狭間世界
それは、目の前に見えている女性がやはり自分の知っている女性で、あの派手好きな女の子であるということを示していたからではないだろうか。祐樹は彼女のことを別に恋愛対象に見たことは一度もない。最初に見た時、
――何てケバい女性なんだ――
と感じたほどで、そのことを感じたことから、すでに彼女に対して女性としての感情を抱くことはなかった。
祐樹が好む女性のタイプというのは、あくまでも控えめで癒しを与えてくれるような女性がよかった。
裏を返せば、
――派手目の女性は男性の目を惹くに違いない。だから、そんな女性が俺に対して男性としての感情を抱くはずもなく、そんな女性に俺が興味を持つはずなどないんだ――
という発想だったのだ。
相手が上から目線だなどと思って、避けているというのは、一種の言い訳だった。自分が相手にされるはずがないという発想から、自分を正当化するための発想を思い浮かべていたに過ぎないのだ。
――もし、シルエットの向こうにいるのが派手好きの彼女ではなかったら――
という思いを抱いた。
祐樹には、それ以外の女性を思い浮かべるだけの気になっている女性はいなかった。一つの理由として、
――自分が好きになれそうな女性には皆、彼氏がいたりするに違いない――
という思いがあり、自分の想像の中で、相手の男性は瀬戸であったり、天神であったりする。それ以外の男性が彼氏という発想は自分にはなく、思い浮かべたカップルは、何とも理想のカップルだった。
相手の男性を自分だと想像してみたこともあった。あまりにも強引すぎるという思いがあったからか、相手の男性の顔を確認することができなかったのだ。
女性への思いは、中学に入った頃からあった。思春期への入り口としては、早い方なのか、遅い方なのか分からなかったが、女性を思うことで、自分が思春期に突入したことを実感していた。
それでも、自分には萎縮してしまうところや、寂しさは別にして、孤独には耐えられるという思いがあったことで、あまり女性を意識するということはしないでおこうと思っていた。
そんな時、瀬戸と知り合いグループを作ることで、自分にも他の人と同じようなことができるのではないかと思えるようになっていた。
しかし、
――他の人と同じでは嫌だ――
という思いも根強くあった。
その二つの心理が渦巻くことで、自分が堂々巡りを繰り返すのではないかと思っていると、ジレンマが生じてきたことを実感していたが、案外嫌ではなかった。
矛盾した考えが頭を巡っていたが、
「人は誰でも矛盾を抱えて生きている」
というセリフをドラマで見て、意味は分からないまでも何となく気になっていたことで、自分も同じ心境に陥ったことは、あながち嫌ではなかったのだ。
瀬戸や天神は、祐樹から見ると、
――実に正当性を自らが証明しながらまわりと付き合っていける人なんだ――
と感じていた。
ただ、自分にはそんな人間にはなれないことは分かっていた。なれないというよりも、なりたくないという心境が正しい思いなのかも知れない。
まず最初に仲良くなったのが瀬戸だったというのも、祐樹には気になるところだった。
――どうして、瀬戸だったんだろう?
と思うと、瀬戸と知り合う前と後とでどのように違っているのか、思い浮かべてみた。
最初は分からなかったが、すぐに感じることができたのだが、
――瀬戸と知り合ってから、俺も目立ちたいという思いが湧いてきたんだったんじゃないかな?
と感じた。
確かに、その思いが嵩じたのか、女性同士のわだかまりから怒った階段での転落事故の時、言わなくてもいいことを言ってしまった自分がいた。あの後、そのことに対して後悔の念が襲ってきて、恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまった。
――どうして、俺はこんなになってしまったんだろう?
たった一度の過ちだったはずなのに、それから以降も自分は同じ過ちを繰り返し続けるような予感がした。
実際に同じような後悔の念を抱いたことは何度もあった。確かに自分は思春期を迎えて、自分の中の矛盾を感じるようになり、そのことで成長もしたと思うのだが、成長しきれない部分も感じていた。
それが、目立ちたがりの性格だった。
子供の頃から潜在していて、思春期になってから、溢れてきたと考えるのは無理なことであろうか。祐樹は自分が成長している部分と、成長しきれない部分を認識できているように思った。
しかし、それをどうにかできるほどの力が自分にはない。その力こそが「自信」ではないかと思っていたが、自信に関しては、子供の頃のトラウマから脱することができないでいう以上、持つことはできないでいた。
そうなると、自分で持てないのであれば、まわりから認めてもらうしかない。
その思いはどうしても、焦りに繋がり、時間的にも精神的にも余裕を持つことができない。
そのため、
――目立たなければいけないんだ――
というところに行き着いてしまう。
しかし、これが堂々巡りの正体であるということにまで気がつかなかった。しかも目立ちたいという思いは無意識にであって、自分の認識の中にはなかった。そのことが堂々巡りを容認してしまい、ずっと悩むことを祐樹に与えたのだ。
悩むことは悪いことではない。ただ、思春期の中で悩んでしまうと、間違った道に足を踏み入れてしまうと、抜けることができなくなるのではないかという発想が頭を巡り、結局、それが青春の悩みに変わっていくのだった。
その日、天神との話はそのあたりで終わっていた。後から思い返すと記憶はそのあたりまでしかなかった。
――でも、本当にそれで終わったんだろうか?
という疑問が残った。
ただ、残ったのは疑問だけで、疑問だけが残っても、そこには信憑性も何もないのだ。
「疑問というのは、解決するためにあるのではなく、新たな疑問を思い浮かべるためにあるんだ。だから、一つの疑問は解決しても次の疑問が湧いてくる。それが堂々巡りであり、その場合の堂々巡りは、潤滑油でもあるのだ」
という話を聞いたことがあった。
祐樹にとってその話は、夢の中にまで出てきそうな気がしていて、逆に、
――これは夢の中で聞いた話だったんじゃないか?
と感じたほどだった。
なぜなら、この話を聞いた記憶はあるのだが、この話を誰がしたのか、まったく記憶にはなかったからだ。
祐樹にとって、
――疑問は自分を成長させる上での糧のようなものだ――
と言えるだろう。
祐樹は、堂々巡りを繰り返していることに、ずっと不安を感じていた。
思春期になってから感じた堂々巡りであったが、
――今から思い返してみれば、堂々巡りというのは、思春期に入る前の子供の頃から感じていたような気がする――
と感じた。
堂々巡りについて考えていると、天神との話を思い出す。
――あの時、天神とここまで話さなかった気がするんだけどな――
と思っていたが、今になって思い出してみると、会話が想像できるのだった。これは記憶なのか想像なのか、祐樹には分からなかった。
「夢の世界というのは、俺は鏡に映った世界のように、この世とは左右対称なんじゃないかって思うんだ」