短編集20(過去作品)
「ええ、知り合いに教えてもらったお店なんだけど、なかなかいいわよ。お店の雰囲気も私は好きなの」
なるほど、たぶんスナックが引けて女の子がお客と来るには面白そうなお店である。ひょっとして芳恵の友達とは、水商売関係の女性ではないだろうか?
おしぼりで手を拭いて落ち着いていると、
「そんなにジロジロ見ないでよ」
「え?」
そんなつもりはなかったが、どうしてもいつもの芳恵との違いに自然と視線が行ってしまう。店の中が明るいせいもあるのだろうが、いつもうす暗がりの中で見上げている雰囲気とはかなり違う。
「今日はあまりお化粧してないから恥ずかしいわ」
とはいうが、化粧は下手な方ではないだろう。きっと一人でフラっと出かけてきたので、化粧もそれなりにしかしていなかったのだろう。だが、私にはその自然さが却って新鮮で、いつもと違う芳恵を感じることができた。
「下手な方ではないんだろう?」
「ええ、でもまさか水谷さんとお会いするなんて思ってもいませんでしたので、ビックリですわ」
そう言ってはにかんでいる。
「水谷さんと」
と、そこだけ言葉が強調されていたと感じるのは自意識過剰だからだろうか? どうしても自分中心に感じてしまう。会えるとは思っていなかったと言っているが、ひょっとして心の底で会えることを期待していたのかも知れない。それが表情としてはにかんで見えたのだろうか?
「出張の方、うまく行ってます?」
「ああ、まぁ、でもまだ初日だからね。これからだよ」
「いつまでおられるんですか?」
「一週間ほどかな? でもこれからちょくちょく来るとは思うんだ。簡単に終わる仕事じゃないからね」
「大変なんですね。でも、今日本当にお会いできるとは何という幸運なのでしょう。嬉しいですわ」
「そうかい? 僕もだよ」
先ほど運んできてくれた日本酒を少し飲んだあとに、そんな話になったものだから、酔いのまわりが早いかも知れない。美味しいお酒で、杯が進むのも無意識なことだった。
「それにしても美味しいね」
「日本海はお米がおいしいですからね。取れるお酒もおいしいんですのよ」
「うん、料理に実によく合う」
お世辞でも何でもない。本心からそう感じるのは店の雰囲気もあるだろうが、本場北陸で舌鼓を打っているということに感じるのだろう。
芳恵も少しほろ酔い気分なのか、心なしか目が潤んでいるのを感じた。それまでは饒舌で、金沢の観光案内をしてくれていたのに、口数が減ってくる。確実に酔いのまわってきたことが分かる。
それほど呑んでいるわけではない。
「私酔っちゃったみたい。気持ちよくなってきたわ」
というが、スナックの女の子として知っている芳恵は、もう少し呑めると思っていたので、少し意外だった。私もそれほど強くはないが、それ以上に弱そうだ。
「そんなに弱かったっけ?」
「ええ、私弱いわよ。強いと思っていたの?」
――いつもじっと君のことを見ているからさ――
という言葉が出掛かるのを何とか止めた。歯の浮くようなセリフで、いくら止めることができたとはいえ、自分でも恥ずかしい。
酒が入っていて、偶然の再会を大袈裟とも思える言葉で飾った芳恵を見ていると、私は自分の気持ちも昂ぶってくるのが分かってきた。旅先で気持ちが大きくなってきているというのもあるが、少しずつトロンとしてきた芳恵の目に、妖艶さを感じるようになったからだ。
恰好も化粧も、まるで学生のように見える。それでも、リンゴのように真っ赤に染まった肌に浮かぶ、はちきれそうな艶を見ていると、恥じらいを感じているようだ。恥じらいを見せる女性が妖艶に見えるのは私だけだろうか? 思わず抱きしめたくなる衝動に駆られてしまう。
料理もしっかりと平らげ、話もかなり盛り上がっていたので気付かなかったが、ふと時計を見るとすでに入ってから三時間が過ぎていた。時間の経過を芳恵はまったく気付いていないようである。
「そろそろ帰らないといけない時間なのでは?」
「あら、もうこんな時間。あまりお話していなかったわりには時間が経つのが早いわね」
私も時間が経つのが早いと感じていた。気持ちは芳恵と同じである。私の言ったことを聞いていたのかいないのか、帰るとは自分から言い出さない。
いつもスナックで客として接しているのと違い、今日は一人の女の子なのだ。気になって当たり前なのだが、心の底で帰したくないという思いが見え隠れしている。
「私、素敵なバーを知っていますの。行きませんか?」
「いいけど、お家の方はいいのかい?」
私の言葉に少し寂しそうな顔をした芳恵を見逃さなかった。しかしその表情がどこから来るのか私なりに想像してみた。
スナックに勤めていることを知らない親とは少し隔たりがあり、あまり顔を付き合わせたくない仲なのではないかと感じるのが一つ。これだと金沢に帰ってきた理由が何であれ、あまり楽しいものではない。それだけに私に金沢へ戻ることをいいたくなかったことも頷けるというものだ。
もう一つは、年頃の娘が都会にいて、両親が田舎に住んでいるパターンとして、親とすれば娘に戻ってきてほしいはずである。それには地元の男と結婚して、近くで暮らしてもらうのが理想だろう。見合いの話がいくつかあってもおかしくない年頃、したくない見合いをするために田舎に帰ってきたとも考えられる。
「じゃあ、出ようか?」
とりあえず店の外に出て考えることにした。
表は冷たい風が吹いていて冷たかった。
「あれ?」
思わず空を見上げた私だったが、明らかに店に入る前、芳恵と出会った時に見た夜空とは違っていた。
「あんなところに月なんてあったかい?」
「そういえばそうね」
確かに月というのは時間が経てば移動するものだが、見上げた空に浮かんでいる月は、今までに私が見たどんな月よりも大きく見える。
――田舎だからだろうか?
とも感じたが、金沢よりも田舎で、満天の星空ともいうべき空を見たこともあった自分が感じるのだから、田舎だからというのは理由にならない。確かに今まで見た最高で満天の星空に匹敵するほどの魅力が金沢の空にはある。星が瞬く空などというのは、そう簡単にお目にかかれるものではない。
「ミステリアスだけど、僕にはロマンチックに感じるよ」
「というと?」
「この綺麗な星空を君は毎日見て過ごしたんだと思うとね。羨ましくてロマンチックに感じるんだ」
「水谷さんでもロマンチックに感じることがあるんですね?」
「僕はロマンチストさ」
学生時代には、よく詩を書いたりして、友達と批評しあったりしていた。サークルに入っていたわけではないのでお遊びなのだが、それだけに高尚な趣味を持ったようで嬉しかった。
「そんな風には見えませんわ」
「どんな風に見えるんだい?」
「仕事一途で、女性にも興味のない堅物で、冗談も言わないポーカーフェイスで……」
「おいおい、それじゃあ、僕には感情がないみたいじゃないか?」
芳恵の顔に浮かんだ笑みは、心底おかしいと言った顔に見える。もちろん本気で言っているわけではないと思うけれど、やはり田舎育ちの純朴さが溢れ出ているような表情は、スナック「レイン」で見せたことのない一面なのかも知れない。
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次