心中未遂
安息の地を求めて死のうとしたはずなのに、引き戻されてしまったことで、どれだけの意識が吹っ飛んでしまったのか、ひょっとすると欠落などという言葉で言い表せないものなのかも知れない。ひょっとすると、完全に死んでしまうまでに感じるであろう意識とともに、吹っ飛んでしまったとも考えられる。
――途中まで行って、また同じ道を引き返す?
生き返ったということは、もう一度同じ夢を見ようと思ったあの時と同じではないか。夢というものと、死というものが密接に繋がっているのではないかと思ったのも無理のないことだ。
――私は、今何を考えているのだろう?
もう一度、意識をハッキリと持たなければいけない気がしたが、今のままでいいような気もする。その答えを導き出すまでにそう時間はかからないだろうが、今はその時ではないと思うのだった……。
◇
理沙は、三枝信二が見舞いに来てくれた日の夜、
――夢でもいいから、信二さんと自分の昔を見てみたい――
と思っていた。
三枝信二のことを思い出したいというわけではない。三枝信二が訪ねてきたことで、自分の中の何かを思い出したいと思うのだ。三枝信二は、二人は別れていたと言った。その言葉に対しての証明はどこにもない。
――証明とは何か?
それは自分が納得できるかどうかという精神的なケジメであり、理沙の中で一番今掴みたいと思っていたことだった。
ただ、夢というものほど自分の意志とすり合わないものはない。自分が望んだことに対して、ハッキリと違う答えを出すのだ。まともに答えてくれて納得させてくれたことなど一度もない。
――それが夢の続きを見せてくれない証拠でもあるのかも知れないわ――
と思うのだった。
いい夢であれ、悪い夢であれ、印象深い夢は必ず、結果が現れる寸前で途切れてしまうものだ。それを理沙は、
――夢とは、自分を納得させてくれないものだ――
として、普段の素直ではない自分の気持ちを表しているように思えてならないのだ。
夢に対していろいろな考えがあることも分かっている。自分と同じ考えの人もいるかも知れないが、見つけることはまず無理だろうと思っている。なぜなら自分と同じような考えを持っている人が、人と夢のことで話をするはずがないからだ。
理沙にとって夢とはアンタッチャブルな世界である。立ち入ってはいけない世界であり、受け入れるしかない世界だと思っている。そんな世界の話を他の人とするというのはあまり好ましくない。他の人が話していることに相槌を打っているだけでしかなかった。
――考えが違う人の話を聞いているだけならいいというのだろうか?
自問自答を繰り返したが、そこまで否定してしまっては、角が立ってしまう。
――仕方がないことは仕方がない――
として考えるしかないのだ。
理沙は夢を神聖なものとして理解していたが、まったく別世界のものだとは思っていなかった。どちらかというと、背中合わせの世界が存在し、そこにあるのが夢の世界ではないかと思っている。
夢の世界を考える中で、近い存在が、鏡の中の世界だと思っていた。鏡の中の世界もこちらの世界と生き写しで、こちらの動きに合わせて向こうも動く、そこに時間差はありえない。
ということは、こちらの世界は鏡の向こうの世界から、「鏡の中の世界」として意識されているのかも知れない。
こちらの世界の人間が、いちいち鏡を見て、
「向こうにも世界が存在する」
などということを意識することもほとんどないだろう。
鏡の中の世界に対して特別な思いを抱いている人は、ある意味「変わり者」と言われるだろう。特に人に話すことではない。
そういう意味でも、鏡の中の世界と、夢の世界とでは共通点も多いのかも知れない。人に話しをすると、
「何バカなこと言ってるんだ」
という人も少なくはないだろう。口に出さなくても、話題を変えようとするか、会話自体をお開きにしてしまうかのどちらかではないだろうか。中には話題にしたい人もいるかも知れないが、それは学生時代までのことで、卒業してからというもの、なぜかそういう話ができる人がまわりにいるような気がしないのだ。
きっとそう思っている人がほとんどだろう。
理沙が思うに、一つのグループがあれば、その中で理沙のような考えを持っている人は必ず一人以下なのではないかということである。皆無か一人か、一人である場合は自分だけ、二人以上いなければ成立しない会話では、一人以下はありえないのだ。そう思うと、理沙は話ができないことを納得するしかなかった。
そもそも学校を卒業して、社会人になってから、何かのグループに入ろうなどという発想はまったく現れない。グループという発想は仕事とプライベートを分離した際、プライベートの中ではありえないという発想が理沙にはあったのだ。
学生時代には確かにグループ意識があった。
ただ、そのグループ意識は、
――他の人と同じでは嫌だ――
というものだった。
――おや?
理沙がそのことを思い出すと、同じ考えの人が自分に対して共鳴してくれているのを感じた。最近出会った人で、その人が誰であるか、思い出そうとしていた。
――そうだ、この間ラウンジで一緒にいた人だ――
弥生のことである。
理沙は勘が鋭い方だというわけではないが、このことに関しては、ある程度自信がある気がしていた。気持ちが通じる何かを感じていたが、それが、
――他人と同じでは嫌だ――
ということであったとは、入院しなければ分からなかった。入院の原因が心中というのだから、皮肉なものだった。
他人と同じでは嫌なくせに、一人で死ぬのが怖いということだろうか?
いや、理沙にとっては逆である。苦痛を伴うことは人と一緒など、想像しただけでも気持ち悪い。痛みこそ一人で感じていきたいと思っていたはずなのに、生き返ってみると、心中だったという。まわりも信じられないような顔をしていたが、一番信じられないのは自分なのだ。
ただ、もう一つ考えているのが、
――私が心中するくらいだというのなら、自殺する人は、間違いなく皆心中なんじゃないかしら――
という考えであった。
何か確信めいたものを感じた。こんなに漠然とした意識なのに、そして、これほど乱暴な意見もないであろうに、理沙が弥生と考えが共鳴したことで生まれた発想だった。
ということは、弥生に対しては、最初から他人だという意識がないのだろう。他人と一緒では嫌だという意識が強いのであれば、他人に思えない人が相手であれば、とことんまで信じてあげようという意識が生まれる。
理沙は、その日の夢で、三枝信二が現れたのを感じたが、意識していなければ、それが三枝信二だということが分からなかったに違いない。なぜなら、夢の中に出てきた三枝信二は、この間やってきた人とはまったく違ったイメージだったからだ。
夢に出てきた三枝は、いかにも計算高い人だった。
夢の主人公は三枝である。そして夢の中に理沙は出てこなかった。
ただ、理沙が夢を見ていて、三枝の気持ちが手に取るように分かってきた。