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茨城政府

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 大手新聞記者から独立して、ミリタリー系のフリージャーナリストとして世界の紛争地帯で活動、尖閣事件における捨て身の取材で名を上げた。その後、豊富な知識と経験を活かしてノンフィクション作家として成功し、最近では、ノンフィクション作品の執筆の傍らで主に太平洋戦争に関するif戦記も手掛けるようになった。
 尖閣事件の真相に興味を持った篠崎は、その後、彼の著書を買い続けている。特に最近のif戦記は緻密な調査に基づいた背景と展開に、物語としてだけでなく資料性も高く、マニアには興味深い内容となっている。要するに篠崎は個人として、作家 古川 悟のファンなのだ。公務で参加している以上、古川との話は後回しにしなければならないが、この機会にぜひ交流を持っておきたい。というのが篠崎の本音だ。

 いちばん公務に関係しそうな話は、災害派遣時の港湾施設の適用拡大と臨時ヘリポートの整備。相手が海上自衛隊だから視点がこれまでとは違う。首都圏に隣接していることから高速道路のパーキングエリアを災害発生時に自衛隊等の前線基地とする整備は完了していたが、海と空については、新たな切り口だった。臨時ヘリポート整備など、ヘリコプターの活用については、さすが航空護衛艦の艦長だな、と篠崎は素直に納得し前向きな検討を約束した。募集事務所や広報は相変わらず「県立高校での説明会を開催させてほしい。」ということや、自衛官募集活動への理解と協力の依頼。いずれも細大漏らさず手帳にメモをする。
 この歳になると立食形式には疲れを感じるが、話している最中に会話に加わる人、減る人があり、その数だけ内容が広がり、そして変わる。人脈づくり、情報収集には最適な会食の形だ。
 自衛隊関係者との話に自分の言葉を織り交ぜながら、自治体、港湾関係者と話をしているうちに、古川の方も自衛隊関係者のの会話がひと段落着いたのであろう、料理のテーブルへ向かった。タイミングを見計らっていた篠崎は、ひたちなか市長の話が終わったところで「では。」と軽く会釈をして料理を取りに向かった。
「古川先生。」
「茨城県知事をしている篠崎と申します。」
 足早に辿り着き掛けた声に振り向いた古川に続ける。今まで巻末の著者略歴にある小さな写真でしか見た事が無かった男が戸惑うようにテーブルに皿を置く。その様子を見て初めて篠崎は自分が手を差し出していた事に気付く。
−失礼な事をしてしまったか?−
 後悔がよぎろうとした時、目の前の男の顔がほころび、優しい笑顔になる。
「古川です。お会いできて光栄です。知事。」
 篠崎の手を両手で握り返す古川の手は堅く、それでいて優しさで溢れているように感じた。
「こちらこそ、感激の至りです。先生の本は何冊も読ませていただきました。」
 自分も更に左手を重ねて両手で握手をすると、
「そうなんですか。ありがとうございます。私も小山に住んでいた頃は、茨城によく行ってたんですよ。あちらで飲みませんか?」
 解いた手でお互い、小皿を取る。
「ぜひ、私、大ファンなんですよ。」
 ローストビーフを小皿に盛る篠崎は、感激のあまり、大皿の料理に唾を飛ばさないようにトーンを落とそうとするが、嬉しさは隠せない。
「いやいや、恐縮です。」
 サーモンのカルパッチョを小皿にとる横顔には素直に照れ笑いが浮かんでいる。
 
「そこまで読み込んでいらっしゃるとは、嬉しい限りです。それならなおさら篠崎さんは、この慰霊艦隊の寄港を心待ちにしてたんじゃないですか?」
 ビールからウィスキーの水割りに切り替えた古川が好奇心の目を向ける。知事だって人間でしょ?そう言っているようだ。さすがはジャーナリスト、といったところか。大好きな作家、その作品から人柄を知っているように感じ、親近感を覚える事は、錯覚なのかもしれない。変な記事を書かれたらさすがに困る。
「そうですね。供養、慰霊の気持ちはもちろん強いですし、そのつもりで知事として参加しましたが、『あきづき』に『あたご』、空母の艦名だったのに潜水艦になってしまいましたが『そうりゅう』、そして名実ともに空母だった先代の後継ともいうべき『かが』その他ゆかりの深い艦をよくぞ集めたな。という感激はあります。マニアですから。それに、そういった艦を通して過去を振り返り、想いを馳せる事も供養になると思うんですよね。」
−茨城県知事は供養よりも趣味優先の戦争マニア−
 などと記事にされたら大変な事になる。
−だが−
 政治家として言葉を選びながらも心のどこかでは、
−この作家に自分の事を知ってもらいたい−
 という気持ちを完全に抑える事ができない。
 頷きながら相槌をうつ古川の目が熱を帯びる。
「そうなんですよね。私もそう思いますよ。戦争犠牲者、特に軍人・軍属に対する供養というのは、命を落とした人を「かわいそう」と同情することだけで済ませてはいけない。と思うんですよ。
 交通事故や、犯罪で理不尽に命を奪われた犠牲者を「かわいそうに」と思うのとは訳が違う。なぜなら自ら死に向かって行ったのですから。だから「かわいそうに」の先にある理由を知らなければ本当の供養にならないと思うんです。言葉ではどう語っていても、誰もが本能的に死にたくはないはずです。でも死んでいった。なぜか?本能に逆らって自らの命を投げ出して戦った。その心の内を探るのは難しい。
 例えば、死を前に遺書や手紙を残した多くの特攻隊員。しかし、何でも検閲されるあの時代、その行間から彼らの想いを読み解かなければ、誤解さえ生まれてしまう。ならばどうするか?学び、理解するしかないと思うんです。彼らと家族の、そして日本が置かれた状況を、そうすれば、彼らが何を憂い、何を守るために命を投げ出して行ったか、その一縷の希望を誰に託したか、それが見えてくると思うんです。そのうえで、「かわいそうに」とか「ありがとう」という思いで手を合わせてあげるのが一番の供養になるんじゃないか、そう思っているんですよ。」

 古川はその想いを強めの語気で吐き出すと、水割りを呷るように口に含むと、一瞬の間を空けて飲み込む。その言葉にジャーナリストへの警戒が緩むと、篠崎は、ビールを一気に飲み干し言葉を継ぐ。
「そうですよね。子供の頃、戦艦大和や、零戦を本で見て、ただひたすらカッコいい。と思ってました。バンザイ突撃や特攻さえも勇敢だと思いました。国のために、みんなのために突っ込むなんてカッコいいじゃないですか、ま、子供ですからね。
 それが、中学に近付くにつれて、周りに批判する子が出始めました。「戦前の日本は悪い国だったのに。あんた戦争バカなんじゃないの?」って具合にね。それでも私は変わりませんでした。だってカッコいいもんはカッコいい。でもね、ある日、そう、祖父の家に泊りに行った晩でした。戦時中、陸軍の軍属として戦闘機の整備をしていた祖父は、飛行機好きの私に、よく飛行機の話をしてくれました。それで、晩酌をしている祖父に、いつもの調子でこう聞いたんです。
「特攻隊って、「天皇陛下万歳!」って言って突入したんだよね。」とね。
 いつも面白可笑しく話をしてくれる明るい祖父の表情が曇り、下を向いてしまったんです。そして、こう言ったんです。
作品名:茨城政府 作家名:篠塚飛樹