狭間世界
と言っている人もいて、うまく回っていたのだ。
その影には天神の存在が不可欠だった。
天神は、表には出てこなかったが、裏ではメンバーの相談役のような役回りを演じていた。
そのことを祐樹も瀬戸も知らなかったが、
――知らぬが仏――
とはこのことで、おかげで、わだかまりなど、まったくないグループだったのだ。
グループは、男子六人、女子三人のメンバーとなっていた。
女性の三人は、天神に憧れて入ってきたのだったが、そのことを、一人は公言していたが、後の二人は何も言わないが、きっと心の中には同じような思いがあるのだろう。
公言している女性は、性格的にもあけっぴろげで、品行方正、天真爛漫という言葉が似合う感じで、
「彼女なら、天神とカップルになっても、別に誰からも何か文句が出ることもないだろうな」
と、言っている人もいた。
彼女は、派手好きで、
「このメンバーでは誰も彼女についてこれる人はいないだろう」
と言われるほどの女の子だった。
だから、まわりからは嫉妬を受けることはなかったが、灯台下暗し、他の二人のうちの一人の女性から、極度の嫉妬心を抱かれていた。
彼女は、自分から告白することもできず、派手好きな彼女と対抗できるわけでもないと思っていた。
しかし、救いとしては、
――天神君が、あんな女に惹かれるわけはないわ――
と思っていたからだった。
しかし、派手好きな女性のアプローチは、過剰に見えた。その様子を見て、精神的に尋常でいられなくなったその子は、派手好きな女の子への八つ当たりを考えたのだ。
いくらかの嫌がらせを受けていたようだが、派手好きな彼女を、影で誰かがいつも助けているのか、嫌がらせがまともに彼女に向かうことはなかった。
それでもある日、思いつめた女の子は、派手好きな彼女を、廊下から突き落とすという暴挙に出た。
それは白昼堂々、授業の合間の休み時間、教室の移動の間に行われた出来事だった。
「きゃあ―」
という数人の女の子の悲鳴、派手好きの女の子は身体から発せられる香水のような匂いのために、誰も近づくことがなかったので、彼女を突き飛ばすなど、他愛もないことだった。
しかも、あまりにも堂々とした犯行に、誰もが想像もしていなかったことであり、まわりにいた人も、一瞬何が起こったのか分からなかったことだろう。
ちょうど、祐樹は、それを階段の下にいて見ていた。誰もがその瞬間の出来事に凍り付いてしまったかのような状況で、どちらを見ていいのか、判断に困っていたようだ。
階段の上にいた人は、突き落とした彼女を見つめてしまい、その表情のすごさに、すぐには視線を逸らすことができなかった。
階段の下には、祐樹とグループの他のメンバー二人がいて、一人は天神だった。
派手好きな彼女は、グループの中でも浮いていた。そして、突き落とした彼女も、一番最初に入ってきた女性だということもあって、皆が注目していたが、次第にその本性に暗い影を見てしまったことで、浮いたような存在になっていた。
そんな二人に確執があるのは、何となく皆分かっていたことだろう。そして、その原因が天神にあることも分かっていた。
もし、同じグループでなければ、完全に無視すればいいのだろうが、同じグループではそうもいかない。それでも、
――触らぬ神にたたりなし――
という言葉にあるように、なるべく触れないようにしていた。
そんな中で起こった、
「突き飛ばし事件」
二人のうちどっちに対して同情的になるかというと、メンバーそれぞれで心境が違っているだろう。
二人に直接関わったことがある人はほとんどいないだろうから、その心境は、客観的に見たものでしかない。したがって、どちらに同情的に感じるかということは、その人の性格そのものを表していると考えてもいいだろう。
「おい、大丈夫か?」
一番落ち着いていたのは、本当は原因を引き落としたはずの確執の当事者である天神だった。
彼女は意識を完全に失っていた。
天神は、耳を口元に持っていって、呼吸を調べ、今度は胸に耳を当て、心臓の音を確認していたようだ。
「誰か先生のところに言って、救急車を手配してもらってください」
と叫んだ。
階段の上でうろたえている女の子は、すぐには行動に移ることができなかったようだったが、
「早く!」
という瀬戸の声に、ハッとした彼女は、急いで先生のところに走っていった。
瀬戸はその場にいたわけではなかった。階段の上にいつの間にか現われていて、どうやら、
「きゃあ―」
という女性のただならぬ声を聞いて、急いで駆けつけてきたに違いない。
その状況を一目見て、
――尋常ではない――
と判断したのだろう。
階段の下で、天神が冷静に彼女の様子を診ているのを確認して、
「少し安心した」
と、後から言っていたが、さすがにその時、まわりのうろたえが尋常ではなかったので、自分が大声を掛けることで、その場の雰囲気を変えたかったと言っていた。
「天神には、あの場を冷静に判断して対処することはできるだろうが、緊急の場合に、まわりを動かすようなことができる人間ではない」
と言っていた。
それはまるで、
「それができるのは、この僕しかあの場ではいなかったんだ」
と言いたかったのかも知れないが、そんなことを口にできる男ではないことは、祐樹にも分かっていた。
しかし、なぜあの時のことを瀬戸は祐樹に話してくれたのか、祐樹には分からなかった。
――あの時の俺は、顔から火が出るほど恥ずかしい行動を取っていたにも関わらずなんだけどな――
と感じた。
今から思い出しても恥ずかしくて仕方のないあの場面、瀬戸や天神はどういう感情で祐樹を見ていたのだろう。
――他の連中が、どんな風に思おうとも俺には関係ない。瀬戸と天神にどのように思われていたのかということが一番なんだ――
そう思っているにも関わらず、瀬戸はあの時のことを事あるごとに口にする。それは一体どういう心境からなのだろうか?
しばらくしてから、救急車がやってきた。祐樹はその間、少しずつ冷静さを取り戻していたが、この場の雰囲気に呑まれていたのも確かだった。
しかし、
――目立つなら今なのかも?
と感じていたのかも知れない。
救急車がやってきて、救急隊員が彼女を抱え起こす。その頃には、おぼろげであったが、彼女の意識は戻っていた。ただ、何が自分に起こったのか分からずに、ボーっとしていた。
そんな彼女を見るのは初めてだった。誰だって、自分に予期せぬことが起きれば気が動転したり、その場に乗り遅れてしまうこともある。特に彼女はその時の当事者であり、さらには被害者であった。担架に乗せられ、表に止めてある救急車へと運ばれる。やじ馬がたくさんまわりを囲んでいたが、ざわざわしていた。誰も声を掛ける人もおらず、ただ、隣の人とヒソヒソ話をしていた。
当事者でわる、担架に乗せられた彼女もまるで針の筵のような心境だったかも知れないが、祐樹も何をどうしていいのか分からず、戸惑っていた。
しかし、いざ救急車に乗るというところで、祐樹は思わず声を掛けていた。
「先生に聞かれたことに正直に答えるんだよ」