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短編集21(過去作品)

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 さっきまで熱く火照っていた久美の身体からは汗が噴き出している。きっとわたしもそうなのだろう。身体の奥にはまだ熱いものを感じるが、汗が噴き出しているため、きっと相手にそれを感じることはできないだろう。
 再度抱き寄せた久美の身体は、まるで軟体動物のように忠文の身体に絡みついてくる。まだ、虚ろな表情をしている久美は、上目遣いに忠文を見つめた。
――女性の方が快感の余韻が長いのでは?
 と感じるほど、意識がしっかりしてきたのかも知れない。しかしそれは漠然と考えたことで、まるで本能による行動のように思えた。
 その時の久美を思い出すと、時々一人で当てもなく旅行に出たくなった頃のことを思い出していた。
 あれは鉄工所に勤めはじめてすぐくらいのことだったであろうか。街でフラリと寄った本屋で当てもなく本の背を見ていたことがあった。その時に旅行雑誌を手にとって見たのだ。
 高校時代によく旅行に行くという友達がいたのを忠文は思い出していた。
「旅はいいぞ。ゆっくりできるし、リフレッシュできる」
 と言っていたが、それだけでは忠文も共感できなかったかも知れない。しかし、
「旅行は、している時よりも、帰ってきてから思い出す時の方が数倍楽しみがある」
 と言っていた言葉が、耳から離れないでいた。
――青い空の遠くに見える白い雲、その雲の下が一体どこなのか、行ってみたい――
 それが旅行のイメージだった。
 白い雲に太陽が当たり、下の方に影を作っている。それが遠近感を感じさせないため、青い空が遥か遠くに見えるのだ。
――まるで雲と空が別世界のようだ――
 それが味わいたくて、いつも空を見上げていることの多い忠文だった。旅に出たいと思うのも、同じ空を旅先でも見てみたいと感じたからなのだ。
――遠い空がまるで母親の羊水のように見える――
 そう感じたのは、歩きながら空を見ていて、その雲の位置にまったく変化がなかったからである。当たり前といえば当たり前なのだが、遠い空はそれだけを与えてくれるわけではなかった。
 まったく動かないその力強さは、まさしく父親の雰囲気もあり、大きく包んでくれる雰囲気を如何なく味わっていた。そして時々吹いてくる風の心地よさの中で、それまで身体に感じることなくごく自然に包んでくれた大気は、まさしく母親の羊水に包まれていたかのごとくである。
 働き出して一度、旅行に行ったことがあった。あの時は友達を誘っていくつもりだったのだが、急にその友達がいけなくなり、急遽他のツテを当たったが、なかなか一緒に行く人が現れず、結局忠文一人の旅行となった。
 初めて行く一人旅だった。予定も立てることなく出かけたが、そこでできた友達と翌日のことを話たりして、お互いに予定をあわせるなどの当てのない旅は、最初に思っていたよりダイナミックで楽しかった。
 しかし、旅行の醍醐味はやはり遠くに見える青い空を味わうことだった。その時の旅行では、それを味わうことができず、半分欲求不満に陥ったが、残りは次回への楽しみということにしておいた。
 今までは仕事第一の生活だった。仕事をしていれば、他に何もいらないとまで思っていたほどで、
――三度の飯よりも仕事が好き――
 と豪語するくらいだった。呑み会などに誘われて酔っ払ってからよく叫んだものだと、忠文はしみじみ思い出していた。
 学生時代に味わえなかった充実感が、働くことによって得られる。まるで水を得た魚のごとく、働くことが生きがいで天職とまで思っていた。
 人とのコミュニケーションを必要とする営業の仕事ではなく、自分でコツコツとできる仕事なのが、忠文にとって嬉しかったのだ。頭を使わないというわけではなく、絶えず効率のよさを追求しながら改良を考えている忠文の業務姿勢は、上司、同僚、部下すべてに人望が厚かった。
 学生時代、勉強はしていてもいつも不安が付きまとっていた。
――学校の勉強だけでいいのだろうか?
 この思いは忠文だけではないかも知れない。工業高校時代、成績は確かによかったが、だからといってその不安が解消されるわけではなく、余計に不安になる。中学時代まで、いろいろな世界を見てきたつもりだったが、それが真面目になった途端にまったく知らない世界、ある意味退屈ではあるが、奥の深い世界を知ったこともあるかも知れない。
 確かに中学時代までは不安がなかったとは言えないが、あまり考えることをしなかった。考えることを避けていたと言った方がいいかも知れない。
 将来への不安、それが高校時代にはあったのだ。中学時代との決定的な違い、それは考えることをするかしないかにあった。確かに中学時代避けていたことを、いくら退屈な毎日とはいえ考えるようになったのは、勉強し始めたからであろう。絶えず上を狙う鋭い目が養えたのも、その頃だったような気がする。
 働き出してからまわりを見る目も変わってきた。
 今までの学校の勉強は実技において役には立ったが、一般教養を役立てることはなかった。しかしそれでも培った教養はないよりましで、さらに勉強したいと思う気持ちを植えつけていたのだ。
 卒業しても本だけは好きで読んでいた。ミステリーに魅せられた忠文は、国内作家から海外の作家まで幅広く読んでいた。最初はトリックの巧妙さにばかり目を奪われていたが、ある程度読みあさってくると、ストーリー重視で社会派ミステリーと呼ばれるものまで広義の意味でのミステリーを読むようになっていた。
 ミステリー以外でもいろいろ読んでいるので、話のネタに困ることはなく、しかも相手によって話題もうまく変えているので、
「お前は営業でも十分やっていけるかもな」
 と上司からも言われたことがあった。しかし、
「私は物を作ることが好きですから、もう少しこのままいたいですね」
 と丁重に話し、
「まあ、君が現場で仕切ってくれるから我々も助かっているんだからね」
 と、上司からも折り紙つきの忠文だった。
 主任になって久しかったが、いよいよ年齢も不惑に近づいたということもあって自分でも落ち着いてきたことを感じていた。上司の信頼も最初の頃と見方が変わってきているのだろうが、忠文本人も上司からの信頼も目を、歳とともに違った目で見ている。最初の頃は、なだめたりすかしたりして煽てられながら仕事をしていた。元々煽てられてその気になるタイプでしかも煽てだと分かっていたこともあって、それが仕事への活力になっていたことは否めない。自意識過剰だったのだろう。
――自意識過剰――
 この言葉を忠文は嫌いではない。自信過剰とあいまって、自分を引き立てるための必要な潤滑油のようなものだと感じていた。特に現場の第一線にいるうちに必要なエネルギーである。
――自分が信じていなければ、他人が信頼してくれるはずもない――
 というのが忠文の持論で、無意識に自信を持つことが大切だと思っていた。
 最近は、それに少し「落ち着き」というのも大切だと思えてきた。
作品名:短編集21(過去作品) 作家名:森本晃次