行ってから、一週間が過ぎていた。
その日は朝から、駅のホームから身を乗り出しそうになり、少し怖い思いをしたのだが、すぐに気を取り直し、会社に着く頃には、そんなことは忘れてしまっていた。それは昇にとって、
――いつものこと――
であり、本人も思い出すことはないことだったのだ。だが、その日は何となくムズムズしたものがあり、それが朝の目覚めから繋がっていることを、昇は分かっていたのだ。
――目覚めは、悪くなかった――
よかったというわけでもなかったのだが、悪い目覚めなのかいい目覚めなのかというのを判断するのは、目が覚めた瞬間ではなかった。会社に着くくらいの時間になって朝のことを思い出した時、
――今日はいい目覚めだった――
と、感じる。
逆に朝のことを思い出さなかった時は、いい目覚めではなかったと、自分で感じるようになっていたのだ。
それは、自分にとっての、
――納得――
であり、自分を納得させることは一日の間に何度かあるが、その最初が、言わずと知れた朝の目覚めである。目覚めがいいか悪いかでその日の気分が変わってくるはずなのに、目覚めのことを考えるのが会社に着く頃だというのであれば、
――それまでの自分が本当に自分なんだろうか?
と考えるようになったとしても、不思議ではなかった。
特に、その日は、ホームから身を乗り出しそうになったのを感じた。その時、一瞬誰かに背中を押されたような気がして、反射的に振り返った。
――お前は?
誰かがそこに立っていた。見覚えなどあるはずのない人なのに、どうにも他人に思えなかった。
だが、その顔に対して、
――俺じゃないか――
それは鏡で見たこともない表情だったが、一瞬、自分だと感じた時、自分以外にありえないと思ったのだ。
その表情は、今まで見た誰の表情よりも恐ろしいものだった。
――俺がこんなに恐ろしい表情ができるなんて――
表情をするという発想よりも、「できる」という発想になっていた。それだけ自分のことを「過小評価」していたということなのだろうが、恐ろしい表情が、果たして
――豊かな表情の一つ――
として、数えてもいいのだろうか? 昇は自分に対して感じることを今までにしてきたことがなかったのを今さらながらに感じていた。
今まで自分に対して感じていたと思ったのは、夢を見る範囲内でしか感じたことがなかったのかも知れない。つまりは、自分に対しては都合よく、すべて妥当なところでしか判断していなかった。逆に言えば、妥当なところでしか判断できないことしか、自分に対して感じることができなかったのだ。つまりは、夢と同じ発想である。
夢の中では何でもできると思われがちだが、実際には、潜在意識の範囲内でしか、行動できない。それは自分だけに言えることで、他人がたとえ空を飛べたとしても、自分にはできないのだ。それだけ夢の中での中心は自分であり、中心である自分は潜在意識を飛び越えることができない。夢というものが、何かの呪縛に捉われていると感じるのは、昇だけだろうか。
昇は、自分に突き飛ばされた瞬間を、
――夢だったんじゃないか?
と感じたが、それにしてもリアルだった。
前後の記憶は繋がっているので、夢だったとすれば、辻褄が合わない。そう思うことがリアルさに繋がったのだ。
ただ、夢というのは、寝ている時にだけ見るものだという発想であれば、その通りなのだが、起きている時に見るものも、夢の一種だと考えればどうなのだろう。その時は夢という言葉ではなく、幻影に近いものになるのだろうが、果たして起きて見る夢を、「幻」として判断していいんだろうか?
昇は、自分の発想がどんどん深みに嵌っていくのを感じ、ハッとした。
そして、急に我に返った時に、一つの結論めいたことに辿り着いたのに気が付いた。
――夢の中で自分に突き飛ばされたのを見て、最初、それが自分だと分からなかったんだよな――
と感じた。さらに、
――ということは、夢を見ていたのは、俺本人ではないという考えを持ったとしても、それはそんなに奇抜な発想になるんだろうか?
と感じた。
誰か他の人が、ホームから突き飛ばされた夢を見ていた。その夢になぜか自分が入りこみ、夢を見ている主人公の目になって、恐怖を感じた。
では、元々夢を見ていた人は、自分が突き飛ばされるところを客観的に見ていたということになるのだろうか?
そういえば、自分が夢を見ている時も、時々自分が他人事のように見ていることに気付くことがあった。その時は、何も感じなかったが、感じなかったのは、自分が夢を見ているという意識があったからだろうか。普段夢を見ている時、
――今夢を見ているんだ――
という意識を感じたことは一度もなかったような気がする。夢の中だけで完結する、自分を納得させられる意識が、実在しているのかも知れない。
昇はその時に夢を見ていた人がどうなったのか興味があった。
――本当に死んでしまったのだろうか?
もし、死んでしまったのだとすれば、自殺だったのではないかと思っている。しかも、それは自分の意志による自殺ではなく、「自殺菌」によるものではないかと考えていた。
「自殺菌」によって自殺させられたのであれば、その人は現世を霊となって彷徨っているか、それとも、意識も記憶もない中で、現世で「生き直しているか」のどちらかであろう。
昇は、その人は現世で「生き直している」と思った。