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第六章 飛翔の羅針図を

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2.猫の征く道ー3



 少しだけ濃くなってきた蒼天の空に、薄紅色の桜が咲き誇る。ひらりひらりと舞い落ちる花びらが、斜めからの陽光を受けて、輝きを撒き散らしていた。
 メイシアは窓辺にたたずみ、見るともなしに桜を見ていた。
 テラス窓を開けると、春風に運ばれたひとひらが、彼女のもとへと訪れた。枝から離れたばかりの花弁は瑞々しく、しっとりと濡れている。
 あらゆるものが美しく見えた。世界が優しく彼女を包み込んでいるのを感じた。
 彼女と彼女の家族のために、皆が動き出している――。
 ハオリュウは、先ほど自分の案内された客間に戻った。
 父が救出されるの待つため、異母弟は今晩、メイシアと共に鷹刀一族の屋敷に泊まることになった。そんな連絡や状況の報告を藤咲家にしておく、と彼は言っていた。
 明日になれば家族揃って継母の待つ藤咲家に帰るのだと、ハオリュウは思っている。だが、メイシアはイーレオの愛人で、いずれは娼婦になる約束なのだ。そのことはどうなるのだろう?
 心臓がちくりと痛むのを感じた。
 メイシアは胸を抑えた。そして桜を見つめる……。


「おい」
 ルイフォンは、メイシアの部屋のドアノブをノックなしで捻った。扉はそのまま抵抗なく、すっと滑らかに開く。彼女は相変わらず、鍵を掛けられることに気づいていないようだ。聡明なのに世間知らずな彼女らしい。
「きゃっ」
 唐突な呼びかけに、窓辺で外を見ていたメイシアは驚きの声を上げた。彼女が長い髪を舞わせて振り向くと、開け放された窓から桜色の花びらが髪飾りのようについてくる。
 彼女はルイフォンの姿を認めると、口元を両手で覆い、目を丸くした。
「邪魔するぜ」
 ルイフォンは、ずかずかと室内に入り、当然のように椅子に座る。そして、落ち着きのない様子のメイシアに、目線で椅子を勧めた。
「ルイフォンは今、忙しいのではないですか?」
 促されるままに向かいに座りつつ、メイシアが問うた。斑目一族を経済的に追い詰める、不法行為の証拠集めのことを言っているのだろう。
「俺を誰だと思っている? そんな仕事、とっくに終わった」
 やや不機嫌な顔を作り、ルイフォンは口元を歪めた。するとメイシアは申し訳なさそうに肩を縮こめ、けれどしっかりと反論してくる。
「なら、休んでください! ルイフォンは怪我人なんです。それに目が真っ赤で、隈(くま)が出ていて……。お疲れなんです! 昨日からずっと、無茶しすぎです!」
 メイシアの心配は当然といえば当然で、ルイフォンとしても気遣いが嬉しくないはずがない。だが、彼女のあまりに悲愴な顔つきに、思わず口から笑いが漏れた。
「ルイフォン!」
「ごめん、ごめん。……ありがとな。このあと仮眠をとるから大丈夫だ」
 そう言って、ルイフォンは、ごそごそと懐をまさぐった。そして、きらりと光るものをを取り出す。小さな金属の流れる音が、机の上に載せられた。
「え? それ……?」
 それは、メイシアがずっと身につけていたペンダントだった。繁華街に行く際に、貴金属は物騒だからと言われ、と置いていったのだ。
「すまない。こいつに何か仕掛けられている可能性があったから、ミンウェイに頼んで勝手に調べさせてもらった。結果、シロだった。疑って悪かった」
「え、いえ」
「お詫びに今度、俺が何か贈ってやる。アクセサリーなんてよく知らんが、こんな感じのは見覚えがあるから大丈夫だ」
「い、いえ。そんな!」
 何故、贈り物をされるのか、何故、見覚えがあると大丈夫なのか、メイシアには分からない。だが彼女の顔は、ふっと陰った。
「お忙しいのに私を訪ねて来るなんて、どうしたのかと思ったら、これを届けに来てくれたんですね。……ありがとうございます」
 メイシアは机の上のペンダントを受け取ると、首をかがめて身につけた。白いうなじが一瞬だけ、ちらりと覗き、また黒髪の中に埋もれる。
「ルイフォンは早くお部屋に戻って、少しでも休んでくださいね」
 ごくわずかに――音階にして半音程度、彼女の声が沈んでいる。
 そんな彼女に、ルイフォンは一瞬、あっけにとられ、癖のある前髪をくしゃくしゃと掻き上げた。
「……ペンダントはついでだ。俺は、お前に会いに来た」
「え……!?」
 ルイフォンは、すっと猫背を伸ばした。彼は、決してリュイセンのように長身ではないが、それだけで随分と印象が変わる。ぐっと表情を引き締め、彼本来の精悍な顔立ちをあらわにした。
「お前の親父を救出して、この件の片が付いたら――俺は、鷹刀を出ようと思う」
「えっ!? ……ど、どういうことですか!?」
「俺は、もともと一族であって一族ではない。――俺は〈猫(フェレース)〉。〈猫(フェレース)〉は情報屋で、鷹刀とは対等な協力者のはずだ。俺が鷹刀の屋敷にいるのは、母さんが死んだとき、俺がまだ餓鬼だったから。放っておけないから親父が引きとった。それだけだ」
「でも、どうして? ルイフォンが鷹刀を出ることに、どんな意味があるんですか?」
 ルイフォンは――。
 ――挑戦的な目をして、笑った。
「俺が、お前の居場所になる」
 テノールの響きが、魔法のようにメイシアの動きを止めた。
 鈴を張ったような瞳が、大きくルイフォンを映していた。この呪文の意味を、必死に読み取ろうとしているのだろう。
 そんなに難しい話ではない。けれど、彼女の生きてきた価値観からすると、難しいかもしれない。ルイフォンは彼女の表情を確認しながら、ゆっくりと口を開く。
「今、鷹刀と藤咲家は協力体制を取っている。けど、お前の親父を救出したら、お前の所在を巡って対立するかもしれない」
 彼女が息を呑んだ。硬い顔をして彼を凝視する。
「ハオリュウは当然、お前を家に連れて帰るつもりだろうし、親父はお前を気に入っているから手放したくないだろう。それにお前自身も、親父のものになるっていう『取り引き』を忘れちゃいないはず――自縄自縛だ」
「……そう、ですね」
 細い声が揺れた。メイシアは視線を落とした。――か弱く儚げに見える存在。でも、それは彼女の本質ではない。
 彼女は、鳥籠で愛でる鳥ではないのだ。決して力強くはないけど、大空に向かって高く羽ばたく。蒼天の下(もと)でこそ輝く、優美な鳥――。
 自由に翼を広げてほしい――ルイフォンは、そう願う。
「振り切っちまえよ」
「え?」
「しがらみも『取り引き』も、全部、無視だ。……別に喧嘩しろというわけじゃない。できるだけ良好な関係は保つ。だから――」
 ルイフォンは、まっすぐにメイシアを見つめた。

「――俺のところに来い」

 テラス窓から、風が舞い込む。
 薄紅色の花びらを載せて、ふたりを包む。
「ルイフォン……、私……」
 彼を見上げたメイシアの顔が、不意に、さぁっと赤く染まった。彼女は、あっという間に耳まで赤くして、耐えきれなくなったようにうつむく。だから彼は、一瞬だけしか見ることができなかったのであるが、それは純粋で無防備な、むき出しの笑顔だった。
「深く考えるな。直感でいいんだ。今、お前は喜んだだろ? ――俺は、お前の顔を確かに見たからな」
「えっ!? やだ!」
 変な顔だったに決まっていると、メイシアは両手で顔を覆った。
作品名:第六章 飛翔の羅針図を 作家名:NaN