茨城政府
仮にあの閃光がきっかけだとしたら…あれが核爆発の閃光ならば電磁パルスで通信障害は発生する。しかし、いつまでも通信障害が続くわけではない。だが、核攻撃を受けて横須賀の護衛艦隊司令部や、その他指揮機能、通信施設が破壊されてしまったとしたら、こちら側の通信機器に異常がないことも頷ける。
−−やはり、もう一度司令と相談しよう−−
司令官公室へ向かうべく艦橋を出た金成の目の前に、純白の制服を着た長身の男が駆け寄り一礼する。ずっと走っていたのか、呼吸を軽く整えてから、背筋を伸ばす。
「艦長、これを」
短く言ってメモを差し出す男の左腕には『自衛隊 茨城地方協力本部』と書かれた紺色の肩吊り腕章が見えた。
地方協力本部、略して地本は、自衛隊員の募集活動をメインとし、地域でのPR活動や各種相談窓口を担っている。茨城県に海上自衛隊の施設はないが、地本には海上自衛官もいる。この一等海尉の階級章を付けた男は、数少ない茨城県配属の海上自衛官。ということになる。
「ご苦労様です」
答礼してメモを受け取った金成は息を飲んだ。たった2行のメモなのに疑問が噴出する。
「どうしてこれを?」
信じられない内容を信じるための出自を尋ねる。
「地本に県庁から電話がありまして、至急、海上自衛隊の指揮官にこれを伝えてほしい。とのことでしたので」
「本当に県庁なんですか?」
艦長であり、階級も立場も上であるが、他部署の隊員には丁寧に対応するのが金成という男だった。
「確かです。県庁と地本は連絡体制をとっておりますので間違いありません」
「了解しました。すぐに司令に報告します。地本でも本部長に報告をお願いします」
「了解しました」
金成は、踵を返す一尉を見送る間も惜しみ、足早に司令公室へと向かった。
茨城県庁の屋上ヘリポートに降り立った臨時護衛艦隊、通称慰霊艦隊司令官の清瀬智弘海将補は、エンジン出力を絞り、ローターの風切り音だけを大げさに振りまく護衛艦『かが』搭載のSH−60Kヘリコプターを背に、迎えの県職員の元へと大股で歩き出した。8月にしては汗ばむこともない気温は、ビルの屋上だからだろうか、ふと、そんなことを考えながら、いや、と清瀬は自分自身に否定した。あのメモにあったことが事実ならば、この気温も頷ける。
そのまま、案内に従いカードキーで開けられた分厚い鉄の扉をくぐると飾り気のないモノトーンの階段を下る。そして会議室や、倉庫など、様々なプレートが貼られたいくつもの扉が連なる廊下を巡ると、大きな窓のない金属製の扉の前で職員が立ち止まり、カードキーをかざして扉を重そうに開ける。
「どうぞ」
瞬間に耳を圧する喧噪と、熱気が清瀬を包む。そしてイメージの違いに感心すら覚えた。
清瀬は立場上、自治体との合同訓練で対策会議に参加してきたが、いずれも体育館に長机とパイプ椅子を並べ、床は電源や電話の配線がのたうち回る急ごしらえのものだったが、ここは違う。整然と並ぶ備え付けの机とその上に配置された電話にパソコン、長時間使用しても快適なメッシュ状の椅子、天井からは部署を示すプレートがさがっている。イメージと同じなのは、役割と所属が書かれたさまざまな蛍光色のビブスを着た職員が慌ただしく動き回り、声を張り上げている点だけだった。
案内の職員はさらに奥へ進み、周りから一段床が高くなった『対策エリア』と書かれたコーナーに清瀬を導いた。喧噪から遠ざかったこの場所では、スーツ姿の職員と様々な制服の人間が入り交じってある者は隣の人間と議論し、ある者はタブレット端末を見つめている。正面のモニターにはまだ何も映っておらず、会議に間に合った清瀬は、ほっと息をついた。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。県知事の篠崎です。昨夜はありがとうございました」
昨夜『かが』で開かれた式典で挨拶をもらった茨城県知事が、駆け寄り頭を下げる。挨拶を返した清瀬は、こちらへどうぞ、と示された席に座る。左に航空自衛隊の制服を着た空将補、右に陸上自衛隊の制服を着た陸将補が座り、着席した清瀬と簡単な自己紹介を交わした。
航空自衛隊の空将補は百里基地司令、陸将補の方は、勝田駐屯地司令で施設学校長も兼務しているとのことだった。勝田駐屯地は、水戸市の隣町、ひたちなか市に所在し、清瀬がヘリで飛び立った『かが』が停泊している常陸那珂港があるのもひたちなか市だった。清瀬は自分がヘリで移動したのは大袈裟だったかと思いつつ、資料に目を通す。その思いを打ち消すような悲惨な写真にヘリで来てよかったのだと自分に言い聞かせた。
「それでは、会議を再開させていただきます」
資料の配布が完了したのを見届け、知事の隣に立ち上がった男が一礼する。丸々と太った身体、愛嬌のある丸顔に団子鼻。県の幹部というよりは、某子供向けアニメのパン屋のおじさんを思い起こさせる。
「改めて、簡単に状況を説明させていただきます。先ほどお配りした資料をご覧ください。1枚目は、百里基地の戦闘機が撮影した本日の東京の様子と、利根川付近の謎の壁、この壁は県境付近の至る所で観測されています」
来たばかりの清瀬は、驚きの声をあげそうになったが、周りは言葉ひとつ発しない。きっと、清瀬が来るまでに議論し、現状を受け入れたということだろう。
受け入れる?これを?
清瀬は拳を強く握りしめ、資料を見つめる。
メモで状況は分かっていたつもりだったが、こうして写真を目の当たりにすると、とても平常心ではいられない。東京が廃墟となっている。地震や津波などの天災と異なり、瓦礫さえのこらない、黒く焦げたコンクリートや鉄骨を残すのみの圧倒的な暴力の跡、人間はなんと愚かな生き物なのだろう。と武器を扱う身であるからこそ、怒りがこみ上げてきた。
「そして、2枚目は、本日水戸市の大塚池に墜落した第二次世界大戦中の米軍戦闘機、そして百里基地に着陸した旧日本海軍の零戦と、そのパイロット墨田准尉の写真です」
えっ、零戦?
途中から参加したメンバーだろうか、そこまでは聞いていなかった。という驚きの声がところどころで挙がる。もちろん清瀬もその1人で、傍の百里基地司令に目を向けると、真剣な眼差しで頷き返した。
「知事、沢村助教授とオンライン会議の準備ができました」
零戦の写真でざわめきが起こり、会議が途切れたタイミングを見計らってか、情報担当と書かれたオレンジ色のビブスを着けた職員が篠崎と川崎の間に低く屈んで報告した。
「始めましょうか」
篠崎は傍の川崎に頷いてみせる。
「繋げてください」
川崎の言葉に情報担当が立ち上がり、モニターの近くにいる職員に合図する。モニターにチューブ状の巨大な輪が緑の中に鎮座する上空写真が映し出され
『時空転換装置の開発 つくば大学 工学部 環境エネルギー工学科 高エネルギー研究室』
という文字が誇らしげに画面を泳ぐ。全員がモニターに注目するのを横目に篠崎が立ち上がる。
「それではここで、今回の現象について、情報提供をいただきました、つくば大学の沢村助教授からご説明いただきます。正面のモニターをご覧ください」
ざわめく出席者に一礼した篠崎は、有無を言わさぬ意志でマイクを持つ
「沢村さん、県知事の篠崎です。聞こえますでしょうか?」