短編集21(過去作品)
もちろん、持って生まれたその人の性格や、向き不向きがあるのかも知れない。酒やオンナで立ち直れば、それはそれでいいのかも知れない。普通に戻った時の直哉は、私にとっても尊敬できるタイプの男なのだ。しかし、それだけに情緒不安定に陥った時の直弥は私にとって一番扱いにくい。一緒にいるのが一番辛い相手になってしまう。
「お前は何も知らなくていいんだよ」
ある日情緒不安定に陥った時に、直哉がそう言って私に罵声を浴びせたことがあった。最初はどういう意味か分かるわけもなく、漠然と聞いただけだったが、次第に気になり始めていた。相変わらず意味は分からなかったが、和子がよく言う、
「あなたは何も心配しなくていいの」
という言葉と重なってしまい、言い知れぬ不安のようなものが私を襲う。
そのたびに何か考えようとして頭痛に襲われるのだ。
――二人は私のことで何か知っている。それはきっと私が自分では分かっていないことなのだ――
どこから来る苛立ちなのか、分からないからイライラする。
――本当に今考えていることは自分の記憶の延長なのだろうか?
人によって作られた記憶……。
自分が自分ではないような気がする瞬間だ。言い知れぬ不安で、袋小路を彷徨っている時、そのことを強く感じる。
病院のベッドのイメージが頭から離れず、考えようとすると偏頭痛の時の痛みがよみがえってくる。
「事情聴取は無理ですかね?」
廊下から声が聞こえる。話しているのはコートを羽織った男で、それほど人相がよさそうに見えないが、黒い手帳を用意して、細かいことも逃さないぞ、と言わんばかりの勢いで詰め寄っている。聞かれている白衣の男も少し圧倒され気味だったが、さすが職業柄慣れているのか、冷静な受け答えをしてる。首から聴診器をぶら下げているのが見える。
「ええ、難しいと思います」
「しかし、彼は犯人を見ているかも知れないんですよ」
そう言って医者に詰め寄ろうとするのを、
「いけません。落ち着いてください」
と同僚の刑事が制していた。さすがにここでこれ以上大声を上げるわけにもいかず、男はグッと抑えていた。
同僚の刑事に見覚えがある。
直哉ではないか。
――あれ? 直哉って刑事だったっけ?
自分の記憶とは少しかけ離れている。
「静かにしてください。患者さんに迷惑ですよ」
少し低めで落ち着いたように言い放った看護婦もよく見れば、和子ではないか。
――私の記憶はどうしてしまったのだろう?
意識が自分の頭を離れ一人歩きをしているようだ。
「患者さんは奇跡的に意識を取り戻したとしても、そこに真実が見つかるとは思えません。ハッキリ言って、今の彼は抜け殻同然です」
どうやら私のことを言っているようだ。医者のその言葉を聞いて看護婦の和子も頷いている。その顔はまさしく、
「何も心配しなくてもいいの」
と言っていた顔そのままである。
二人は必死に私を隠そうとしているのだ。
一人歩きを始めた私の目は次第にまわりを見始める。
――あれ? そんな――
まわりにいる人はすべて直哉と和子に見える。しかも表情も皆同じだ。私の記憶の中に二人以外は存在しないのだろうか?
――やはり今の私の記憶は作られたものなのだ。記憶なんて元々ないんだ――
もう、私が自分の肉体に戻ることはないだろう。どうやら私の肉体は今の記憶と同じで、私の魂が戻ることを許さないほどメチャクチャになっているようだ。
「死の瞬間」を垣間見た気がする。しかし、それは思い出すことはないだろう。きっと今考えていることを二度と思い出すことはないだろうし、他の肉体に移ってからも、もちろんそのはずだ。
「死の瞬間」思い出が走馬灯のように思い出されると言う人がいる。
私にとっての走馬灯。それがこの瞬間だ。
同時に記憶というものほど曖昧なものはないことを、思い知った瞬間でもあった。
イライラが次第に消えていく。きっと離れていく肉体の中に永遠に封印されることだろう……。
( 完 )
作品名:短編集21(過去作品) 作家名:森本晃次