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心中未遂

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 記憶していないわけではなく、無意識の中に働いている意識が、思い出したくないという気持ちを封印し、過去の記憶の中に紛れ込ましているのかも知れない、
「木を隠すなら森の中」
 という言葉もあるが、それよりどうして封印してしまおうと思ったのかが分からない。
 自殺をしたという事実は消すことができない。記憶から消してしまうことは絶対にできないのだ。
 手首に残った躊躇い傷が消えるわけでもなく、もし消えたとすれば、その時こそ、気持ちの中に消すことのできない傷を残してしまうことになるからだ。
 絶対に消せない事実だけが残っていて、その時の心境を消してしまうことは、まるで皮だけ残して骨がない状態になってしまうのではないだろうか。思い出したくないのなら、思い出さないようにすればいいだけで、何も封印してしまうことはない。思い出せないということが、プレッシャーになることを分からないわけでもないだろう。
 ただ、人間はそこまで器用にできていないのかも知れない。
 中途半端に記憶を消そうなどというのは虫のいい話で、
――少しでも消してしまおうと思うのなら、一部だろうがすべてだろうが同じこと、すべてが消えてしまうしか方法はない――
 ということなのだろうか?
 どちらを選ぶと言われれば、すべてを消去するような真似は普通ならしないはずである。それをしてしまったということは、それだけ切羽詰った心境にあったということで、思考回路もマヒしていたのかも知れない。
 そう思うと、弥生は記憶の欠落は一部が消えているものではなく、一つのテーマすべてが消えてしまっていて、記憶しているものは、中途半端ではないということであろう。
 ただ記憶の欠落には時間が掛かる。意識してしまえば記憶が欠落している途中なのかも知れない。
――途中までが消えてしまった――
 と思うのは、すべてが過程で、進行状況を図り知ることは、その時の弥生には無理だったのだろう。
 理沙と面と向かっていると、話をしなくても、思考回路が次第に繋がってくるのを感じた。
――ツーカーの仲――
 と言われるが、それは一緒にいる時間に比例してのこともあるだろうが、それだけではない。
――どれだけ感性が繋がっているか――
 ということでもあるだろう。
 弥生に、じっと見つめられた理沙も似たようなことを考えていた。すべてを忘れてしまったと思っていたことが、先生の話で、それはすべてではなく、一部だと聞かされて、ずっとそのことが頭にあり、考えていたが、結論が出るはずもない。
 それは頭の中で考え方が堂々巡りを繰り返しているからだ。
 堂々巡りとは、考えていることが、途中で知らず知らずのうちにふりだしに戻っているからではないかと思っていたが、今の理沙は違うことを考えていた。
 堂々巡りは、自分の中で勝手に限界を作ってしまい、なるべく考え方を限界に持って来ようとする作用が働いている。限界に近づくとおのずと、元に戻ろうとする習性があり、元に戻って考え始めると、
――あれ? また同じことを考えている――
 と思うのだ。
 無意識であるのかも知れないが、知らず知らずのうちに戻っているわけではない。本能のようなものに導かれて元に戻っているわけであり、知らず知らずではないのだ。
 堂々巡りを繰り返していると、同じ考えでも世界が狭まってくるのを感じる。世界が狭まってくると考えられる範囲が凝縮されているので、容易に結論を導きさせるように思うのかも知れないが、本人には狭くなったという意識はあるが、凝縮されたという意識がない。したがって、意識していたことすべてが収まっているわけではなく、途中で毀れてしまうことを感じるのだ。
 記憶の喪失であったり、欠落というのは、そのあたりに原因があるのではないだろうか?
 医者はハッキリとは言わないが、分かっているのかも知れない。
 理沙は、今弥生と話をしていて、そのことに気付き始めていた。
 話をしていると言っても、言葉に出して何かを話しているわけではなく、目の前にいる弥生と会話のシュミレーションをしている感覚だった。
 弥生も理沙と一緒にいるとシュミレーションをしている。
――会話が却って邪魔になることもあるんだわ――
 と、弥生は感じていた。
 弥生は理沙の中に、
――自分が忘れてしまっていることを、彼女は持っている――
 と思っていた。
 それは彼女が「知っている」というわけではない。「持っている」という表現がふさわしいのだ。
 弥生は自分が自殺した時のことを思い出そうとしていた。
――一番思い出したくない――
 と思っていることであるのは確かだが、思い出そうとしても、どうせ途中までしか思い出せず、そこから先は諦めてしまう。理沙のように頭の中で堂々巡りを繰り返すことはないのだ。
 他のことを思い出そうとした時は、理沙同様、堂々巡りを繰り返そうとする。
 それは理沙と弥生二人だけに言えることではなく、誰にでも言えることなのではないかと弥生は思っていた。
 だが、このことに関しては、理沙は違う思いがあり、堂々巡りを繰り返すのは、特別な人間だけだと思っていた。それが誰なのか、理沙には自分で分かるのだという意識があり、弥生は堂々巡りを繰り返すことのできる一人であると思っていた。
 弥生と理沙は共通点が多いが、一つ一つを比較すると、違っているところも結構ある。理沙よりも、弥生の方が相手を見る目があるような気がしていた。ただ、あまりにも見えすぎてしまうのは、結局は自分を苦しめるだけではないかと思い、追いつめてしまっている自分がまるで悲劇のヒロインのように感じることもあった。
 弥生が自殺を図った時、
――一人で死んでいく自分は、孤独なんていう気持ちはマヒしてしまって、精神を凌駕しているに違いない――
 と思っていた。
 そのまま死んでしまえば、何も感じずによかったのだろうが、生き残ってしまったために感じなくてもいいことを感じないといけなくなってしまった。
 何よりも死ぬことで、すべてを精算したと思っていたのに、生きてしまったことで、また自分を思い出さなければいけない。
 まったく新しい人間に生まれ変わってしまることができるわけではない。生き残ったということが、どれほど中途半端なことかということを思い知らされた。
――まわりの人たちは、一人の人間の命を救ったと、まるで英雄気取りだけど、死に切れなかった人間にとっては、まるでヘビの生殺しのような心境だわ――
 一度、すべてを捨ててしまった自分が、今さら元に戻ってきて、どうするというのだ。人によっては、身辺整理をして死を迎えた人もいるはずだ。生き返ってしまえば、世の中の荒波に裸同然で放り刺されたようなものではないか。それならいっそ死んでしまった方がいいに決まっている。
 救ってくれた人が、その人の人生の面倒を見てくれるわけではない。
「生まれ変わったつもりで頑張ればいいんだよ」
 と、救ってくれた人はいうだろう。
 だが、それこそ他人事、英雄気取りでいる人に一番言われたくない気持ちだ。
「ありがとうございます。助けてくれて」
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次