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心中未遂

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 人によっては、口ではそう言って礼を言うかも知れないが、理沙も弥生も、そこまでの気持ちは自分の中にありえなかった。
 完全に別世界に行ってしまった自分の心境を、誰が思い図ってくれるというのだろう。特に弥生は、前の生活に戻っているが、それは心境がマヒしてしまったからだ。時間が解決してくれるという人もいるが、そんな単純なものではない。
 だが、こんな時ほどちょっとしたきっかけで元に戻れるのかも知れない。
――これ以上のどん底はないんだ――
 という思いがあるからだ。
 どん底にいれば、後は上を見るだけと思うことで、ふりだしのイメージが頭を過ぎる。すると、誰か一人でも自分のことを思ってくれる人がいれば、それだけで生きていく糧を見つけることができたような気がしてくるだろう。
 単純なことでもいい。それこそが生きがいというもので、普通に暮らしていた今までは感じたことのない生きがいを、一度どん底を見てしまうと、そこから見つけるものは、すべてが生きがいになっていくものだと思うのだ。
 今、弥生はそのことを考えられるようになってきた。
 だが、理沙にはそこまで考えられる余裕があるとは思えない。時間ではないと言いながらも、ショックを取り除くには、どうしても時間が必要だ。一気に取り除くことのできないものは、ゆっくりと時間を掛ける必要があるからである。
 弥生が理沙を見ていて、本来ならまだハッキリとしてきているはずのない理沙の意識が、思ったよりしっかりしているのではないかと思えてならかなかった。
 弥生には過去を思い出すことの恐怖があるが、理沙には、その思いがなさそうだ。
――この人は、自殺の原因を過去の記憶として封印してしまったのではないのかしら?
 と思った。
 確かに過去の記憶として封印してしまうのが一番楽かも知れないが、それは死に切れなかったことを吹っ切れてしまった時に考えることで、なかなか吹っ切れない弥生は、過去の記憶として封印してしまったことを少し後悔していた。
 思い出さないようにする決意が必要であるにも関わらず、気持ちの中で封印してしまったことを思い出さないようにできるか、今頃迷っているのだ。
 欠落した記憶を引っ張り出そうとしていることからも言えることで、中途半端な気持ちでいることに耐えられなくなったのだ。
 少しの間であれば耐えることもできるかも知れないが、これ以上は難しい。その思いを弥生は、
――堂々巡り――
 として感じてしまっていることで、自分が理沙を意識していることの証のように思っているのだ。
 理沙は刑事から、
「どうして心中しようなんて考えたんだい?」
 と聞かれて、どう答えていいか分からなかった。
 心中したという意識が本人にはないからだ。意識にあることと言えば、自分が死のうとしているところに、男の人がやってきていて、なかなか死ぬまでに時間が掛かったということだった。その人の様子までは分からなかったが、気配が薄かったのは感じていた。
――私もこれくらい気配が薄いのかも知れない――
 と思ったほどで、死を決意した人の近くには、こんな人が寄ってくるのかも知れないと感じたほどだ。
 理沙が死のうと思ったのがどうしてなのか、その部分の記憶がない。肝心な部分の記憶がなくなってしまえば、それ以外のことは覚えていても、記憶がないのと同じである。自分が誰なのかということは分かっても、まわりの中でどのような位置にいるのか分からないと、身動きが取れるわけもない。そう思うと記憶のないことが幸いしている気もしている反面、身動きが取れない辛さは、自分を最悪な状態に導いていることを示していた。
 理沙も記憶がない自分を顧みて、
――記憶がないことに何か意味があるのかも知れない――
 と考えるようになっていた。
 だが、記憶がないだけに、いろいろ考えてもすぐに限界にぶち当たり、そこから先は堂々巡りを繰り返してしまうことを自覚していた。理沙が考えている堂々巡りとは少しイメージが違っているのかも知れないが、弥生も自分と同じように堂々巡りを繰り返しているとは夢にも思っていなかったのだ。
 二人がラウンジの同じ部屋で話らしい話をしたわけではなかったが、それでも考えが似ているイメージを感じることで、次に会った時、すでに相手の気持ちが分かっているのではないかと思った二人だった……。

                   ◇

 理沙の意識が戻って、そろそろ一週間が経とうとしていた頃、弥生は退院して行った。退院していく弥生を、理沙は横目でチラリと見ただけで、さほど意識することもなかった。あの日からラウンジに消灯後に行くようになったが、弥生と出会うことはなかった。もしいたとしても、何か話さなければいけないのではないかと思うと、億劫になり気が滅入ってしまっていたかも知れない。寂しさの中、一人佇んでいることが一番似合っているように思っていたのだ。
 弥生が退院した次の日、理沙を訪ねてくる一人の男性がいた。彼は理沙の姿を見て、涙目になっているのが分かる。
「すまない」
 それが男の最初の言葉だった。
「……」
 理沙はすまないと言われても、記憶のない状態で見覚えのない人から詫びを入れられても、それにどう答えていいか分からなかった。
「そうか、君が記憶を失っていると聞いたけど、本当だったんだね。本当かどうか、自分の目で確かめるまでは信じられないと思っていたけど、やっぱり本当だったんだ」
 何を疑っているというのだろう。記憶喪失が狂言だとでも言いたいのだろうか? もしそうだとすれば、失礼な話である。
 理沙は男の顔を怪訝な様子で眺めていた。自分でも不審者を見ている表情であることは分かっているので、普通なら他の人には見せられない顔に思えた。そういう意味では失礼はお互い様なのかも知れない。
「一体、どなたなんですか?」
 声に出してみると、さすがに記憶を失っていることを分かっているとはいえ、相手が嫌な顔になったのは、ショックだった。どこまで親密なのかは分からないが、相手は少なくとも自分を知っている相手だ。そんな相手から、面と向かって知らないと言われてしまえば、ショックなのは隠し切れない。しかも今の理沙には、普段では感じることのできない相手の感覚を鋭く察知できるようなアンテナが張り巡らされているように思えているのだった。
 男はショックを敢えて隠そうとせず、その代わり、淡々と話し始めた。
「僕は、君の恋人だった男だよ」
 と言うと、理沙がすぐに男の言葉に矛盾を感じ、
「恋人……だった?」
 過去形であることに矛盾を感じたのだ。
「ええ、恋人だったんですよ。別れたからね。別れを言い出したのは君、だけど、傷ついたのも君だったんだね?」
 彼の出現が、理沙に自殺の原因を思い出させてくれるかも知れないと感じたが、
――逆に思い出すなら、この人以外から思い出したい――
 と思っている自分に気が付いた。
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次