茨城政府
航空自衛隊 第七航空団 百里基地のトップである航空団司令の石山空将補が説明を終えるのを待つことなくざわめきが起こり、出席者は一様に対策エリアのモニターに映し出された写真に釘付けとなった、そこには利根川の流れに沿うように川の中央に真っ白な壁が存在している。まるで仕切りのように。
「で、これは一体何なんですか?」
喧騒に割り込むように土木部長が、長机に肘をついたまま片手を挙げて発言する。消防、警察、海上保安庁、電力会社の代表が怪訝そうな表情で海野土木部長を見る。
「現時点で分かっているのは、レーダーに映ること。つまり、電波を反射する物質であること。大きさについては、高さ300m幅は写真の解析により、約20mと考えられます」
ざわめきがどよめきに変わる。短躯に穏やかな表情とゆったりとした口調は、記章が縫い付けられた薄いブルーの夏服を着ていなければ、背筋の良い園長先生を思わせる。
「問題は、この白い壁だけではありません」
土木部長のぞんざいな言葉を気に留める様子もなく、穏やかに応じる。
あの震災を始め、激甚化する災害に献身的な支援をしてきた自衛官に対する国民の評価が高まり、自衛隊への入隊者が増えた。親近感が増したとはいえ、自衛官に横柄な態度をとる人間はどこにでもいる。同じ公務員なのに、県の土木部長と基地司令、どちらが偉いとか、そういう問題ではないが、こんな姿を震災後に入隊した隊員が見たらどう思うだろうか。
「問題って?」
土木部長の問いに、県庁職員の手前、威勢がいいのは良いが、腰を抜かすなよ。と、内心つぶやきながら、石山は、次の写真をモニターに映した。
「これが、壁の向こう側、千葉県を撮影したものです」
限りなく田畑が広がる風景を前に、一同は静まり返る。
「だから、何が問題なんですか?」
分からないか?無理もないな。本人は敬語を使っているつもりらしい土木部長の勢いに煽られることもなく、淡々と別な写真をモニターに追加して、先ほどの写真と横並びにする。
「こちらの写真、左側は先ほどの写真。つまり、本日の状況です。右側は、視野が若干異なりますが、昨年の10月に撮影したものです」
白い壁の写真の右には、爽やかな水色でずんぐりした形の飛行機が映り、眼下には帆引き船が、赤、緑、紫、色とりどりの帆を広げて操業している。白く巨大な帆を木製の船体の全長渡って大きく広げ、風の力で船を横流しにしながら網を引く独特な漁は、昭和40年代にトロール船に取って代わられたが、その後、観光帆引き船として復活し、国選択無形民族文化財に選定されている。周辺3市でそれぞれ期間を決めて運行しているが、年に一度の合同操業では、さまざまな色の帆引き船が一堂に会し、まさに壮観である。この写真は、救難機の訓練と広報を兼ねて撮影されたが、バックは利根川の流れよりも筑波山の方がよいということで没になった写真だった。
「帆引き船の何が問題なんだ。要点を言ってくださいよ」
重ね重ねぞんざいな言葉を吐く土木部長の態度を気にしてか、苦虫を噛み潰したような顔をしていた知事の表情が唐突に驚きに変わる。
「あっ、ないっ!」
「知事まで何を仰ってるんですか」
土木部長の自分の上司には最大限に敬う態度に、官僚の縮図を見たようで失望するとともに、久々に感じる憤りが首をもたげてきた。自分も公務員の一員であることさえ嫌になる。
「海野部長、聞く姿勢がなっていないから見えるものにも気づかない。違いますか?」
しんとした空気が漂い、県庁職員が背筋を正す。日頃の物腰柔らかい知事のイメージとは合わない鋭いもの言い。その本質を突く言葉と、こういった場でも部下を叱責する潔さに石山は感銘を受けた。
「失礼しました。石山司令、続きをお願いします」
深々と一礼した知事に大きく頷き、石山は続ける。
「あ、これは失礼しました、続けてください」
軽く頭を下げた知事に感謝の気持ちを込め頷く。これから話すことには、真剣に聞いてもらう必要がある。『まさか』という反応は、何の解決にもならない。
「この白い壁の向こう、千葉県側には、成田空港が見えるはずなんです。本日撮影した左の写真。これには成田空港がありません。しかも、見比べていただくと分かると思いますが、全体的に見て、千葉県側は殆ど田畑になてっいます」
どよめきが起こる。何かを言いおうとした土木部長は、先ほどの知事の叱責を思い出したのか、発言をせずに周囲の部下に何やら当たり散らしているように見える。
「それはつまり、千葉県が千葉県じゃない。ということですか?」
騒然とした場を鎮めるように知事が先を促す。
「地形を照合しましたが、千葉県であることは確かです。我々は、白い閃光について、核攻撃の可能性も視野に入れた状況偵察を行いましたが、破壊の痕跡も見当たりませんでした。このように、成田空港があるはずの場所には、何事もなかったかのように田畑が広がっております」
核攻撃。という言葉に一瞬ざわついた室内は、続く破壊の痕跡がない。という言葉に安堵の溜息に変わったが、無傷な田畑が広がっていることの重大さに気づいた者がいないことが、石山を落胆させた。自衛官である自分から切り出すにはあまりにも気が重い現実。いや、本当にこれは現実なのか?この写真は正直出したくなかったが、
「成田空港があった場所の左手奥をご覧ください」
一斉に目が向けらたことを確認して、その部分を拡大する。蜃気楼のように歪み、距離に霞んではいるが、蒲鉾型の建物と、左手には葉巻型の黒っぽい物体が浮かんでいるのが分かる。
「この位置には、旧日本海軍の香取飛行場がありました」
あえて過去形を使った説明に、疑問の波が起こる。
「香取飛行場があった。って、今はないんですか?」
さきほどの土木部長が敬語尋ねた。
「旧日本海軍の飛行場です。現在は工業団地となっています。霞んでいてみずらいと思いますが、この蒲鉾型の建物は格納庫、浮かんでいる黒い物体は、一式陸上攻撃機。旧日本海軍の爆撃機と思われます」
一同が騒めく。
「きゅ、いやぁ、旧日本軍って言ったって、何十年も前の話じゃないですか。映画かなんかの撮影じゃないんですかぁ?」
土木部長が大げさに扇子を仰ぐが、その顔には、さっきまでなかった大粒の汗が浮ぶ。
土木部長が次の言葉を発せず、喧噪も収まったことで、この部屋の面々が、ただごとじゃない状況をやっと理解したことを確認した石山は、ここからは憶測を混ぜないようにと自分を戒めた。自衛官である自分は情報を淡々と提供するだけ。判断するのは政治家の仕事だ。
そう自分に言い聞かせた石山は、ゆっくりと確かめるように言葉を続ける。
「本日、12時32分、百里基地に零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦が着陸しました」
「それと香取飛行場と、成田空港、いったいどんな関係があるんだ。だいたい君ら自衛…」
息を吹き返したように声を張り上げる土木部長の目の前に、太い腕が突き出され、驚きの顔を浮かべたまま土木部長が固まった。
「聞きましょう。海野部長。我々は専門家ではない」