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短編集21(過去作品)

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 最初に見た横顔が、あまりにも印象的だった。綺麗な顔立ちに見えるのは鼻が高いからで、その後正面からの顔を見たが、今度感じたのは綺麗というよりもかわいいという感じだった。少し幼さが残っているようにも見え、最初に見た横顔とのギャップの激しさを感じさせた。それが余計に気になる印象を与えたのである。
 聡子との最初の出会いだった。
 志賀直哉記念館を見た後、私はそのまま宿に戻ろうかと思っていた。その日は午前中倉敷の美観地区をまわった後だったので、尾道に到着したのが遅かった。着いた時間が中途半端で、宿でゆっくりするには早すぎるし、観光するには遅すぎる。尾道駅に降り立った時に見たオレンジ色の太陽はもうすでに暮れかかっている。
 だが、今目の前にある夕日を見ずに帰るのも、もったいない気がする。そういえば尾道は漁村でもあるではないか。少し歩いただけで、海は目の前、見ていくくらいの時間は十分にあった。
 国道を横切ると、漁村がすぐ見えてくる。小さな港には、漁船がところ狭しと並んでいて、潮の香りが漂っている。元々私は潮の香りが苦手だった。小学生の頃、海に遊びに行った翌日には必ずといっていいほど熱を出していた。身体に纏わりついてくるような湿気を帯びた空気が苦手で、今はそれほどでもないが、中学に入った頃は、潮の香りを嗅いだだけで吐き気を催していた。
――別に潮の香りが発熱の原因でもあるまいに――
 匂いを嗅いでも何ともなくなった今だから考えられることで、これがもし夏だったら、今でもダメかも知れない。
 しかし、今にも水平線の向こうに沈まんとしている夕日が気持ち悪さを忘れさせてくれる。
――そういえば海を見に行こうなんて思ったのはいつ以来だろう――
 夕日に魅せられてここまでやってきたといっても過言ではない。旅に出ると決まってすぐにお腹が減ってくる。今も空腹でお腹が鳴っているのが分かるくらいだが、そんな時に潮の香りというのは辛いはずなのに、きつくない自分が不思議だった。
――今いる自分は小学生時代の自分なんだろうか?
 ふと考えてしまう。ハッキリと言えることは、純粋に夕日が綺麗だと思う素直な自分が表に出ていることだけは間違いない。他の性格を今は考えられなくなっている。
「ポンポンポン」
 遠くで響いているように聞こえるが姿を見ることができない。いわゆるポンポン船と呼ばれるやつだ。海に近づくことのなかった私は、まるで初めて海を見た時のような感動がよみがえってきているに違いない。
――やっぱり旅行に来てよかったな――
 漠然とだが、そう感じた。芸術に親しみたくてやってきた旅行だったが、芸術に親しむ気持ちの余裕が私に自然の醍醐味を見て感動させる気持ちを呼び起こしたのだろう。
 しばし座って沈む夕日を見ていた。先ほどまで風が吹いても寒さを感じなかったが、夕日が水平線に隠れるのを見ていくにつれて寒さが増してきている。風の強さをそのまま寒さとして感じることができるようになっているのだ。
 チャプチャプという音が聞こえ、波が足元の防波堤に当たっている。瀬戸内の海だからこの程度なのだろう。太平洋や日本海のこの時間、きっとこんなものではないはずだ。
 波間に揺れるオレンジ色の光が、だんだんと海に広がっていたが、急に消えてしまう。完全に夕日が水平線の下に消えてしまった。気がつけば街灯が灯り、後ろを振り向けば、夜の帳が山から下りてきているようだった。
 急いで宿に戻り、一刻も早く、風呂に入りたかった。いくら夕日に魅せられたとはいえ、今までのことからも、早く潮の香りを身体から取り去ってしまいたかったのだ。
 さすがに冬のこの時期、なかなか宿泊客はいないようだった。ホテルのロビーでホテルマンがあまり忙しそうにしていない。私の目はすぐにそういうところを見てしまう。目敏い性格なのだろうか?
 部屋で浴衣に着替え、ホテル自慢の露天風呂へ向う。寒いこの時期の露天風呂というのもオツなもので、私には嬉しかった。
 脱衣場で浴衣を脱ぎ、湯船のある露天に出ると、さすがにまわりが寒いせいか、湯気で一瞬何も見えなくなるほどであった。お湯を身体に掛けるが、心底身体が冷え切っているのか、ちょっと掛けただけでも芯まで感じる熱さである。ゆっくりと湯船に浸かってまわりを見ると、入っているのは私だけ、想像はしていたが、大きな湯船を独占できるのは、大人になった今でも嬉しいことである。
 街灯に湯気が掛かってかすんで見える。思わず先ほどの夕日を思い出していた。
――綺麗だったな――
 目を瞑ると瞼の裏にしっかりと残っている。露天風呂でついさっき見た、今まさに沈む夕日を思い出すというのも贅沢なものである。少し奮発してもゆっくりできるホテルを選んだのは間違いではなかった。
――こんな気持ちになった自分を遠くから眺めていたい――
 と感じたのも事実で、きっと顔は無表情だろう。だが、何も考えていない無表情さではないのが分かっているだけに、少し離れて見てみたい気がした。
 真っ暗な中に湯気が上っていく。上っていく湯気の先に見えるもの、それは今までに見たこともないような満天の星空だった。
「星がこんなに綺麗だなんて」
 手を伸ばせば届きそうな星空で、湯気を掴むつもりで手を伸ばしてみる。湯気はおろか、天空を掴むなど愚の骨頂、遠さを再確認するに留まるだけである。湯気が近くに見えるのに、それすら手が届かない。湯気があるおかげで、天空の遠さがハッキリ分かる。
 しばし空を見上げていると、オリオン座の三ツ星を発見した。いや、オリオン座だと分かった瞬間に三ツ星も分かった。小学生の頃、星座に興味のあった私は、冬の空を見る時、無意識にオリオン座を探している。ひときわ煌くオリオン座、その大きさは田舎の澄んだ空気だからこそ味わえる。手の平をかざして大きさを確認していると、さらなる遠さを感じるのだった。
 高校の時、学校からの遠足で登山というのが多かった。住んでいる地域の裏手には、高い山が点在していて、山脈を形成していた。普通の登山コースはもちろんのこと、オリエンテーリングができる環境も整っていて、年に何度も大会が行われていた。私も数度参加したことがあるが、いつも参加賞だった。
「参加することに意義がある」
 とオリンピックの標語にもあるが、まさしく私にとってオリエンテーリングとはそんなものだ。大自然に抱かれての競技は、普段感じることのできない自然の営みという息吹きを肌で感じさせてくれる。命の洗濯と言えるのではないだろうか。
 普通の登山も好きだった。いつもそこにあるにもかかわらず、あまり気にすることもない山という存在。遠くにあるわけでもなく、なければこれほど違和感を感じることもないだろうと思うにもかかわらず、ついつい気にならない。
 そう、そこにあるだけでいいのだ。存在感こそがすべて、山とはそんなもの。自然すべてに言えることかも知れない。
 登山の時、集合場所から見上げる山は、緑一色であり、
「あんな綺麗な山に登るんだ」
 とワクワクして出かける。
 私が初登山に出かけた時だ。それは従兄弟と一緒に登った時で、従兄弟のおにいさんは、登山には慣れているようだった。
 遠いようで近くに感じる。
作品名:短編集21(過去作品) 作家名:森本晃次