狭間世界
少年に対して少しでも疑いを持たない人間であれば、彼の必死さは伝わったであろうに、誰も出てきてくれる人はいなかった。
集団意識と、村八分にされることの恐ろしさが、彼らをその場から動かさなかったのだろう。
少年は、そこでオオカミに食い殺されたのであろうが、村は何もなかった。これが結末なのだが、祐樹の解釈であれば、あまりにも少年がかわいそうであり、童話として成立しないことになる。
しかし、祐樹はその後の村をいろいろ考えてみた。
少年がいなくなったことで、少しだけ平和になったような気がしたが、実際には、誰もが少年に対して同情的な気持ちがあったかも知れないと思うと、その後に引き起こされるのは、
――村人同士の猜疑心――
である。
村人は、それまで集団意識によって、少年を皆で無視することで、平和の均衡を保っていた。
いわゆる、
――仮想的――
のような感覚だろう。
ただ、少年がこの村にとって、
――必要悪――
だということに誰も気付かなかった。
悪の根源のように思われていた少年がいなくなったことで、平和になると思っている人たちは、実に
――お花畑思想である――
と言えるのではないだろうか。
誰もが、少年を仮想的にすることで、村の精神的な均衡が保たれていたのだとすれば、少年がいなくなったことで、村の均衡はどうなるというのだろう。
祐樹はそのことを、時々考えるようになっていた。
特に、瀬戸を中心としたグループにいることで、
――自分も「オオカミ少年」に出てきた村人のようにならないようにしないといけないんだ――
と思うようになっていた。
祐樹は、救急車を前にしている時にその時のことを思い出した。そして感じたのが、
――俺はまさしくこの時に、何かを言わなければいけないんだ――
という思いであった。
しかし、それが裏目に出ることも分かっていた。それは、まるで死を覚悟してまで村人に自分をどのように思っているのかを確かめようとした「オオカミ少年」のようではないか。
ただ、今回は完全に玉砕したかのようだった。
そのことを瀬戸はどこまで分かっていたのか、祐樹に余計なことを喋らせないようにするには、面と向かって言えばいいことだろう。それが一番簡単で、相手に思い知らせるには効果的だ。
しかし、瀬戸はそれをしなかった。
下手をすれば、グループ解散の危機だとでも思ったのだろうか。
それとも、祐樹の気持ちを思い計っての行動であろうか。祐樹にはハッキリとは分からない。
――「オオカミ少年」かぁ――
瀬戸の祐樹を制するような表情で、よくオオカミ少年の話を思い出すことができたものだと、祐樹は自分に感心していた。
その日は、彼女のことが気になって、なかなか寝付かれなかった。
――大丈夫だったんだろうか?
という思いもあったが、それよりも、
「もうそのくらいにしておけ」
と言った、瀬戸の言葉が気になった。
何かを言いたいようだったが、言葉が喉に引っかかっているように思えた。瀬戸は人に気を遣うことにかけては
「さすが、グループリーダー」
と言われるほど、長けている。それは自他共に認めることであり、瀬戸も自覚していなければ、きっとリーダーとして君臨することは難しかったに違いない。
元々、このグループは烏合の衆のようなものである。祐樹と瀬戸が立ち上げたと言っても、二人は性格的に似ているわけでもなく、カリスマ性に富んだ瀬戸に比べて、祐樹は一匹オオカミだった。
――オオカミ少年――
と言われても無理もないように感じるくらいなので、祐樹自身、自覚している。
瀬戸も、そんな祐樹の気持ちを分かっているのか、祐樹が瀬戸に少しでも嫉妬心を抱くと、
「若槻には若槻のいいところがあるんだ。僕だって君がいないと、ここまでグループを纏めることはできなかったんだよ」
と言われて、複雑な思いだった。
同じ複雑でも、他の人であれば、
――俺の方がリーダーにふさわしいのに――
と感じることだろう。
しかし、祐樹は小さい頃であれば、
「リーダーになりたい」
と言っていた時期もあったが、今では
「リーダーなんて面倒くさいだけで嫌だ」
と言うだろう。
だから、瀬戸に嫉妬するということはないと思っていたが、瀬戸の方で祐樹に対して、
「君がいるから」
などと言われると、思わず舞い上がってしまいそうになる。
舞い上がってしまいそうになるということは、心のどこかでは、リーダーに憧れている自分がいるということを認めていることになる。
しかし、実際には自分で認めることなどできるはずもなかった。認めてしまうと、瀬戸に「譲った」リーダーの座が元々自分のものだったということを証明してしまうことになると思えた。
祐樹にとって、瀬戸の存在は、
――自分では果たせない立場を自分に代わって果たしてくれる人だ――
という思いがあった。
だから、嫉妬などありえない。それなのに、瀬戸が祐樹の気持ちを知っているかのように、タイミングよくいなす言葉を掛けてくるというのは、まるで彼が超能力でも持っているかのようで、時々恐ろしく感じることもある。
そんな瀬戸が、祐樹に対して制するような言い方をした。
瀬戸は祐樹に対しての気の遣い方で、よほどのことがなければ制するような言い方をすることはない。
「俺っておだてに弱いからな」
と、瀬戸との会話で時々口にするくらい、瀬戸は祐樹に対して、おだてまくるところがあった。
「おだてられてしか実力を発揮できないやつは、それだけの人間なんだ」
という自負を持っている先生が中学一年生の時の担任だった。
「先生の言うとおりだよな」
と、クラスの大半の人は、先生の言葉をまともに聞いていた。
しかし、祐樹は違った。
瀬戸と仲良くなってから、自分の気持ちを明かしたことがあったが、
「先生が言っているように、おだてられてしか実力を発揮できないやつって、本当にそれだけの人間なんだろうか?」
と聞くと、
「ああ、先生の話だね」
「うん、そうなんだ。俺にはどうもまともに信じてはいけないような気がするんだ」
祐樹は、先生の言葉を否定はしなかったが、
「信じてはいけない」
という表現で、自分の中で必死になって、先生の言葉を否定しようとした。
「なるほど、若槻は先生の言葉を全面的に信用していないわけではないけど、それに当て嵌まらない人もいると言いたいんだね」
「そうなんだ」
「しかも、君はその言葉は少なくとも自分には当て嵌まらないと思っているんじゃないか?」
「そうなんだ。そして、それは、俺の身近にもいるような気がするんだよね」
「それは誰なんだい?」
と聞かれて、一瞬戸惑ったが、
「今は分からないんだけど、俺と同じ気持ちのやつが、近くにいるような気がするんだ。そいつは、同じ考えを持ってはいるけど、少し微妙に俺とは違っているように思う。だから、それが誰なのか分からないんじゃないかって感じているんだよ」
「なかなか鋭いね。僕が若槻を信用できると思っているのは、そういうところにもあると感じている。君には他の人にはない、何かがあるんだって思っているよ」
と言って、瀬戸は微笑んだ。