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狭間世界

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 つまり中学高校時代は、一日一日が結構時間が掛かったかのように思えたのに、長い目で見ると、あっという間だったということである。
 ただ、その中には、小学生の頃に思いもしなかった「狭間世界」という発想が含まれていることで、正反対の感覚になったのかも知れない。
 しかし、祐樹にはもう一つの発想があった。
――現実世界と夢の世界の違いのようだ――
 祐樹は、天神と話をした時に語った発想は、ずっとそのまま持っていた。
 つまり、夢の世界と現実世界とでは、鏡に映った左右対称の世界だというイメージを抱いていたのである。
 高校時代が終わって、大学に入学することで、それまでとはまったく違った感覚になったことで、祐樹はどちらかが夢の世界であり、どちらかが現実世界なのではないかというとてつもない発想を抱くようになっていた。
 そういう意味では、あっという間に過ぎてしまった中学高校時代が、夢の世界ではないかと思えていた。思春期のように漠然とした発想で、何となく抱いたイメージが自分の毎日を形成していく。そう思うと、やはり中学高校時代という時間は、夢の世界での出来事だったかのように感じられた。
――じゃあ、現実世界でも、俺の人生は存在していたんだろうか?
 もし存在していたとして、現実世界で生きてきたとすれば、今の自分はあっただろうか?
 いろいろは発想が頭をよぎっては消えていくが、それは走馬灯とは違っている。同じような発想であっても、最初に感じたこととは違っている。一度として同じ発想が巡ってくることはないと思う。
 大学生になってから初めて感じた躁鬱症、どうして、中学高校時代にはならなかったのか最初は不思議だった。思春期の状態の方が、躁鬱症のスタートとしては入りやすいのではないかと思うのは、単純な発想だった。
――中学高校時代、漠然とした毎日を過ごしているからだ――
 と思っていた。そのうちに、
――思春期というのは、自分の知っている自分とは違う自分を初めて発見する時期なんだ――
 と思ったが、その発想に間違いはないだろう。
 だが、そのうちに、超額高校時代を夢の世界の出来事のように考えると、躁鬱になったわけも分からなくはない。
 大学生になってから、一度、中学高校時代が夢の世界のようだったという発想に至ったことがあった。
 その時には、狭間世界の存在は意識していたが、まったく次元の違う世界だと思っていたことで、現実と夢の世界という正反対の世界が入り繰っているように感じたのだ。
――夢の世界を生きていたのなら、現実世界を生きていた自分もいるはずだ――
 と感じたことで、そこに、
――もう一人の自分――
 の存在を意識せざるおえなくなっていった。
 もう一人の自分というのは、左右対称の自分である。こちらが相手を意識している時は、相手はこちらを意識することができない。逆に相手が意識している時は、こちらは意識することができない。もう一人の自分は存在しても、意識までは二人分あるわけではない。同じ肉体には、一つの性格しか存在できないという潜在意識があったからだ。
 だが、それでも、もう一人の自分を意識しないわけには行かなかった。もう一人の自分の存在がいろいろな疑問を解決してくれると思ったからだ。
 祐樹は、大学時代の躁鬱症でもう一人の自分を発見したことで、鏡を思い浮かべた。その時に夢の世界と現実世界を比較した時、
――鏡に映ったもう一人の自分――
 というものを、いまさらながらに感じたのだった。
 祐樹は、大学生になってから、夢を覚えていることが多くなった。そして、
――どんな時の夢を一番よく覚えているのか――
 ということが分かった気がしたのだ。
 どうして今までこんなことが分からなかったのか、自分でも不思議だった。
――夢を忘れないのは、怖い夢を見た時だ――
 恐怖というのは、なるべく早く去ってほしいと感じる。
 小学生の頃の苛めにしてもそうだ。
――黙って反抗せずに我慢していれば、そのうちに飽きて苛めなくなるに違いない――
 という発想と似ている。
 早く立ち去ってほしいという思いから、
――今見ているのは、夢なんだ――
 と思うようになる。
 夢という感覚で逃げたくなるのだが、実際に夢なのだから、自分の感じていることは間違っていない。その思いが正解であると分かると、忘れる必要はないと思うのだ。
 つまり、
――覚えている夢はすべて怖い夢なんだ。だから逆に、怖いと思うことはすべてが夢の世界の出来事なんだ――
 という結論を導き出すことができるのだ。
 そういう意味でも、
「夢というものが潜在意識の成せる業だ」
 というのも、あながち町っているわけでもないだろう。
 中学生時代のグループで、それ以降も付き合いのあるやつは誰もいない。高校に入学して一年ほどは、それぞれで連絡を取り合っていたが、一人が誰か連絡が取れなくなると、一人、また一人と少しずつ離脱していく。
――本当は、最初の一年のうちに、どこかで集会を開くくらいの気持ちがあれば、もう少し仲が続いていたのかも知れないのにな――
 と感じた。
 と言いながらも、実際に一番最初に誰かと連絡が取れなくなったことで気持ちが一気に冷めてしまったのは、祐樹だったのではないだろうか。高校受験を前に、皆それぞれがぎこちなくなっていったことは、それぞれ誰もが感じていたことだろう。
 集会を開くというほど大げさなものでなくても、誰か一人に会ってみるだけでも結構違ったかも知れない。メールのやり取りくらいはしていたが、どうしても新しい学校で、環境に慣れるまでの緊張感を持続させるためには、過去の記憶は一定部分、シャットアウトしてしまう必要があったのではないだろうか。
 大学時代の四年間、祐樹はあっという間だったように思えた。ただ、それも最初の二年間と後の二年間では感覚が違っている。最初の二年間は、毎日があっという間だったにも関わらず、過ぎてしまうと、結構長かったように感じた。しかし後の二年間は、毎日が結構長く感じたのに、過ぎてしまうとあっという間だった。これはまるで小学生の頃と、中高時代との違いによく似ている。
 最初の二年間、別に誰かに苛められていたというわけではない。一番楽しいはずの時期だったはずである。
――この時期を楽しむために、高校時代、辛い受験時代を過ごしたんだ――
 と感じたはずだ。
 それでも、小学生の頃に感じた思いと同じだというのは、時系列的に節目を考えると、同じサイクルを過ごしているからではないかと思える。
 もう一つの考え方として、あまりにも楽しみを膨らませすぎて、余計なことを考えてしまい、そのため、不安を必要以上に煽ってしまったからではないかと思えた。
 気持ちに余裕があると感じた時は、豊かな発想を抱くこともできるのだろうが、余計なことを考えてしまうと、必要以上に考えがぎこちなくなってしまう。それは小学生時代に、相手に攻撃されることを恐れて、必要以上に萎縮してしまったことが身体に染み付いてしまっているのかも知れない。
作品名:狭間世界 作家名:森本晃次