短編集21(過去作品)
「目が覚めたの? シャワーでも浴びてらっしゃい。気持ちいいわよ」
その言葉に逆らう気などない。シャワーを浴びたいというのは私の願望でもあった。疲れた身体を起こしたが、それほど苦になるものでもない。私がシャワーを浴びている間、良子はベッドでじっと待っていてくれた。
「暗すぎるね」
目は暗さに慣れていたが、わざと明かりを少し強くした。
「いや、恥ずかしいわ」
と、口ではいいながら、まんざらでもなさそうだ。容赦なく適度の明るさで止めた私は、ベッドを剥ぐって良子の生まれたままの姿を堪能していた。先ほどまで、あれほど緊張していた自分がまるで嘘のようである。知らない間にここにいたことが一番口惜しいのだ。
「やっ」
何かを言う前に唇を塞ぐ。甘い香りが口の中から漂っていて、もう後戻りできないことを感じていた。
女性経験は今までにほとんどない。なぜ、良子に対してこれほど積極的になれたのか、自分でも分からない。リードされっぱなしで悔しかっただけ? それだけでは説明がつかない。
敏感なところを一気に責めることもなく、適当に焦らしていると、淫靡な部分が十分に潤いを示し、身体がいやいやをしているかのように、くねっている。
「かわいいよ」
主導権は完全に私に移った。これが男の性であり、女の性、そう感じながらお互いに興奮を高めていく。
ここは二人だけの世界、永遠に終わりが来ないのではないかと思える空間だった。
興奮が最高潮に達し、自分の中にある欲望が放たれた時、男は憔悴する。私も今までに抱いた女に対して、ほとんどがそうだった。一気に昂ぶった気持ちが萎えると、そこには罪悪感にも似た虚しさが襲ってくる。
果たして良子に対してはどうだったのだろう?
オンナとして意識してしまうと、私の興奮は最高潮に達するのも早いが、覚めてくるのも早い。きっと自分の気持ちを確かめることなく相手を抱いてしまうからだろう。相手の気持ちを確認しながら抱いているつもりでいたが、自分の気持ちも一緒にその時に確認しようという思いがあるに違いない。
しかし良子に対しては最初から冷静だった。オンナとして見ていなかったわけではないが、それよりも女性として見ていたといった方が的確な表現かも知れない。それは相手が年上だと意識しているからで、これほど年齢を意識するなど、今までの私では信じられなかったことだ。
しかし、いざベッドで身体を重ねると、主導権は私にあった。年上ということを感じさせない良子が初めて見せた私に対しての、甘えるような態度。男としてのもう一人の自分が身体の中にいることを感じていた。
――もう一人の自分――
今までにも感じたことがある。
あれは中学の頃だっただろうか?
私はいつも同じ行動パターンを取らないと気がすまない方である。どちらの足から校門を潜るかであったり、同じ時間に家を出たら同じ時間に学校に着くようなリズムでなければ気に入らない。一日のリズムが崩れてしまう気がするのだ、
そんな時、いつもの時間に出かけたが、途中で、急に忘れ物を思い出した。なくてもいいようなものだったと思う。いつもであればきっと気にせずに学校まで行っていただろう。もう学校までの半分の距離は来ていた。
「取りに戻るんだ」
どこからか声が聞こえたような気がして、気が付けば家に戻っていた。
変だと思いながら学校に再度向うと、途中の道で交通事故が起こっていた。車の一台は電柱にまともに突っ込んでいて、もう一台はスピンしたように、タイヤの跡を生々しく残したまま、横を向いて止まっていた。思わず、
「危なかった」
と呟いた。そこは私がいつも通る通学路で、後から聞けば、時間的には私がいつも通りかかる、まさにその時間……。じっとりと背中に汗を掻いて、立ちすくんでいた記憶がある。
虫の知らせというには、あまりにもリアルだった。ハッキリと声が聞こえたが、最初は誰の声か分からなかった。自分の声ではないかと思っていたが、それにしては少し違う。
「自分の声って、人が聞いているのと自分が感じるのでは、少し違うからな。自分で感じる方がハスキーな感じがするんだよ」
と聞かされたことがあった。
――やっぱりあの声は自分の声だったんだ――
それがもう一人の自分を意識し始めた最初だった。
オンナを抱いた時に感じる自分、これも、もう一人の私なのだ。だが、
――もう一人の私って一体何人いるのだろう――
中学の時に教えてくれた自分と、オンナを抱く時の自分、同一の性格だとはどう見ても思えない。実に不思議な気持ちだ。
良子は私にとって恋人だっただろう。今まで抱いた女たちに感じたことのない思い、最初から違っていた。
他の女たちは最初、私に思わせぶりな態度をとっていて、それに私がまんまと引っかかったようだ。お釈迦様の手の平の上で弄ばれる孫悟空だったのだ。私がその気になるとたくみに私の気持ちを誘導し、身体を重ねるところまでいくと、引いてしまう。
それが分かっているので、良子相手には私自身、かなり大人の態度が取れたはずだ。それだけ冷静で気持ちに余裕があったのだろう。
良子と身体を重ねて初めて分かった気がする。
――興奮を放った後に訪れる憔悴――
これがすべてだったのだ。
オンナというのは私が考えているよりもずっとしたたかなのだろう。興奮の昂ぶりの中でも相手を観察できる冷静な目を持っているように思う。私は今まで、
――ベッドの中では本能の赴くまま――
と感じてきた。悪いことではないと思う。しかしあまりにもオープンにしすぎると相手に考えさせる余裕を与えてしまう。ベッドの中で相手に余計なことを考えさせてしまった自分が悪いのだ。
良子にはそれがなかった。ひょっとして初めて愛した人だったのかも知れない。
だが、別れはすぐに訪れた。
「私、今度結婚するの」
初めて愛し合って、数ヶ月してからのことだった。
それまで時間があったはずなのに、私から連絡することもなく、良子から連絡をくれることもなかった。一つ言えることは、
――良子は、もう自分のものだ――
という自負を持っていたことだった。
釣った魚にエサをやらないのと同じことではないだろうか。本当は、こんな時こそ連絡を取るべきではなかったのだろうか。相手に遠慮しているつもりだったが、それが大間違いであるということを知ったのは、かなり後になってだった。
それまでは、良子を恨んだりもした。私に何も言わずに決めたことをである。私を好きだったから身体を許したはずなのに、どうしてなんだと思った。
そして、
――結局女は自分勝手で、自分だけでさっさと決めて、私の前から去っていくんだ――
と思っていた。
それからの良子は、私に対して厳しい目をしていた。どうしても理由が聞きたくて、良子を待ち伏せたりしたこともあったが、良子は話すどころか、私を一瞥するだけで、立ち止まろうとしない。その目は軽蔑に満ちていて、初めて女というものを怖いと感じた。
さすがにそれ以上は何もできなかったが、そこから先は諦めきれない自分との葛藤が待っている。
男と女が恋人同士になる瞬間というのはいつなのだろう?
作品名:短編集21(過去作品) 作家名:森本晃次