短編集20(過去作品)
「どうして君がここに?」
私の言葉に目をクリクリさせながら、
――どう、驚いた?
と言わんばかりに微笑んでいるのはスナック「レイン」の芳恵だった。中学時代の女性友達の話を信じれば、私は芳恵に会いたかったということになるのだろうか?
「昨日は何も言ってなかったじゃないか」
「そうね、水谷さんが今日こちらに来ることを言ってなければ、金沢に来ることを話したでしょうね」
「どういう意味だい?」
「何となく会えそうな気がしたのよ。だから黙っていたの。驚かそうと思ったのかしらね?」
含み笑いを浮かべているが、私には芳恵が黙っていた理由がそれだけではないような気がした。
きっと芳恵も私に会いたいと思ったのだろう。そして金沢に行くと言ってしまうことによって、会えるはずのものが会えなくなるのが怖かったのかも知れない。芳恵にはそんなところがあった。げんを担ぐというか、ジンクスのようなものを信じるところがあるのだ。
「ふふふ、君らしいな」
「何よぉ、まるで悪い女みたいじゃない」
「イタッ」
そういって私の横っ腹を肘でついた。もちろん痛いわけではなく、冗談なのは分かっている。だから私も少し大袈裟っぽく痛がってみせた。
「大丈夫?」
本心から心配しているわけでもないのに、よくいうよ。心の中で叫んでいたが、口に出すわけもない。スナックの女の子と客の普通の会話である。
「それにしてもどうしてこちらに?」
「ちょっと実家の方で用があったのよ。それで、ママに少し休みを貰ったの。私あのお店では出勤率がいいので、快く承諾してくれたわ」
そういえば確かに私が行った時には、必ず芳恵がいたっけ。私が最初に店を訪れた時、最初に見たのも彼女だった。
あれは今から半年くらい前になるだろうか?
季節はちょうど梅雨だった。
その日は連日降り続いていた雨が久しぶりに上がり、仕事も定時に終わったこともあって、呑んで帰りたい日だった。会社の近くで探すより、酔い潰れてもすぐに帰れるようにと自宅近くで探していたのだ。
住宅街に当たるので、なかなか近くに洒落た店はなかったが、近くを走る国道の裏手にスナックがあるのを見つけた時、私は嬉しさで笑みを零したのを思い出した。
店の名前を見ればスナック「レイン」、実に今の時期にピッタリの名前ではないか。こじんまりとしていそうな雰囲気が気品のようなものを醸し出し、気がつけば店の扉を明けていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターから女の人の声が聞こえた。店内を見渡すが他に客はおらず、カウンターの中の女の子が洗い物をしていただけだった。思ったとおりのこじんまりした雰囲気が嬉しい。
カウンターの中の女の子がママでないことはすぐに分かった。まだ若いということもあったが、洗い物をする手がまだぎこちなく、どうにも水商売という雰囲気の女性ではなかった、しかし見るからに快活そうな雰囲気は、私に第一印象として、悪くないものを感じさせた。
「どうぞ、いらっしゃいませ」
私がカウンターへと歩み寄ると、座る前におしぼりを差し出してくれた。
「お仕事お疲れ様」
その一言が嬉しかった。仕事が終わって癒されたいと思っている時にかけてくれた「お疲れ様」という声、これが一番癒される。その一言で私は彼女に参ってしまったのかも知れない。
キョロキョロ周りを見渡している私に、
「初めまして、私、芳恵っていいます。どうぞよろしくね」
思ったとおりの快活そうな雰囲気は、目の前にある満面の笑みからも想像することができる。目と目の間の鼻の付け根に浮かんだ皺が、笑みを満面なものだと思わせるのだ。
しばらくの間二人きりだった。私は初めて来た客だということも忘れ、会話に花を咲かせていた。内容はコロコロと変わったであろう。その都度話題に合わせてくれる芳恵もなかなか博学で、雑学の知識はかなりあると思わせた。それなりに勉強しているというべきか、それともお客さんとの会話で自然と身についたものなのか。どちらにしても彼女はこの仕事を楽しんでいることだけは間違いないようだ。
絶えず笑みが零れていて時間を忘れて話に盛り上がっていた。このままずっと会話が続いて終わりがきてほしくないことを意識しながらである。
「ただいま」
そこへゆうこママが帰ってきた。最初は会話を終わらなければならないことに寂しさを感じたが、時計を見ればもう十一時前だった。お開きにはちょうどいい時間だったに違いない。芳恵も休めていた手を動かし、仕事をしていた。
それにしてもその時間まで客が来なかったのは幸いである。少し奥まった目立たない場所にあるため、ここのほとんどの客は常連であることは想像がついた。そしてその日から私も常連の仲間入りすることは間違いなかったのだ。
そういえば私が店に寄る時に他の客を見ることはあまりなかった。カラオケのような娯楽があるわけでもなく、静かな雰囲気で呑む人には好まれるが、賑やかな人には敬遠される。それだけに客は一人で来る人が多いということだ。店の名前も「レイン」、一人が似合いそうに思うのは私だけだろうか?
そういう意味でいつもにこやかであるが、芳恵はにぎやかな雰囲気ではない。屈託のない笑顔で、いつも見せている子供っぽさの中に、時折見せる大人の雰囲気は、品のよさを感じさせる。肌の白さが品を浮き立たせているのかも知れないが。私は大人っぽい芳恵の方が素敵に見えた。
たまに浮かべる表情だからいいのだろう。いつも表情を観察しながら、いつその大人っぽい表情になるのかを楽しみにしている自分に気付く。きっとそれは、
――相手が私だからそんな顔になるのだろう――
などと考えるのは自惚れからだろうか?
そういえば店の外で芳恵を見かけたことなど今までになかった。カウンターから見上げる姿ばかりが印象的で、上から見下ろすなどあまり考えたことがなかっただけに、香林坊で見かけた芳恵が少し子供っぽく見えていた。服装もスナックで見せる妖艶な雰囲気ではなく、セーターの上からコートを羽織り、フレアスカートにブーツといった恰好は、ある意味お嬢さんっぽさを醸し出している。
――ひょっとして、金沢に帰ればお嬢様なのでは?
と思えるほどで、最初は芳恵と話をしている雰囲気ではなかった。まるで高校時代のクラスメイトに偶然出会ったような、そんな感じだったのだ。
「ねぇ、どこかこのあたりに美味しいものを食べさせる店はないかい?」
私がそう訊ねたのは、一緒に食事ができればいいという気持ちがあったからで、しばらく考えていた芳恵だったが、
「あそこならいいわね。日本海の幸を楽しめる日本料理のお店よ」
「よかったら、一緒にどうだい?」
「まぁ、嬉しい。いいの?」
「うん、一緒に行こう」
素直に喜んでくれることは最初から分かっていたような気がする。私も嬉しくなった。
芳恵の連れて行ってくれたお店は、そこから歩いて五分ほどの距離のところにあり、少し繁華街から入り込んだところでもあった。そのため、あまり他にお客もおらず、こじんまりとしたお店である。それでもいくつか座敷があり、そこに入ればゆっくりとできるのだ。
値段的にも高くなく、
「なかなかいいお店知ってるんだね」
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次