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心中未遂

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 と感じてしまっても無理のないことだろう。
 穂香本人には裏切ったなどという気持ちはない。もちろん裏切ったわけではないので、穂香を責めるわけにもいかない。しかし、客心理は、一筋縄ではいかない。穂香を責めるわけにはいかないので、態度を改めろとも言えないし、三枝に「ご注進」できるほど、ママは三枝としたしくもなかった。
 三枝に何か言えるとすれば弥生だけなのだろうが、弥生も今の状況ではどうすることもできない。
――弥生ちゃんが退院して、お店に復帰してきて、今の状況を見れば、どのように思うかしら?
 ママは、想像するのさえ、ゾッとしてしまっていた。
 弥生の退院の日が近づいていた。
 記憶が完全に戻ったわけではないが、欠落した部分の記憶がなくとも、普通に生活していけるという、精神的な面での回復が主な理由で、記憶という意味で、弥生が入院で得たものは、ほとんどなかった。
 元々、入院したのは、精神的な安定を目指してのことだったので、目的は達成されたと言ってもいい。
 病院ではまだ理沙が入院していたが、そのことを少し気に病みながらの退院であった。
 退院しても、すぐに仕事に出るわけではなく、少し自宅療養が必要だった。ママもそのことは分かっていての、納得ずくの自宅療養は、カルチャーショックを元に戻すという作用もあった。病院での一見退屈に見えた生活も、慣れてしまうと、今度は退院してからの生活に馴染むまで、結構大変かも知れない。記憶が欠落する前の弥生は、絶えず頭を働かせていたのだから、入院生活の退屈さは、いい気分転換になる反面、それまでの生活を一変させるだけの大きなリズムの変化だったに違いない。
 三、四日は自宅療養が必要だろうということで、ママから許可を得て帰った自宅の部屋に入った瞬間感じたことは、
――あれ? こんなに狭い部屋だったかしら?
 ということだった。
 退院する前は、部屋が広く感じるのではないかと思ったくらいだった。
 病院での生活は、それほど弥生に心の中に余裕を与えた。ポッカリと空いたものも感じていた。それを余裕だと感じたのだ。
 だが、実際に帰宅してみて、部屋が狭く感じられたのをみると、心の中に与えられたものは余裕ではなかったのではないかと思うようになった。そこにあるのは余裕ではなく、「虚空」だったのかも知れない。
「虚空」は、自分の中でどれほどの果てしなさを感じさせるかを思い描いてみた。それが余裕であれば、果てしなさなどという考えは存在しない。余裕が生むのは果てしなさではなく、充実感なのだ。それが部屋を広く感じさせるのだろう。
 しかし、虚空のように果てしなさを感じさせるものには、却って広さよりも狭さを感じさせる。それは、以前に感じた時より、時間が経っているからだ。しかも、前に感じた時は虚空の存在など皆無で、部屋の広さは不変であり、それすら感情にないほどに感覚がマヒしていたからに違いない。
 部屋の中に入った弥生は、すぐにカーテンを開け、表の光を差し込ませた。それが一番部屋を活性化させるのに一番だと感じたからだ。
――部屋の殺風景さが、部屋を狭く感じさせただけだわ――
 あくまでも「虚空」を否定したいのだ。
――そういえば、この部屋に他の人が来たことって、かなりなかったわね――
 元々、友達を連れてくることはなかった。他の部屋から聞こえてくる騒音を極端に嫌う弥生は、自分から騒ぎの種を作る気はしなかった。下手に作ってしまうと、今度は自分が文句を付けられなくなるからだ。
 付き合っていた人を連れてきたこともない。完全に自分のスペースとして確立していた。それだけに、殺風景さは今に始まったことではないのだが、少しの間、この空間には人の気配がなかったのだ。
 自分であっても人の気配である。かろうじて、今でも人の気配を感じることができたのだが、
――これが以前の私の気配――
 弥生はそう思うと、密閉された部屋であるにも関わらず、足元から冷たい空気が通り抜けるのを感じた。
――風は動いているんだ――
 ただのすきま風には違いないが、動いている風を感じると、
――部屋がやっと住人が帰ってきてくれたことを喜んでいるのかしら?
 と思ったりもしたが、そんなメルヘンチックな考え方などあまりしたことのない弥生としては、
――私らしくないわね――
 と言って、自嘲の笑みを浮かべてしまい、自分でボケて突っ込んでいるような一人芝居をしばし考えてしまっていた。
 表から差し込んでくる日差しは、普段スナックでの生活が中心となっていた自分が、入院中でも、夜の生活のままの感覚であったことを思わせた。
 夜のラウンジから見た、かすかに見える明かりに何を感じていたというのだろう?
 本当は暗闇がいいはずなのに、一つの光が気になると、他の明かりも探してしまうのは、夜の生活の中に満足できているわけではなく、明るい世界を一つでも見つけようとしている証拠ではないのだろうか。
 そう思うと、弥生が入院生活の中で、同じような考え方をしているように思えた理沙のことが気になってしまう。
――もう退院したんだから、彼女のことは気にしないようにしないと――
 と思えば思うほど、弥生は理沙を思い出してしまう。
 弥生は理沙の後ろにいる誰かを感じていた。それは自分に関係のある人なのかも知れないと感じたのは気のせいであろうか。ラウンジの暗闇から一点の光を探そうとしているのは、理沙の後ろに見える、知っているかも知れないと思える人の面影を探っている様子を見ているからなのではないだろうか。退院してきてもラウンジのこと、理沙のことを思い出してしまうのは、そのせいなのだろう。
 部屋に帰ってきてすぐに、弥生はコーヒーの準備をしたが、部屋の中を伺いながら、虚空を感じている間に、コーヒーの香りが部屋の中に充満してくるのを感じた。
――これでやって部屋に帰ってきたんだわ――
 弥生は、コーヒーが好きだった。
 それも表で飲むコーヒーではない、この部屋で飲むコーヒーだった。
――この部屋にはコーヒーの香りがよく似合う――
 と、最初に感じたのはいつだっただろう?
 田舎から飛び出してきて、スナックに勤め始めた頃からだろうか。ママに誘われてスナックに勤めるようになってから、割り合い最初のことから、店に馴染んでいた自分を思い出した。店の中を切り盛りしているママの補佐をするのが楽しかったのだ。表に出ることはないが、縁の下の力持ちが自分には似合っているということを学生時代から自覚していた弥生だけにスナックでの充実感は、
――まるで天職だわ――
 と思えるほどになっていた。
 もちろん、お客さんの相手もしてはいるが、他の女の子と自分は違うという意識が、優越感に繋がる。
――優越感は、充実感の中でもエネルギーとなる部分を支えるものなんだわ――
 と、感じるようになっていた。
 それがいいことなのか悪いことなのか、結論は自分で出すものではない。ママもハッキリとは言わない。だが、エネルギーになっていることは確かである。
――毒を持って毒を制すともいうではないか――
 という感覚もあった。
 コーヒーの香りは、感覚をマヒさせるものだと思っていたが違っていた。逆に、
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次