狭間世界
「そうだね。それに相手がしっかり聞いてくれる人だと思うと安心していろいろ考えることができる。人によっては、こんな話はするだけ無駄だと思って嫌悪感を抱く人もいるかも知れないからね」
「じゃあ、若槻君は夢も同じように本人と一緒に成長するものだって思っているのかい?」
「そうだよ。だから俺は夢の世界も現実世界に近いと思って、共有できるものではないかって思ったんだ」
「現実世界は決して共有しているとはいえないと思うけど?」
「だからこそ、夢の世界で共有しているんじゃないのかな? そしてその共有しているという意識を現実世界に持ってきてはいけないので、夢は目が覚めるにしたがって忘れていくものなんじゃないかって考えるんだ」
「なるほど、若槻君の意見は奇抜な発想ではあるけど、筋は通っているように思う。僕も十分に共感できる部分はあると思っているよ」
天神はそう言って、微笑んだ。
「現実世界も夢の世界も、人一人一人で違っているはずなんだけど、そうとは感じさせないのはなぜなんだろうって考えた時、別にもう一つの世界が存在するんじゃないかって思ったんだよ」
と、祐樹がいうと、
「それがさっき君が言っていた狭間世界というものなんだね?」
「ああ、そうなんだよ。こんなことを考えているのは俺だけなのかも知れないって思っていたんだけど、天神君なら似たような発想を持っていそうな気がしたので、今日は話をしてみたんだ」
「そうだったんだね。若槻君はその狭間世界というものの存在をいつ意識したんだい?」
「いつ頃だったかな? 小学生の頃に苛められっこだったって言ったけど、その時には意識はなかった。ひょっとすると、中学に入って瀬戸とグループを作った頃から、こういう発想が生まれたような気がするんだ」
と祐樹がいうと、天神も、
「僕も中学に入ってからじゃなかったかな? 何かのきっかけがあったというわけではないんだけど、あったとすれば、若槻君と知り合ってから感じるようになったのかも知れないな」
「俺の影響があったということ?」
「ああ、若槻君は自分で意識していないと思うけど、君は結構人に影響力を持っているんだよ」
「どういうことなんだい?」
「僕の場合は、君と知り合ったことで、何か自分の中にくすんでいるものがあることに気付いたというところかな? それが何なのかは分からないんだけど、若槻君が萎縮するような態度を取るたびに、何かが自分の中で閃いたような気がしていたんだ」
「天神君は俺の萎縮している態度に気付いていたのかい?」
「本人は気付いていないんだろうけど、結構分かりやすいんだよ。だから、そんな時はなるべく誰も君に近づかないようにしているんだ。君は寂しいとは思わないタイプなのだろうから、意識はないんだって思うけどね」
「そうだな。俺は寂しいという思いはないけど、孤独は感じることがある。孤独を感じても寂しいと思わない自分を不思議に思うこともあったけど、何か意識しない中で、俺は寂しさに感覚がマヒしてくるようになったんだろうな。その反動になっているのが、無意識な萎縮なのかも知れないって感じるんだ」
「その時に、きっと狭間世界というものを意識したんじゃないのかい?」
「そうかも知れない。俺に対して見えない力が自分を正当化させようとしていることに気がついたんだ。本当であれば、まわりの人に分かってもらいたいと思って、少しでも目立とうとするんだろうが、そうではないようなんだ。自分を正当化させようとすると、狭間世界を意識するようになったことを自分で認めることになるんだ」
「君は、狭間世界の存在を肯定したいのかい? それとも否定したいのかい?」
「俺には分からない。肯定してしまうと、その代わりに何かを否定しなければいけなくなりそうで、それが怖いんだ」
「じゃあ、どうして、狭間世界の話を僕にしてくれたんだい?」
「天神君なら、その答えを知っているような気がしたんだ」
「ということは、君は僕が君のいう狭間世界の存在を理解していると感じたんだね?」
「そうなんだ」
「でも、一口に狭間世界といっても、お互いに見ている方向が違っているかも知れないんだよ。話をしていて噛み合わなくなったらどうするつもりだったんだい?」
「そこまでは考えていなかったけど、ただ、この話は君にはしておかなければいけないような気がしたんだ」
「実は、今日僕は夢を見たんだけど、いつものように目が覚めるにしたがって忘れてしまったんだ。でも、今は何となく覚えているような気がするんだ。シルエットのその先にいるのが、若槻君だったんだよ」
「今日のこの会話が、夢で見た記憶だって言いたいのかい?」
「君が最初に言った正夢そのものじゃないか。でも、少し違っているんだ。君は確かに僕の夢に出てはきたんだけど、その夢というのは、女の子に怪我をさせるというもので、まるでこれから起こることを暗示しているかのようだったんだ」
その時の天神の話が頭に残っていたことで、派手好きな女の子が怪我をさせられるという事実に行き当たるまで、意識は継続していた。
祐樹は天神との話しに集中し続けていたことに気付いたのも、彼が、
「実は」
と切り出したこの時だった。
それまでは一気に話が盛り上がり、お互いの意見を戦わせていたが、途中で小休止が入ったのだ。このタイミングがよかったのか悪かったのか祐樹には分からないが、分かったところでどうなるものでもない。急に頭が冷めてきたような気がして、そうすると、今度は頭の中に邪念が生まれてきた。
――どうしてこんな時に――
思い出したのは、瀬戸のことだった。
ただ、頭の奥にシルエットでもう一人いるのに気がついた。それは男性ではなく女性であった。
――どうしてこの人を?
普段から意識していなかったわけではないと思うが、それは影響力のある意識ではなく、好き嫌いの類でもなかった。それだけに祐樹には、なぜその人がシルエットの向こうにいるのか、よく分からなかったのだ。
その女性はシルエットから派手好きな女の子であることは分かったが、どうも普段から知っている彼女ではないような気がした。
――何となくだけど、大人の色香のようなものを感じる――
普段から、同年代の女性に興味を抱くことはない祐樹にとって、大人の色香は自分を惑わすに十分な存在だった。
――大人の色香漂う女性に誘惑されてみたい――
などと大それたことを思っていた祐樹だったが、それは今まで出一番恥ずかしい思いであり、表に出すわけにはいかないものだった。
シルエットを見ていると、その向こうに見えている世界について、
――これは夢の世界なんじゃないだろうか?
と感じた。
起きていて夢を見るというのはおかしなものだ。しかし、意識が薄れていくのをさっき感じたような気がした祐樹は、自分がこのまま別の世界に行ってしまいそうな錯覚を覚えた。それが夢の世界なのか、それとも狭間世界のことなのか、どちらかは分からなかったが、どちらかであることは想像がついていた。
もしこれが祐樹の考えているように夢の世界か、狭間世界であるならば、
――そこに時系列を考える必要はない――
という発想が最初に浮かんできた。