茨城政府
12.時空
「石山司令。これがFAXで届きました」
首から下げたIDカードをかざして対策本部に入った石山に、県知事の篠崎が駆け寄る。数枚のA4用紙を持つ手が震えている。受け取った石山は顔をしかめた。写真ほど鮮明ではないが、その白黒の画像は、国会議事堂を斜め上から捉えたものや、丸い屋根の両国国技館に似た建物、そして隅田川だろうか、緩やかに曲がりくねった大きな川に立派な鉄橋が掛かっているものだった。共通しているのは、そういったランドマークの周囲のものは、何も存在しない。建物という建物が、人という人が、写真の隅、いや、その先まで延々と続くであろう焼け跡。瓦礫すら燃き尽くされて灰になった写真には、遮る家屋を無くした細い路地までハッキリ見てとれる。多くの民間人が犠牲となったことにあらためて激しい憤りが起こる。
「今、電話で報告を受けました。東京は焼け野原になっていたそうです。そして、東京タワーもスカイツリーも確認できなかったそうです。信じたくはないですが、零戦で降りてきた墨田准尉は本物ということになりそうですね」
石山は、申し訳なさそうにうなだれる。
「その…墨田准尉は、今日を…何日だと言ってましたか?」
篠崎の訊ねる声が震える。
「昭和20年 4月 1日」
石山は、ひと言ひと言を噛みしめるように答えた。
篠崎が肩からまっすぐに降ろした両の拳を力強く握るのが気迫となって石山に伝わる。
「昭和20年…そうですか…大変な事になりました。国民の、いや、県民の命を守らねばなりません。会議を再開します。こちらへ」
篠崎は覚悟を決めたように背筋を伸ばすと、石山を席へ案内し、川崎防災・危機管理部長の元へ向かうと、手にしたFAXを差し出した。
「川崎部長。これが今の東京です。
我々は、昭和20年に来てしまったらしい。本事案を『特殊災害』と称し、特殊災害対策会議として再開します。進行を頼みます」
「知事、これはしかし…本当ですか?」
いつにない強い口調に川崎は後ずさりながら答えた。
「私も信じたくありません。しかし、これが事実とすれば、一刻の猶予もありません。会議をしながら情報をまとめ上げ、対策を打っていきましょう。よろしく頼みます」
「分かりました。田中君、これ人数分コピーを頼む」
さすが本番に強い男だ。篠崎は、この人物に部長を任せたことについて、今日何度目かの安堵を覚えた。
「お配りした写真は、さきほど百里基地所属の戦闘機が撮影した東京の写真です。主に国会議事堂周辺となりますが、御覧の通り、焼け野原です」
川崎部長が内容とは裏腹の穏やかな口調で切り出す。「焼け野原って」異口同音のどよめきが収まると、一同を見回して太い首筋の汗をハンドタオルで拭って続ける。
「信じられないかもしれませんが、事実です。石山司令お願いします」
「お手元の写真は、本日15時頃撮影されたものです。御覧の通り、国会議事堂付近は焼け野原になっています。撮影したパイロットの話ですと、他の地域も同様の状況であり、東京タワーもスカイツリーも見当たらなかったとのことです」
どよめきは収拾がつかないほどの騒めきに変わると、意を決したように石山が声を張り上げた
「そして、先ほど懸案だった成田空港も」
一気に注目を集めるた石山は、全員の表情を確かめるように右から左に顔を動かすと、意を決したように続ける。
「存在しませんでした。そこに成田空港はなく、田畑が広がっていたそうです」
再びどよめきが起こると。
「確かなのか!何かの見間違いじゃないのかね?」
相変わらずな態度で土木部長の海野が声を荒げた。
「複座型、つまり2人乗りの戦闘機で偵察を行いました。パイロットが二人揃って見間違えたとは考えられません」
負けじと声を張り上げた石山、周囲が驚いたように静まり返ったのを機に、石山は篠崎知事をまっすぐ見つめると、先を促すように頷いた知事に目礼すると立ち上がり、周囲を見回してからゆっくりと続けた。
「百里基地に着陸してきたゼロ戦のパイロット、スミダタケシと名乗る人物の話によると、今日は、昭和20年4月1日とのことです」
「そんなバカなっ、そいつはいったい何歳なんだ」
どよめきに負けじと土木部長が怒鳴るが、石山は目くれずに続ける。
「大正8年生まれの26歳です」
「そんなバカな…」
土木部長が両肘をテーブルに付き両手を揉む。
「ちょっといいですか?」
防災・危機管理部長の川崎の隣の男が小さく手を上げた。「どうぞ」と川崎が軽く手を差し出す。
「そのゼロ戦のパイロット。スミダタケシと仰いましたよね?」
川崎の部下である消防安全課長の問いに、ちらほらと囁き声が起こり、「墨田君まさか…」と川崎が呟く。
「はい、その通りです」
石山が答えると、墨田消防安全課長は、ゆっくりと声を落として質問を続ける。
「漢字で書くと、ボクジュウの「墨」に、タンボの「田」、ブシの「武」に、ココロザシの「志」…でしょうか?」
ひと言ひと言、確かめるように続く言葉に石山の表情が堅くなる。
「その通りです。なぜ御存知なのですか?」
石山が驚きを隠せない表情で問う。
「私の曾祖父です。戦時中は海軍のパイロットでした」
今日何度目かのざわめきが湧き起こる。
「人違いなんじゃないか?タイムスリップしたとでも言うのか?」
土木部長が口を挟む。
「曾祖父は、亡くなりました。年齢から逆算すると、1945年、つまり昭和20年では26歳だったことになります」
土木部長に返すでもなく言葉を続ける墨田課長の席に歩み寄った石山は、胸ポケットからスマートホンを取り出して墨田課長に見せた。
「間違いありません、曾祖父です。父の実家に飾ってあった海軍時代の写真の人物にそっくりです」
昭和20年というワードがあちこちで噴出する。日本人、それも昭和の時代に教育を受けた人間で昭和20年をイメージできない者はいない。終戦の年だ。米軍の無差別爆撃、そして艦砲射撃によってあらゆる都市は廃墟と化し、あらゆる食料と燃料は底を尽き、住むところを失った国民は、飢えと貧困にも苛まれた。
歴史の教科書にあった青空教室−学校さえも焼き払われ、子供たちは外に机を並べての授業−を知らないものは居ないはずだ。
日本にとって、どん底の年。もし、今日が4月1日だったとしたら、戦争の真っ只中、いや、それどころではない、8月15日の終戦まで、日本中が蹂躙され続ける最中に居ることになる。
−茨城県だけなのか?−
篠崎は、テーブルの上に伸ばした両手を力強く握る。東京も千葉県も『今』ではなかった。何かの間違いであって欲しいが、犠牲が出てからでは遅すぎる。
−ミリタリーマニアの俺でなくたって、当時の米軍が圧倒的な物量で押し寄せてきたことは知っている−
「知事、もしそうだとしたら…」
川崎防災・危機管理部長が声を震わす。
「県民を守らなければなりません。誰か、現在の外気温度を教えてください」
篠崎が『情報』というビブスを来た職員が駆け出すのを横目で見送り、口を開こうと立ち上がった刹那ポケットのスマートホンが着信で振動する。
−井川からだったら掛け直そう−
「石山司令。これがFAXで届きました」
首から下げたIDカードをかざして対策本部に入った石山に、県知事の篠崎が駆け寄る。数枚のA4用紙を持つ手が震えている。受け取った石山は顔をしかめた。写真ほど鮮明ではないが、その白黒の画像は、国会議事堂を斜め上から捉えたものや、丸い屋根の両国国技館に似た建物、そして隅田川だろうか、緩やかに曲がりくねった大きな川に立派な鉄橋が掛かっているものだった。共通しているのは、そういったランドマークの周囲のものは、何も存在しない。建物という建物が、人という人が、写真の隅、いや、その先まで延々と続くであろう焼け跡。瓦礫すら燃き尽くされて灰になった写真には、遮る家屋を無くした細い路地までハッキリ見てとれる。多くの民間人が犠牲となったことにあらためて激しい憤りが起こる。
「今、電話で報告を受けました。東京は焼け野原になっていたそうです。そして、東京タワーもスカイツリーも確認できなかったそうです。信じたくはないですが、零戦で降りてきた墨田准尉は本物ということになりそうですね」
石山は、申し訳なさそうにうなだれる。
「その…墨田准尉は、今日を…何日だと言ってましたか?」
篠崎の訊ねる声が震える。
「昭和20年 4月 1日」
石山は、ひと言ひと言を噛みしめるように答えた。
篠崎が肩からまっすぐに降ろした両の拳を力強く握るのが気迫となって石山に伝わる。
「昭和20年…そうですか…大変な事になりました。国民の、いや、県民の命を守らねばなりません。会議を再開します。こちらへ」
篠崎は覚悟を決めたように背筋を伸ばすと、石山を席へ案内し、川崎防災・危機管理部長の元へ向かうと、手にしたFAXを差し出した。
「川崎部長。これが今の東京です。
我々は、昭和20年に来てしまったらしい。本事案を『特殊災害』と称し、特殊災害対策会議として再開します。進行を頼みます」
「知事、これはしかし…本当ですか?」
いつにない強い口調に川崎は後ずさりながら答えた。
「私も信じたくありません。しかし、これが事実とすれば、一刻の猶予もありません。会議をしながら情報をまとめ上げ、対策を打っていきましょう。よろしく頼みます」
「分かりました。田中君、これ人数分コピーを頼む」
さすが本番に強い男だ。篠崎は、この人物に部長を任せたことについて、今日何度目かの安堵を覚えた。
「お配りした写真は、さきほど百里基地所属の戦闘機が撮影した東京の写真です。主に国会議事堂周辺となりますが、御覧の通り、焼け野原です」
川崎部長が内容とは裏腹の穏やかな口調で切り出す。「焼け野原って」異口同音のどよめきが収まると、一同を見回して太い首筋の汗をハンドタオルで拭って続ける。
「信じられないかもしれませんが、事実です。石山司令お願いします」
「お手元の写真は、本日15時頃撮影されたものです。御覧の通り、国会議事堂付近は焼け野原になっています。撮影したパイロットの話ですと、他の地域も同様の状況であり、東京タワーもスカイツリーも見当たらなかったとのことです」
どよめきは収拾がつかないほどの騒めきに変わると、意を決したように石山が声を張り上げた
「そして、先ほど懸案だった成田空港も」
一気に注目を集めるた石山は、全員の表情を確かめるように右から左に顔を動かすと、意を決したように続ける。
「存在しませんでした。そこに成田空港はなく、田畑が広がっていたそうです」
再びどよめきが起こると。
「確かなのか!何かの見間違いじゃないのかね?」
相変わらずな態度で土木部長の海野が声を荒げた。
「複座型、つまり2人乗りの戦闘機で偵察を行いました。パイロットが二人揃って見間違えたとは考えられません」
負けじと声を張り上げた石山、周囲が驚いたように静まり返ったのを機に、石山は篠崎知事をまっすぐ見つめると、先を促すように頷いた知事に目礼すると立ち上がり、周囲を見回してからゆっくりと続けた。
「百里基地に着陸してきたゼロ戦のパイロット、スミダタケシと名乗る人物の話によると、今日は、昭和20年4月1日とのことです」
「そんなバカなっ、そいつはいったい何歳なんだ」
どよめきに負けじと土木部長が怒鳴るが、石山は目くれずに続ける。
「大正8年生まれの26歳です」
「そんなバカな…」
土木部長が両肘をテーブルに付き両手を揉む。
「ちょっといいですか?」
防災・危機管理部長の川崎の隣の男が小さく手を上げた。「どうぞ」と川崎が軽く手を差し出す。
「そのゼロ戦のパイロット。スミダタケシと仰いましたよね?」
川崎の部下である消防安全課長の問いに、ちらほらと囁き声が起こり、「墨田君まさか…」と川崎が呟く。
「はい、その通りです」
石山が答えると、墨田消防安全課長は、ゆっくりと声を落として質問を続ける。
「漢字で書くと、ボクジュウの「墨」に、タンボの「田」、ブシの「武」に、ココロザシの「志」…でしょうか?」
ひと言ひと言、確かめるように続く言葉に石山の表情が堅くなる。
「その通りです。なぜ御存知なのですか?」
石山が驚きを隠せない表情で問う。
「私の曾祖父です。戦時中は海軍のパイロットでした」
今日何度目かのざわめきが湧き起こる。
「人違いなんじゃないか?タイムスリップしたとでも言うのか?」
土木部長が口を挟む。
「曾祖父は、亡くなりました。年齢から逆算すると、1945年、つまり昭和20年では26歳だったことになります」
土木部長に返すでもなく言葉を続ける墨田課長の席に歩み寄った石山は、胸ポケットからスマートホンを取り出して墨田課長に見せた。
「間違いありません、曾祖父です。父の実家に飾ってあった海軍時代の写真の人物にそっくりです」
昭和20年というワードがあちこちで噴出する。日本人、それも昭和の時代に教育を受けた人間で昭和20年をイメージできない者はいない。終戦の年だ。米軍の無差別爆撃、そして艦砲射撃によってあらゆる都市は廃墟と化し、あらゆる食料と燃料は底を尽き、住むところを失った国民は、飢えと貧困にも苛まれた。
歴史の教科書にあった青空教室−学校さえも焼き払われ、子供たちは外に机を並べての授業−を知らないものは居ないはずだ。
日本にとって、どん底の年。もし、今日が4月1日だったとしたら、戦争の真っ只中、いや、それどころではない、8月15日の終戦まで、日本中が蹂躙され続ける最中に居ることになる。
−茨城県だけなのか?−
篠崎は、テーブルの上に伸ばした両手を力強く握る。東京も千葉県も『今』ではなかった。何かの間違いであって欲しいが、犠牲が出てからでは遅すぎる。
−ミリタリーマニアの俺でなくたって、当時の米軍が圧倒的な物量で押し寄せてきたことは知っている−
「知事、もしそうだとしたら…」
川崎防災・危機管理部長が声を震わす。
「県民を守らなければなりません。誰か、現在の外気温度を教えてください」
篠崎が『情報』というビブスを来た職員が駆け出すのを横目で見送り、口を開こうと立ち上がった刹那ポケットのスマートホンが着信で振動する。
−井川からだったら掛け直そう−