茨城政府
10.現実
10.現実
茨城県庁の危機管理センター。展望デッキ下の24階フロアの大部分を占める広大なセンターの中央部には、周囲よりも床を一段高くした正方形の対策会議エリアが存在する。ここからは、正面、右側面、左側面の3方向は壁が無く、各セクションの状況が一望できる。そして背面には壁全体を占める大型液晶モニターがあり、様々な情報を表示することが可能だ。
今、モニターには、湖とその湖畔に建つ民家が映る。高低差がほとんどない凪いだ水面と庭を仕切る丸太状の杭は、時に荒波から守らねばならない海岸のそれとは異なり、洒落た佇まいを見せていた。スピーカーに現地の職員からの声が入ると同時に、映像が右に流れると、対策室にどよめきが起こった。
『現在、えー、国道50号線から、えー、大塚池を撮影しております。銀色のー、えー、銀色の飛行機が、1機、1機、墜落しています』
うわずった職員の声から、現地の異様さが伝わってくる。消防士が慌ただしく動き回っている。
「民家などへの被害状況は?死傷者はいないのか?」
普段は優しい川崎防災・危機管理部長の言葉尻が怒鳴り声に近くなり、彼の急変癖を知らない職員が驚きで肩をビクッと動かす。
『えー、消防によりますと、民家などへの被害はありません。大塚跨線橋に激突した3機のうち、2機は畑に墜落し大破炎上、さきほど鎮火しました。1機がこの大塚池に墜落しております。現在、消防のダイバーが機体を岸に引き上げる準備をしております』
怒鳴られて落ち着いたのか、現地職員が理路整然と応える。
「じゃあ、死者なしで、跨線橋を走行していた車の軽症者10名のみなんだな」
『その通りです。救急隊による搬送は完了しております』
対策エリアに安堵の空気が流れる。
「了解しました。また何かあれば報告してください」
川崎防災・危機管理部長は、通話を切ると、画面に茨城県の地図を表示した。
「それでは、知事、お願いします」
先ほどとは打って変わった冷静さで、篠崎に議事のバトンを渡す。
「皆さん、お休みの所、急遽お集まりいただきありがとうございます」
篠崎は、深々と頭を下げ、続ける。
「お手元の資料をご覧ください、これは現在入っている情報を箇条書きにしたものです。まだ到着していない部課長には、緊急メールで送信しています」
全員が資料に目を向けたのを確認した篠崎は、話を進める。
「現在、明確に確認できている被害は、先ほどの大塚跨線橋の航空機事故のみです。この事故との関連性は不明ですが、本日正午に、県内各地で閃光が確認されており、因果関係は不明ですが、この時を境に様々な異変が発生している模様です。航空自衛隊の報告によると、県南部の利根川に沿って、白い巨大な壁が出現したとのことです。同様の事象は、NRからも寄せられています」
どよめきが起こったため、篠崎は一旦言葉を止める。無理もない、自衛隊も鉄道会社のNRもデマを流すような組織ではない。確度100%の事態が起きているのは明白だ。静まり返ったのを確認し、続ける。
「県としては、まず因果関係の調査よりも、発生した異変の確認と、その対策を優先させます。まずは可能な限り情報を集め、共有リストにアップしてください。人命に関わる事案については、即報告をお願いします。では、川崎部長、お願いします」
川崎にバトンを戻すと、篠崎はゆっくりと腰を降ろす。信じられない事態に驚いているのは篠崎も同じだった。
痰を切るような強い咳払いをすると、川崎が担当分けと状況、注意事項を手際よく伝達していく間に、壁の液晶モニターには続々と状況が表示され始めた。
・他県との電話不通(水戸市、ひたちなか市、常陸太田市、石岡市、他)
・白い壁が出現し、通行できない(常陸太田市、北茨城市、鹿嶋市、NR東日本)
・テレビが映らない(NHK水戸支局に苦情多数。)
・急に気温が下がった。4月並の水準(水戸気象台)
・一部停電、他県の発電所からの送電なしのため(東京電力)
脈絡なく並ぶ個条書きに、共通点を見いだそうとすればするほど、百里基地の石山司令が言っていた零戦52型が脳裏に浮び、離れない。濃緑色の零戦と墜落した銀色のマスタングらしき機体。この組み合わせは、決して偶然ではない。そして、自分も遭遇した視界を埋め尽くすほどの閃光。利根川沿いに出現した白い壁に至っては、もはやSFの世界だ。そして、その白い壁の情報は、鉄道会社のNR東日本からも寄せられている。
胸ポケットに振動を感じ、反射的にスマートフォンを取り出すと、画面には、着信通知が表示されている。
差出人は、古川悟氏、タイトルは『P-51Dです』
「そんな馬鹿な」
思わず声を上げた篠崎に周囲のざわめきが静まり、視線が集まるが、それにも気付くこともなく、篠崎は震える指でスマートフォンをタッチする。画面には本文の文字が隙間なく並ぶ、受け入れたくない現実、言いようもない不安に、ただ呆然と見つめる。そこに『硫黄島』という文字が飛び込んできた。
太平洋戦争末期、激戦の末、米軍に占領された硫黄島には、超空の要塞とも言われたB−29爆撃機を護衛するために、P−51Dマスタング戦闘機が配備された。高速で航続力が長いこの戦闘機は、B−29爆撃機の護衛だけでは飽き足らず、日本各地を襲い、他の米軍機同様、老若男女、学校そして子どもたちまで無差別に銃撃を加えた。
現場からの映像で、P−51Dではないかと思ってはいたが、どこかでそれを受け入れられない自分がいた。だが、それは今、確信となった。軍事評論家の古川が見間違える筈がない。それに石山司令も零戦を見間違えるはずがない。マニアとしての自分だったら、そのほうが心くすぐられるが、知事としては、そうは行かない。事故は事故、自然現象は自然現象だ。白い壁は、きっと何らかの自然現象だ。そうすれば通信障害や停電の説明もつくだろう。気温の低下だってそうだ。零戦やムスタングはマニアとしての得意分野だから想像が膨らんでしまう、それだけのことだ。
白い壁と、このP−51D、そして百里に降りたという零戦は、まったくの別物だ。まずは、飛行機事故の処理と、自然現象の白い壁の調査だ。停電や通信、鉄道、道路は、インフラの危機だ。担当する企業、団体と連携していかなければならない。
よし、そうしよう。
自分に言い聞かせると、一瞬引き締めた口元を開き指示を出す。
「川崎部長」
篠崎は、ハンドタオルで汗を拭きながら扇子をあおぐ川崎防災・危機管理部長を呼ぶと、インフラの整備と事故処理の指揮を指示し、自分は白い壁の究明にあたるべく別チームを編成することを告げた。
関係者を集める川崎部長の声を背後に聞きながら、『連絡』と背中に書かれたオレンジ色のビブスの若い職員に土木部長を呼ぶように伝えると、自ら本部長席の受話器をあげて百里基地の石山司令へ電話した。今、白い壁について、最も情報を掴んでいるのは、あの白い閃光に対して、唯一能動的に動いた航空自衛隊だけだった。
※
「この写真は、白い閃光が発生した直後に緊急発進させたF−2戦闘機が霞ケ浦上空で撮影したものです。左右に流れる川は利根川です」