茨城政府
以上、慰霊と展示を目的とした艦隊といえども、ヘリコプター搭載護衛艦から空母化された航空護衛艦『かが』を筆頭にイージス艦である防空護衛艦1隻、バランスの取れた装備で対空、対艦、対潜水艦戦闘全てに対応する汎用護衛艦4隻、通常動力潜水艦としては世界トップクラスの『そうりゅう型』潜水艦2隻、そして今回は陸上自衛隊の強い要望で、災害派遣の実績と絡めて近年重要になって来ている島嶼防衛への理解を求めるために、慰霊とは無関係だが、輸送艦『しもきた』と補給艦『ましゅう』も艦隊に組込んでいる。特に戦車を搭載した輸送艦『しもきた』を戦車もののアニメで一躍聖地となった大洗に派遣することにしたのはファンサービスを狙った自衛隊の粋な計らいなのかもしれないが、観光流動が増え、茨城県にしてもありがたい話だと篠崎は思っている。
合計10隻の堂々たる艦隊。やる気になれば弾道ミサイル防衛を含む防空、航空攻撃、対艦攻撃、対潜水艦戦闘、艦船護衛に通商破壊、洋上補給に上陸戦闘まで行えるこの艦隊は、まるで現代海軍の縮図のようだった。ちなみに航空護衛艦や防空護衛艦などといった呼称は、ヘリコプター搭載護衛艦『いずも』と同型艦の『かが』を改装しF−35Bステルス戦闘機を搭載できるように空母化した際に、以前の『かが』のようにヘリコプター運用に特化した艦や『あたご』のように無敵の防空システム、イージスシステムを搭載した艦も、対艦、対空、対潜をオールマイティーにこなす汎用護衛艦も、ひと括りに『護衛艦』と呼んでいたものを、役割毎に呼び方を明確化することを目的に始まった新たな呼称だった。それでも空母を『空母』と言わず『航空護衛艦』。巡洋艦クラスのイージス艦も『巡洋艦』と言わず『防空護衛艦』。誰がどう見ても駆逐艦である汎用護衛艦も『駆逐艦』とは言わない。戦闘艦は必ず護衛艦。と呼ぶ遠慮深さがあるからこそ自衛隊なのかもしれない。
−これだけの艦隊を、あの時代にタイムスリップさせたらどうなるのだろう。太平洋戦争の時代に−
元来、妄想好きの篠崎にとってよくある歴史のif、小説の世界では『if戦記』なんてジャンルがあるのだから、そういった妄想をもつのは篠崎が特異なのではなく、他国に征服される事もなく永く深い文化をもつ歴史の中で唯一悲惨な負け方をした民族の妄想なのかもしれない。いや、それだけではない。アジア各地が欧米の植民地となって同じ人間でありながら肌の色の違いや、技術力の差で虐げられ、搾取されるのを目の当たりにしてきた日本。そうはさせじと欧米に肩を並べようと必死に富国強兵に取組んだ日本をABCD包囲網で追いつめ、それでも日米の国力差を懸念する日本は、平和的解決を求めて日米交渉を続け、妥協案を示してきた。しかし、アメリカは態度を急激に硬化しハルノートで資源に乏しい日本の首を絞めた。生き延びたければ明治初期の勢力にまで縮小することを強いるアメリカ、それは日清・日露戦争や欧米列強の様々な干渉などの幾多の理不尽と困難に立ち向かい、犠牲を払って積み上げてきた当時の日本にはとうてい受け入れられない。仮にそのような理不尽を受け入れれば、以後、さらなる理不尽を突きつけられ受け入れざるをえない「四等国家」に転落してしまう。そして仮に独立を保てたとしても、欧米列強に蝕まれ、搾取されてもはや国家として成り立たなくなるであろう。
白人至上主義で欧米が植民地からの搾取により繁栄していたその時代、有色人種の国家で植民地になっていなかったのは、エチオピア王国、タイ王国そして大日本帝国だけであったことからもその危機感を測り知ることができる。
国策方針を決める御前会議後に、海軍軍令部総長だった永野修身が軍の運用・作戦を取り仕切る統帥部を代表する形で語った言葉が木霊する。それは歴史のifを妄想する時にはいつも篠崎の心に去来する言葉だ。
−戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである。−
その後に行われた連絡会議で、最後の国策方針を決める際、首相の東條英機が、これまでに挙げられた3案、即ち、
一.戦争を極力避け、臥薪嘗胆する
二.直ちに開戦を決意、政戦略の諸施策等はこの方針に集中する
三.戦争決意の下に、作戦準備の完整と外交施策を続行し妥結に努める
に対して、他にないかと出席者に尋ねた際、第四案として「日米不戦」を提案し、陸海軍は矛を収めて政府に協力し、交渉だけで問題を解決する方針を提示した人物もこの永野である。それぐらい日米開戦は軍にとって、特に海軍にとってはリスクの高いものだったのだ。
それぐらいの知識は篠崎にもある。だからこそ、この悲壮な戦いにifでもよいから華を持たせたくなる。
「戦うも亡国、戦わざるも亡国。か」
篠崎は呟く。
江戸末期の開国から欧米の植民地にされぬよう、欧米に追い付こうとして必死にもがいてきた後輩への「いじめ」に対して、このままいじめ抜かれて奴隷にされ、民族として滅びるよりは、自らの生存を守るために戦い、その想いを次の世代に残すことができれば、たとえ戦いに負けたとしても、民族はいつか再生するだろう。と挑んだ戦い。簡単に言えばそういうことだ。「確実にアメリカに勝てる。」とは誰も言えない。窮鼠猫を噛む。どうせ殺されるなら一矢報いて果てる。だから「戦うも亡国」なのだ。国が滅んでも日本民族であることを失わないための悲壮な戦いだからこそ歴史のifを考えたくもなるのかもしれない。
−この歳になっても−
篠崎の少年の部分は、今でも歴史のifに想いを馳せてしまう。いや、「少年だから」ではないのかもしれない。歳を重ね、考え方も見聞も知識も磨かれてきたのだから、ifの理論も進化しているのかもしれない。
真珠湾、珊瑚海、ミッドウェイにしてもガダルカナルにしても、はたまたマリアナやレイテにしても、その瞬間には「それなりの」兵力を持っていたのだから、ぎゃふんと言わせたい。
若い頃、太平洋戦争の歴史をより深く学ぶよりもif戦記に浸り、当時流行ったシミュレーションゲームで再三に渡ってアメリカに勝利していたあの頃、勝ったといっても戦果が気に入らないと何度でもリセットを掛けてゲームを再開して得た勝利。それでも「もし、あの時、あの司令官が、こうしていれば。」などと、当時の指揮官を批判した。将棋のように待ったの効かない歴史を戦った先人に対して、リセット提督は気楽なもんだった。
今の篠崎は、そんなに簡単に勝てるとは勿論微塵も思っていない。それは、仕事も人生も知識も経験も年輪を重ねてきたから言えることだ。
あの頃、同じ趣味の友人達とゲームをしながら重ねてきた歴史感。
あの頃の友人の得意気な声が懐かしく響き苦笑する。
−そんなに簡単なことじゃあない。−
物事は、様々な要素が絡み合って動き、そして、そこに在る。