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短編集20(過去作品)

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 足は止まらなかった。距離的に海べたまでは分かっているつもりだったので、ゆっくりと歩いていることから、たぶん、まだ時間が掛かることは想像できた。
 砂浜の砂が足を徐々に重たくする。ゆっくり歩いていても、足を上げるときの重たさは尋常ではない気がした。まるで月面散歩のようなイメージがあり、どこまで行っても私の抱いた謎は解消されない気がしていた。
――そもそも、どうして海を見たいなどと思ったのだろう――
 テレビを見たのが直接的な原因であることは分かっている。しかし、それだけで、仕事を休んでまで来るつもりになるとは、普段の私なら考えられないことだ。きっと何か引き寄せられるものを感じたのだろうが、それが何か気になって居た堪れなくなったのではなかろうか。
――何か忘れていたものを思い出しにきた――
 この表現がピッタリな気がする。思い出さなければ気がすまない何か……。匂いのようなものを感じるのだが、それは甘酸っぱい匂いである気がして仕方がない。
 時々甘さを含んだ酸っぱい匂い、海の潮とはほど遠い気がして仕方がないのだが、それを海に求めたのは、これからまだ新しい発見をする前兆なのかも知れない。
 それに気がつくと、海に向って歩く足が止まっていた。
――危ない、危ない――
 ホッと胸を撫で下ろす。このまま進んでいたら、入水するところだった。自分で意識しない間に命を絶ってしまっていたかも知れない状況に、気持ち悪さを感じた。
 ひょっとして自殺として片付けられる人の中には
「気がついたら死んでいた」
 などという人もいるかも知れない。考えてみれば、自殺の原因もないのに、自殺としてしか考えられない状況を作り出しているということもあるではないか。それは何かに呼ばれて、そして自ら命を絶つ、そんなことがないとどうして言えよう。今の私には、それが身に沁みて分かっているのだ。
――だが、本当に命を絶ちたいという思いがないのだろうか――
 それも分からない。ストレスが溜まっているのは間違いない。それだからこそ仕事をサボってまで、海を見に来ようなどと考えるのだろう。気持ちに余裕を取り戻したいから、やってきた海ではなかったのか。自問自答を繰り返す。
 とりあえず、堤防のところまで引き返した。やはりここから全体を見渡すことが忘れていた何かを思い出すことになると思ったからだろう。もう気持ちは水平線だけに集中していなかった。
 入り江になったこのあたり、両側には崖が聳え立っている。断崖絶壁ではあるが、それほど高くはなく、丘に近いものがある。きっとあの向こう側が、漁村になっているのだろう。
 おいしい魚介類を食べさせてくれることで有名なところも、シーズンオフは自給自足なのだろうか? もちろん市場への出荷もしているだろうが、それほど有名な漁場ではなさそうだ。
 左側の崖に登ってみることにした。まったく自然のままなのに、なだらかなスロープのようになっているのは、不思議といえば不思議な感じがした。
 ゆっくりと近づいてみる。それほど遠くないので楽に行けるかと思ったが、さすが砂浜である。足を取られてなかなか前に進めない。目的地が逃げるわけではないので、ゆっくりと向った。
 すると先ほどまで誰もいないと思っていたその丘の上に人がいるのが見えるではないか。
その人は明らかに女性である。ストレートに長い髪が背中まで伸びていて、風に靡いている。もうそろそろ晩秋を迎え、寒さを感じてくるであろうに、真っ白いワンピース姿とは、まるで真夏のような感じだ。しかも日も照っていないのに真っ白い日除け帽子を被っている。完全に夏のイメージを醸しだしている。
――寒くないのだろうか――
 後ろから見ているだけでも寒さを感じる。しかしその女性は微動だにせず、じっと丘の突き出した先頭に立ち、正面を見つめているようである。手は、風で飛んでいかないようにと帽子を押さえている。
 私は後ろから近づこうとしたが、女性の姿を見とめると、一瞬立ち止まった。ようよく見てみると、その女性が丘に立っている姿、さまになっているのである。というよりも、私の中でしっくりきていて、記憶の中の何かがよみがえってきそうだったからだ。
――こんな光景をどこかで見たことがあるということだろうか――
 考えてみるが思い出せない。目の前の光景だけは何となくイメージがあるのだが、その前後というと結びつくものが記憶の中にはないのだ。
――夢で見たのだろうか――
 夢で見たのであれば、記憶に繋がりがなく、何の脈絡もなく出てきた光景であっても、何の不思議もない。なるほど、夢だと解釈することが一番説得力がある。
 それにしても、見れば見るほど記憶がハッキリしてくる。ごく最近見た夢の中での出来事だったのかも知れない。
 あまり不思議な気がしない。いわゆる「予知夢」と呼ばれる夢を、私はよく見る方であった。しかも夢が現実となって現われた時、
――夢を見た時に、実際に起こることだという予感があった――
 と感じている自分に気付くのだった。
 今回もそうである。
 たぶん夢を見ていた時、実現する予感のようなものがあったことで、ここに来てみたいと無意識ながらに感じたのだろう。
 ゆっくりと近づいていく。女性はあくまでも私が近づくことに気付かない。風が強いせいもあって、私の気配を感じないのだろう。じっと前を見詰めたままである。
「こんにちわ、何を見ていらっしゃるのですか」
 横に立って初めて声を掛けると、それでも彼女は視線を前に置いたまま、こちらを振り向こうとはしない。
「こんにちわ、水平線を見ているんですの」
 初めて聞いた彼女の声は少し高めで、可愛らしさがあった。なるほど白いワンピースがよく似合う色白で、少し細面な感じの美人である。色白なきめ細かな肌に対し、少しテカっている真っ赤に塗られた口紅が妖艶な感じに見えた。
「この時期の海ってあまり綺麗ではありませんね」
「そうですわね。でも嫌いではないんですのよ。私はたまにここに来てずっと水平線を見ていることがありますの」
 私は彼女の横顔を探るように、それこそ穴があくほど見つめていた。しかし、そんな視線に対してまったく意識がないのか、表情ひとつ変えない彼女を見ていると、必死になって相手を探ろうとしている自分が惨めに思えて仕方がない。
 私は「冬の海が見たい」と言った真由子を思い出していた。いや、思い出そうとしていたといった方が正解かも知れない。今目の前にいる女性の顔を見た瞬間に、真由子の顔を忘れてしまったのだ。
 元々人の顔を覚えるのが苦手な私である。目の前にインパクトの強い顔が現われると、記憶の中でしか存在しない顔が表に出てくることはない。雰囲気は真由子とダブっているのだが、真由子の顔を思い出せないのだ。
――悔しいな――
 気持ち悪い気がして仕方がなかった。その思いが表情に出ているかは分からないが、真一文字に結んだ唇をすり合わせるようにして力が入るのは感じていた。まるで苦虫を噛み殺したような表情をしているのかも知れない。
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次