短編集20(過去作品)
微笑ながら私に言う。何も聞いていないのにである。
「うん、分かっているつもりだよ」
といいながら、何か心の中を見透かされたようで照れ臭かった。確かにそんな素振りを見せたつもりはないが、気にならないでもない。それは仕方のないことだと思っているが、それを彼女に見抜かれたのは自分としても、少し照れ臭い。
「そういえば名前を聞いていなかったね」
もし、これで終わりだと思えば名前を聞くことなどないだろう。しかし私にはまた彼女と会って抱いている光景が目を瞑ると浮かんでくるのである。彼女が答えてくれるかどうか分からないが、どうせ終わりだとしても、それならそれで聞いておきたいのだ。
「さおりといいます。ひらがなでさおりです」
「松永です。松永博人です」
簡単な自己紹介だった。ここまで聞けば後のことは追々聞けばいいことで焦ることではない。何となく安心感を覚えた。
さおりは私にとって従順な女だった。
普段は物静かで、私が会いたい時に呼び出している。呼び出しには必ず応じてくれて、たまに自分が会いたい時には、申し訳なさそうに告げる。それが何ともいじらしく私には嬉しいのだ。男心をくすぐるというのだろうか。そんな女性を待ち望んでいたのかも知れない。
待ち合わせはいつも同じところだった。新宿駅西口、待ち合わせとしては一番のメッカではないだろうか。
いつも彼女が私を見つけてくれる。私も必死で探すのだが、いつも彼女が最初に見つけてくれるのだ。私は決して背が人並み以上に高いとか、特徴のある服を着ているとかいうことはない。それでも見つけてくれる彼女には最初何かそれが特技のように感じられた。
「あなたを探していれば、まわりから人の気配が消えて、あなたしか見えなくなるの」
と彼女は嘯いているが、
「へえ、そんなものなんだ」
と口では意外なんだと言わんばかりであるが、きっとほくそえんだ顔をしていることだろう。
「私はあなたを見つけることができる。でもあなたは私を見つけることができない。でもね、皆に言わせると私を見つけるのは簡単だっていうのよ。いつもそこにいるんだって……」
そういえば、さおりはいつも同じところで待っていてくれているような気がする。どうして気付かなかったんだろう。
「でも、僕には見つけることができない……」
そういって少し落ち込んだ声を出すと、
「そんなに落ち込まなくてもいいわよ。きっとあなたはあなただけの私を探してくれているんだと思っているわ」
そうかも知れない。確かに私自身、しっかり見えるさおりを見つけたいと目を一点に集中させて探していたような気がする。それが私だけのさおりだと信じているから探せるのであって、逆にそうでないと簡単に見つけられるかも知れない。
――私のさおりはいつもそこにいるんだ――
と思っている。待ち合わせ場所だけではなく、いつも私のそばにいる。それが私のさおりであって、見つけようとするから、スルリと交されているような気がするのかも知れない。
さおりはあまり友達に私のことを話していないらしい。秘密主義というわけではいらしいのだが、本人曰く、
「話すとあなたを失いそうな気がするの」
という。
「そんなことはないさ。僕がいつも君のそばにいるし、どこかへ行っちゃうなんてことはないから心配いらない」
「ええ、そうなのよ。頭では分かっているつもりなんだけど、それでも時々とても寂しくなるの。お酒でも呑まないとやってられない時もあるのよ」
と言うのだ。
いくら心配いらないと口では言っても、本当に寂しそうな目をされると、私の言葉は色褪せてしまう。自分の言葉がどれほど相手の心を打つのか分からない上に、言葉に説得力があればあるほど、責任が大きいような気がして仕方がない。
しかしさおりという女性、何とも分かりやすい女性でもあった。それだけ感情の起伏が激しいというのか、さっきまで笑っていたと思うと急に怒り出したり、理由はあるのだろうが、あまりにも突然で対応に困ってしまう。それだけ私のことを真剣に考えてくれていると思うと心境は複雑でもある。
ついつい私も友達にグチを零したくなることもある。
「彼女の気持ちが分からない時があるんだ」
相談する友人は口が堅くて有名で、話をしても的確なアドバイスが返ってくることで、安心感がある。別にアドバイスがほしいわけでもなく、ただ聞いてほしいだけの時は聞いてくれるだけという、本当に痒いところに手が届くタイプの友達なのだ。
「きっと相手もそうなのかもよ? 自分がそう思う時は相手もそう感じるものさ。よく言うだろう、自分が嫌いな相手はきっと相手も自分のことを嫌っているって、それと同じことなんだと思うぞ」
確かにその通りである。例えは反対のことを言っているのだが、逆もまた真なりであろう。きっとさおりは私がそう思っていることを感じているかも知れない。
「私って本当に分かりやすい性格でしょう?」
とやたら私に聞く時がある。そんな時はたいてい精神的に情緒不安定な時が多そうだ。得てしてそういう時にこそ、相手の気持ちが分かるのかも知れない。
「でもあなたも分かりやすいわよ」
「え? そうなのかい?」
「ええ、バレバレよ」
私の一体どこがバレバレだというのだろう? 同じ言葉を繰り返したりすることがあるのだろうか? 自分でも分からないが、それはさおりに限ったことではない。学生時代から言われていたことなのだ。
「お前は憎めないんだよ」
とよく言われた記憶があるが、きっと分かりやすい性格から来ているのだと、今なら理解できる気がする。
そんな私だから、友達に聞いてもらいたいと思うのだろう。
――自分のことなら私自身よりも、まわりの人の方がよく知っている――
と感じるからだ。
私はどちらかというと誰かと付き合っていることを宣伝したいタイプなのだ。宣伝することでその人と付き合っているという自覚、そしてまわりにそう見てもらうことでの優越感のようなものに浸りたいという気持ち、どちらが強いともいいがたいが、少なくとも優越感だけはいつも感じている。
そんな時、自意識過剰な私はいつも躁状態であった。何をやっていても失敗することないだろうと自分で感じることができ、実際に自分で思っている以上に力が出せるものだと思い込んでいる。いわゆる「自惚れ」というやつである。
自意識過剰な人間を毛嫌いする人もいるだろう。確かに人それぞれ力の出し方には違いがある。私のように煽てられたり自惚れたりして出せる力など本当の力ではないだろう、と感じている人も少なくはないだろう。
しかし管理されることを極端に嫌う私には、それが理解できない。煽てられて発揮できるのであれば、それも立派な力である、その人の中にある潜在能力、それがどのような形であれ発揮できるのであれば、それを引き出すのも才能の一つだ。きっと数ある企業の中のそんな技術を持った管理職も多いことだろう。
不思議なことにさおりと付き合っていて、確かに途中までは躁状態であったことには間違いないのだが、急に目の前の色の違いに気づいたのだ。
――おかしい、空気が湿っけて重く感じる――
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次