茨城政府
「飛行機から貰い事故、ですか。飛行機でも貰い事故って言うのかな。それにしても米軍機とは、」
予想より遥かに小さな損害に胸を撫でおろした篠崎の口から、思わず軽口がこぼれる。川崎の表情が1ミリも変化しないのを繕うように篠崎は言葉を続ける。
「米軍機が3機も激突して無事とは、跨線橋も随分と頑丈に出来てるんですね。防衛省から連絡はないですか?テレビ、ニュースは?」
「防衛省からはまだ連絡がなく、電話も繋がりません。テレビも御覧の通り、何も映らないんです。」
テレビ番組も表示できる巨大モニターは黒く、チャンネル番号を隅に表示していなければ電源が入っていることに気付かない。
「滅多に使わない部屋ですからね、点検してもらいましょう。とにかく大きな事故にならずに良かったです。現地の写真はありませんか?」
それにしても肝心な時に使えないとは。年に一度の総合防災訓練で使っているだけじゃ維持できないな。月イチぐらいで訓練兼ねて使わなければ宝の持ち腐れだ。
「タブレットを御覧ください。現地の田中君がメールで送ってくれました。」
「流石ですね、助かります。」
機材の管理はともかく、人手の少ない状況下でも、部下を現地に送り込んだ川崎の判断に素直に感謝しつつタブレットを操作した手が反射的に震えた。
「これは。」
水面に逆さまになった銀色に輝く機体、星を模した米軍の国籍マークは翼の前端から後端までいっぱいに広がる。敵機からの視認性を欺くために小さくモノトーン化された今時の国籍マークとは趣がまるで違う。しかも定規のように真っ直ぐな直線翼はプロペラ機であることを主張している。そして篠崎にとって何よりも信じがたかったのは、胴体の真下に突き出した座布団のような部品。これは紛れもなくあの機体、P−51Dムスタングのであることを示していた。
「これは。ありえない。絶対に。」
篠崎は震えた手を気付かれないように庇う。
「どういうことでしょうか?米軍機に間違いはないですよね。」
川崎の目が篠崎をなだめるように見つめる。だが口調はあくまでも部下の口調だ。
「いや、そうじゃない。あ、いや。そうなんですが、今のじゃない。」
「今のじゃない。と仰いますと。その旧式を米軍が飛ばしていたということでしょうか?まだ防衛省につながらないので確認ができておりませんが、」
「いや、違うんだ。違うんです。」
冷静に分析しようとする川崎に「男ならあれを見て分らんのか。」という言葉を呑み込む。
「P−51Dムスタング。第二次世界大戦中の戦闘機です。大戦末期の傑作機。零戦も歯が立たない。」
−言葉に出すと案外冷静になるもんだな−
あまりの出来事に篠崎は、まるで自分がここに居ないかのような錯覚に陥る。
「それなら、マニアの所有機でしょうかね。レストアしたりとか。」
「いや、私もマニアのはしくれですが、日本国内には1機も存在しない。それが3機もいたんですよね?」
「はい。3機です。まさか、」
部下を怒鳴りつけていても優しい川崎の目が、困惑に染まる。
「そのまさかかもしれない。だから防衛省と連絡が取れないんだ。」
東日本大震災に関東・東北豪雨での鬼怒川氾濫。想定外の地震や水害に対応してきたこの危機管理センターは、いったいどこまで想定して作られているのだろうか。いや今度のこれも災害に入るのだろうか。
「知事、ホットラインです。百里基地の石山司令です。」
全員の目が県知事である篠崎に集まる。
「はい、篠崎です。」
電話の相手は、航空自衛隊 第七航空団 百里基地司令 石山栄一 空将補。マニアの篠崎にとっては、神のような存在だ。だが、今はそれどころではない。自衛隊から連絡があるということは【それなりの事態】を覚悟しなければならい。
「百里基地に零戦が着陸しました。52型です。」
「え、そんなまさか、いや、石山司令が見間違うことはあり得ませんね。あっ!」
脳裏にあの零銭が浮かぶ。博物館を低空で飛び去った零戦、低く轟くエンジン音。あの日、美晴と竜ヶ崎で聞いた零戦のそれと同じ音だった。そして大塚池に墜落したP−51Dマスタング。
ゼロ戦の名で有名な零式艦上戦闘機、本来は略して零戦(レイセン)と呼ばれる旧日本海軍の戦闘機は、無敵神話を作ったデビューから次々と現れる敵の新型機に苦闘しながらも終戦まで様々なタイプが製造された。52型は戦争末期の主力だ。そしてP−51Dは、その頃の日本軍機を圧倒し、我が物顔で日本を蹂躙した航空機のひとつだった。
あり得ないすべてがつながる。
「石山司令、先ほど水戸の大塚池にP−51Dマスタングが3機墜落しました。国道50号線の高架橋に激突したそうです。」
「何とも表現しかねますが、先ほど真っ白に光った後、東京方面にF−2を出しました。利根川を境に正体不明の壁が千葉県と仕切るように連なり、その先は景色が一変していたそうです。成田空港も確認できませんでした。もしかしたら。」
石山が言葉を区切る。
「成田空港は、確か昭和53年頃に開港でしたね。」
父に連れられて行った成田空港の写真を思い浮かべる。弟を宿した母と写る篠崎は4歳だった。
「それが無いということは、少なくともそれ以前の。いやまさか。」
石山は篠崎に答えを迫るように呟く。これは政治が判断すべきことだとわきまえている口調。
「零戦52型にムスタング、これらが共存する日本はいい時期でないことは確かですね。すみませんが、すぐに連絡官を県庁に派遣して頂けませんか?」
篠崎は丁寧だが手短に礼を言うと電話を切り、声を張り上げる。
「この事案について災害対策本部を設置します。第三次配備体制。消防、警察、自衛隊、海上保安庁に連絡官の派遣を要請してください。」
フロアが一気にざわつき活気に満ちる。その中には飛行機事故とはいえ、最大級の体制である第三次配備体制を敷くことへの疑問の声も混じる。飛行機事故、しかも犠牲者がパイロットだけの軍用機事故で休日に全職員の半数を参集させる意味が伝わっていなかった。
−そう、ただの飛行機事故じゃない。事態が明確になった時点で即応できる体制を取っておかなければ手遅れになる。とにかく人を集めておかなければ。−
−信じる信じないの問題ではない。とにかく目の前の事態に迅速に対応できるかが鍵だ−
篠崎は、部課長達に非常参集の指示は部下に任せ、集合するように伝えた。