茨城政府
画面には携帯電話番号のみが表示さ vbれている。知事となってからは、登録していない人に電話番号を教えた記憶はない。普段なら出ずに様子を見るところだが、何ともいえない胸騒ぎを感じた篠崎は、「失礼」と周りに声を掛け、入り口に向かって歩きながら電話に出た。
「はい」
不審な電話には安易に名乗らない主義だ。
『突然お電話して申し訳ありません。篠崎知事のお電話で間違いないでしょうか?』
事務的な言葉遣いの女性の声だが、惑いのような、そもそも知人でもないはずなのによそよそしいというか、不思議な違和感を感じる
「はい、そうですが…」
いったい何の用件だろうか、頭の中で検索モードになる。そもそもこの電話に掛けてくる女性などいないが、何故かホッとするような声、いやまさか。
『私、つくば大学 工学部 環境エネルギー工学科で教員をしております、沢村と申します。私どもの高エネルギー研究室の研究内容については、教授の高砂から会合等で御説明があったことと思いますが、御存知ということでよろしいでしょうか?』
沢村という姓の女性に心当たりがないことでホッとしたのも束の間、突拍子のない問いかけに内心焦りを覚えた。
「はい、時空転換装置の研究でしたら伺っております」
あの装置は、過去のクリーンな大気や水を、現在の汚染されたものと置き換える研究と聞いていた。初めて聞いたときは、無責任な研究だと思ったが、例えば汚染された大気が過去のクリーンな大気に放出されても、すぐに浄化されてしまうという。過去の自然の浄化作用を利用する斬新な研究だった。
『実は、何と言ったらよいか、お詫びと申しますか、私どもの研究が何らかの影響を発生させているのではないかと思い、お電話しました』
「研究の影響?ですか、どういうことでしょうか?」
『実は、責任者の高砂が、何者かに暴行を受けました。その際に時空転換装置が起動されたようでして、エリアブロック、つまり時空転換を一部エリアに制限する設定がされておりました』
沢村と名乗った女性の言葉は、丁寧だったが、説明は皆目見当がつかず、何を言いたいのか分からない。藁にもすがりたい現状と相まって、結論を急ぎたくなる。
「つまり、それはどんな影響が見込まれるんですか?」
腕時計を見ると、16時を回っている。現状に対する認識の結論を急がねば先に進めない。
『では、単刀直入に申し上げます。茨城県がタイムスリップした可能性があります』
単刀直入。という棘のあるアクセントに記憶の隅が反応したが、次の言葉ですべてが真っ白になった。
「タイムスリップ?そんな、いったいいつの時代に…」
『1945年4月1日。モニターにはそう表示されていました』
「そういうことか…これでハッキリしました。その装置の設定を戻していただければいいんですよね。高砂教授は御無事だったんですか?」
高砂教授に元に戻してもらえれば、それでこの問題は終了だ。篠崎は、無邪気に弾む自分の声を聞いた。
『それが、入院しており、意識がまだ戻っていないんです。装置も破壊されてしまったんです』
「えっ、そんな」
何も見えなくなってしまったような感覚に圧迫される。動悸が高まり、目の前が暗くなった篠崎は、その場にしゃがみこんでしまった。
何とかしなければ、県知事だろう。自分を叱咤し、かろうじて考えを巡らす。
「では、現在、特殊災害対策会議を行っております。オンラインで参加していただけませんか?途中からでも結構です」
『でも、ネットが不通で、』
「こちらで、つくば市役所に手配します。県と市町村で運営しているIBBN。あ〜、いばらきブロードバンドネットワークが使用できます。お手数ですが、市役所へ移動していただけますか?」
『分かりました』
よかった。原因が分かったからには、これを解決するだけだ。時空変換装置の修理とそれまでの対応を会議で決めればいい。
「フルネームでお名前を頂いてもよろしいですか?名乗って頂ければ通すように指示します」
『サワムラ ミハルです』
「分かりました。では、お待ちしております」
汗ばんだポケットから取出したメモ帳にカタカナで殴り書きをしてページを破り取ると、小走りに会議室に戻ると、川崎部長に経緯を話し、「タイムスリップ?」と驚きの声を挙げ、動揺する川崎に取り合う時間も惜しんで、部下にメモを渡してつくば市への手配を指示した。