短編集20(過去作品)
何度も途中で小池社長は確認を入れる。さすがに私と二人だけでも話せるだけあって会社の業務のことは熟知していた。少し深い話でもついてこれるようだ。これなら私も安心、しかも途中で確認を入れてくれることで、相手がどこまで理解しているかを把握しながら話すことができるのだ。
あまり詰め込みすぎるのもきついもので、途中で間を置くことも大切である。
「少し休憩しましょうか?」
「ええ、それじゃあ。コーヒーでも飲みましょう」
そういうと社長は、事務員にコーヒーを二つ入れるように指示している。私も少し落ち着いて緊張をほぐしたが、何とも落ち着いた気持ちになっている。それが小池社長の人徳によるものだということを感じながらであった。
これほど気さくで話しやすい社長というのも珍しい。しかも経営不振で弁護士に相談しなければならないほどの会社の社長だとは思えない。実にスムーズに一日目の話は終えることができそうだ。
「本当は今日、水谷さんと夕食をと思っていたのですが、何しろ仕事の関係が詰まっておりまして、夕方はご一緒できません。すみません」
恐縮そうに頭を下げる小池社長、
「いえいえ、どうぞお構いなく」
却って私が恐縮してしまう。
お互いに頭を下げているが、上げれば相手がまだ下げているので、もう一度下げる。そんな喜劇みたいなことを何度繰り返したことだろう。小池社長の人間の大きさのようなものを感じることができただけでも、翌日からの仕事がやりやすくなるというものだ。とにかく考えていた以上の収穫はあった。
社長というのは、たいていどこか気難しいところがあり、自分をなるべく表に出さないようにするものだ。しかし小池社長はそれを惜しげもなく表に出している。他人と思えない親近感を感じてしまう。
――初対面とは、どうしても思えないな――
そう感じたのは、話の端々で私を見つめる視線を感じた時だった。視線だけで何が分かるのかとも思うのだが、痛いほどの視線は胸の鼓動を誘発し、額から汗を流させた。しかしそれは心地よい感覚で、苦痛なものではない。きっとそれは小池社長の心の余裕に包まれているからだろうと勝手に思っている。
――明日になれば分かるだろうか?
漠然とだが、懐かしさを感じる小池社長の後姿を思い出していた。少し猫背っぽい背中をしているのだが、決して卑屈には感じない。腰の低さを卑屈に感じない理屈と同じだったが、見ているだけで懐かしさを感じたことが嘘でないことを立証しているかのようだった。
私は出張でよく他の会社の社長と会うことも多いのだが、そのたびに聞く話はどうしてもグチが多い。さすがに仕事中はそうでもないのだが、仕事が終わって接待などという名目で食事に行く時に聞かされるのだ。したがって、本当に辛いのは夕方からで、その時になって初めて相手の性格を把握することができる。そのため、どうしても仕事中は営業トークになってしまうのだ。
だが、小池社長にはそれがなかった。営業トークに対してもしっかり反応してくれ、分からないことなどをしっかりと質問してくれるので、とても話しやすかった。
事務所を出ると、すでに夕日は西の空に傾いていた。太陽の傾いている方向、それが西の方なのだと認識していた。とりあえず、金沢駅まで行き、宿泊先にあたる香林坊というところまでタクシーでいくことにした。
香林坊というのは、金沢市の中心繁華街であり、飲食店、宿泊施設、その他娯楽施設が整っているところである。北陸随一とも言われている。当然宿泊施設もそのあたりに集中していて、金沢駅からもそれほど遠くなくいける便利さがある。きっと出張サラリーマンもかなりの数が香林坊に宿泊していることだろう。
ホテルでチェックインを済ませ、荷物を部屋に置くと、さっそく繁華街へと出かけてみることにした。さすがに時計を見ればそろそろ午後七時、お腹も減ってくる時間である。
東京ではあまり見られない星空を眺めて歩いていた。金沢にくればきっと星が綺麗であることは分かっていたので、見上げてみたが、繁華街でも綺麗に見えるのにはさすがにビックリした。
繁華街のネオンサインは東京とくらべても遜色ない。しかしそれでもハッキリ煌いて見えるということは、それだけ空気が澄んでいるということだろう。心が洗われるとはまさしくこのことで、こんな気持ちは久しく感じたことがなかった。
私の田舎は埼玉の奥地である。今でこそ開発が進んでかなり住宅や会社も増えてきたが、昔はそれこそ山と田んぼしかなかったところである。
今から思えば煌く星空など、その頃以来見たことがなかったように思う。子供の頃の記憶が鮮明であればあるほど、私には金沢の星空が子供の頃に引き戻してくれるように感じる。無邪気だったあの頃、いくら急いで歩いていても山の向こうに見える星がまったく動いていないことを不思議に感じていたのだ。
「星を見ている時にね。誰か会いたい人を思い浮かべるとするでしょう? で、正面を見てその人が目の前にいたりすると、きっとロマンチックなんでしょうね」
中学時代、友達の女の子がそんなことを言っていた。彼女はロマンチストで、私からみれば大人びた女性に見えた。詩を書いたりするのが好きな、文学少女だったのだ。
私は彼女に憧れていた。好きだったという感覚よりも憧れていたといった方が的確だろう。まだ異性に対しての感情がどんなものか分からなかった時期なので、そう感じたが、今から思えば立派な初恋だった。神秘的な雰囲気がとても印象にあり、私のように現実的なことばかり考えていた少年には理解しがたい聖域だったのだ。
現実的なところは確かにあった。打算的というべきか、それだけに好きな相手と嫌いな相手は徹底していたのかも知れない。好きな人には尽くしても尽くしたりないほどの思いを持ち、嫌いな人は顔を見るのさえ億劫になる。中学時代という多感な時期だっただけに、そんな性格はきついだけだった。だが、物事を白か黒かで割り切らないと気がすまない私にそれ以外は考えられなかった。
そんな時、目の前に現れたロマンチストな彼女は眩しく見えた。他の人には恥ずかしくて言えないことも、彼女になら何でも相談できる気がしたのだ。
そんな中学時代を思い出しながら星空を見ていると、当たり前のことだが、
――皆同じ空を見ているんだな――
と感じたものだ。
その時の彼女も同じものを見ているだろうし、まだ見ぬ、私の将来の奥さんも見ているのだろうと思うと、一人照れ臭く恥ずかしかった。
見上げていた空から視線を地上に移す。最初に感じた繁華街よりも狭く感じられたのは、それだけ空が遠いからだろうか?
距離を比較するものなど何もない天空は、予想以上にはるか遠いもののようだ。視線を正面に向けると遠近感が分からず、行き交う人が小さく見える。
「おや?」
金沢という初めての土地で、群衆の中に見たことのある顔を見かけた気がした。誰なのか最初はハッキリと分からずただじっと見つめたが、私の視線に気付いたのか、相手もこちらを見ている。
「あれ? このあたりでお泊りですか?」
その声にハッとしたのは、その人がそこにいても不自然ではないにもかかわらず、いることが不思議だったからだ。
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次