心中未遂
逆に弥生からすれば、穂香の年齢と、同じ雇われ従業員としての対等な立場から見た、ありえないという水商売の先輩としての発想だった。特に弥生は、自分が水商売に入り込んだ時のことを思い出していた。自分がまわりの人とうまくやっていくために、してはいけないこととして頭に叩き込んだことだっただけに、ありえないという気持ちも当然の発想なのだ。
それは、最初にママから頭の中に叩き込まれたことでもあった。ママは、新人には特にそのあたりはキチンと説明するはずだが、それを敢えて無視したとしか思えない。穂香には何か他に考えていることがあるのか、相手が三枝だというのも、何かあるのかも知れない。
三枝にしても、いとも簡単に穂香の誘いに乗ったものだ。
ママにしても、弥生にしても、
――相手が三枝だから――
という共通した思いがあった。その思いが二人一緒に最初に来る発想だったはずだ。三枝という男はそれほど二人からの信任も厚く、他の店の女の子からも一目置かれる存在だったのだ。
三枝は、店の常連になってから、久しい。ママが店を開いた時は、常連客が多かった。常連客で持っている店と言ってもいいだろう。スナックを開店する時に、ママが自分が勤めていた店から、客をうまく誘導することも、うまく経営していけるかどうかの、大切な指標であった。
三枝は、ママが以前勤めていた頃の店に、最後の方で常連になった客だった。前の店からすれば、
――三枝くらい、まだ店に馴染んでいない客はどうでもいい――
というくらいに思っていたようだ。
そんな打算的なことしか考えられないような店だからこそ、ママが常連を引き抜いていくのも比較的スムーズに行けた。ママの、最近常連になった客だけを引き抜けばいいからだ。
ママは前の店で、誰にも言わず、新しく経営する店のイメージを立てていて、すでに引き抜く算段をしていたことで、最後の方は、自分に常連客を付けることと、どうやって引き抜くかを考えていたので、事前工作は比較的、うまくいっていた。
ママがそこまで事前工作できるほど、前の店は人情的に薄い店で、ホステスへの配慮など、なかなかあったものではない。
大きな店だったことも幸いしたのだろう。先輩の中には、同じように独立して行った人も少なくないという。
――ホステスは消耗品――
それが前の店の基本的な経営理念だったのかも知れない。
だから、ママは自分が店を開いてからは、
「お客様あっての、従業員。従業員あってのお客様」
という言葉をいつも口にしていた。
別に客と女の子が深い関係になることを頭から禁止することはしない。もちろん、最低マナーが守られてさえいれば、それでいいのだ。
ママの考え方はそのまま弥生に引き継がれ、まだ若いのに、ママの右腕となっていた。
本当は、ママはもう少し年齢の高い女性を、「チーママ」として雇いたかったようで、前の店からの引き抜きも考えたが、さすがにそこまではできなかった。どこかから引き抜くまではママの性格では難しく、雇い入れたとしても、そこまで務まる人がなかなかいるわけでもなかった。とりあえずは、若いながらも信頼できる弥生が、「チーママ代理」くらいの立場でいてくれることは、ママにはありがたかったのだ。
そんな弥生に対しては、意外と客から個人的に仲良くなりたいという人は少なかった。
元々ナンバーツーというと、とっつきにくい雰囲気を感じさせるものなのか、特に若い弥生に対しては、最初に興味を持っても、若さの中にしっかりしたものを感じさせ、さらに取っつきにくさが備わってしまえば、男から見て、近寄りがたいものがあっても仕方がないことかも知れない。
弥生は、それでもいいと思っていた。どちらかというとスナックでも表に出るよりも、裏方の仕事の方がやりがいがあった。面倒見がいいと言えるのかも知れないが、頭が切れることで、経理的なこと、会計的なことを任せておけば安心できるとママに感じさせたのはありがたいことだった。
そういう意味では女の子が一人減るよりも、弥生がいない方がどれほど大変であろうか。接客の女の子に代わりはいても、弥生の代わりはいないのだ。まだ店を出してそんなに経っていないママとしては、弥生の入院が痛手であることに違いはなかった。
ママは仕方なく、弥生の役を、税理士に頼んでいた。お店の常連さんの中に税理士に知り合いがいるということでお願いしてみたのだが、その人のおかげで、弥生の代わりを何とか賄えている。
その税理士の話として、最近、お店の売り上げが減ってきているのが気になると聞かされた。いろいろ調べてみると、穂香の客が減ってきたことが影響していた。
入ってすぐの穂香にはビギナーズラックというべきか、新しい女の子と話をしてみたいということで客も足しげく通ってくれていたようだが、次第にその客が少なくなっていた。少々の減りであれば、それも仕方がないのだが、目立っているのは気になったのだ。
調べてみて、そこで分かったのが、穂香と三枝の関係だった。
ママの出勤時間は、開店時間前のいろいろな雑用とかもあり、開店時間からかなり後になってからのことが多い。どこの店でも同じようなことではあるので、それだけに、開店からしばらくの間のことは、他の女の子に任せている。
なかなかその時間帯に起こっていることは把握できていないのも事実で、その時間帯に三枝が一番多くやってきていて、いつも相手をするのが、穂香だというのも、事実であった。
穂香と三枝の関係を、疑う余地もないくらいにありえないと思っていたママだったので、この時間帯は安心して、女の子に任せられていたのに、まさか穂香と三枝の仲がここまで進展するものだとは想像もしていなかっただろう。
そんな穂香を他の客が見ると、敬遠したくなるのも当然である。
そんな客が他の女の子に興味を持つかというと、そこも難しいもので、
――穂香ちゃん目当てなのに、そんな子だと思ってもみなかった――
と、お客さんに感じさせてしまっては、なかなか他の女の子を見る気持ちも萎えてくる。そこまで来てしまったなら、他の店に鞍替えする人も当然増えてくる。
元々、このスナックは常連さんから始まった店である。途中から入ってきた人は、女の子目当てでなければ、常連客と仲良くなるなど考えられないし、そうなると、もうこの店への未練など、微塵もなくなってしまう。
そんな構図をさすがにママも最初は分からなかった。
一人の女の子のために、ここまで悪い方に進んでしまうなど、思ってもいなかったからである。
穂香は、明るさに特徴のある女の子で、ママが面接ですぐに採用を決めたのも、スナック向きだと思ったからだった。笑顔はスナック向きというよりも、接客に向いている笑顔だと思ったのだ。だが、それが裏目に出てしまったのだ。
接客に向いているということは、一人を独占してはいけない笑顔だ。だからこそ人気が出るはずだったのに、せっかくの笑顔も、それを使う以前に、一人の人と「できて」しまったのだから、どうしようもない。
――可愛さ余って憎さ百倍――
という言葉もあるが、そこまで大げさなものでなくとも、客からすれば、少なくとも、
――裏切られた――