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心中未遂

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 それは時が熟していないという思いに近い。障害の一番の理由が時間というわけではない。ここでいう「時」というのは時間という意味ではなく、タイミングということだ。タイミングさえ合えば、思い立ったその時、穂香をホテルに誘うかも知れない。タイミングを計っているのに、穂香がそのタイミングに入り込んでこないようであった。
 刑事は結局穂香に気付いていないのか、何も話そうとせず、ビールを飲んで早々に帰っていった。
「おかしなお客さん」
 他の女の子が穂香に声を掛けてきた。
 皆知らないふりをしながらも、十分に気にしていたのだ。穂香もその言葉に無言で頷くだけで、なるべく男の話題から離れたいと思っているので、それ以上は何も言えなかったのだ。
 他の女の子たちは、知らないふりをしながらも、穂香と三枝のことも、じっと見ているのかも知れない。その思いを強くした出来事が刑事の来店だったが、その男が数日後、またフラリと店にやってきた時、その男が最初に来た日よりもビックリさせられた。
 同じようにビールを一本呑んで、何も語ることなくすぐに帰っていった。他の女の子は誰もその人に話しかけようとはしない。穂香も視線を気にしながら見つめていたが、二回目の来店の時は、最初の日に比べて、時間があっという間だったようにしか思えなかったのだ。
 その日も三枝はいなかった。
 穂香は男が帰ってから、次第に不安が募ってきた。その不安がどこから生まれるのか分からない。分からないだけに不安が募るのだ。
 理由の分からないことほど気持ちの悪いものはない。もっとも不安というのは、漠然としているもので、理由のある不安と理由がない不安とではかなり気の持ちようが違っている。
 この不安は子供の頃によくあったもので、今ではなくなってしまったことが自分の中で、大人になることだと思わせた。
――大人になるとは、一体どういうことなのだろう?
 穂香は、自分が本当に大人の仲間入りをしているのかどうか、よく分からないと思っていた。
 穂香の中で、何か大人になるには通らなければいけない道があって、それを通っていないような気がしていたのだ。それが分からないから、三枝も自分を大人として見てくれず、抱いてくれようとしないのではないかと思っていた。
 その思いは半分は当たっていた。穂香がそのことに気が付いたことで、
「穂香も、だいぶ大人になってきたね」
 と言う言葉を掛けてくれた。
「だいぶなの?」
 すべてではないことが気に入らないと言いたげであったが、それでも嬉しい気持ちを表して、穂香は三枝に甘えてみた。
「そうだよ。でも、だいぶ甘えることも上手になったようだ」
 三枝はやはり穂香の気持ちがよく分かっていて、穂香が言ってほしいことを、ズバリ言い当てる。
 そんな三枝に信頼感を深め、同時にそんな自分が大人に近づいた自覚を持つことができていることに、喜びを感じていた。
 三枝の背中を見て、その背中を大きく感じる時と、折れ曲がっていて小さく感じる時と両方あったが、その頃になると。大きな背中しか感じなくなっていた。
 刑事がやってきたのは、その二度だけだったのだが、一体何をしにきたのか分からない。穂香がここでアルバイトをしているのを聞きつけてやってきたわけではないだろう。
 刑事がやってきたことは誰にも話していない。皆不気味な客だとは思っていても、男の素性まで知ろうと思うような人もいないし、今までに一度もその男の話が出たことはなかった。
――本当にその男は存在したのだろうか?
 もちろん、少しの間だとはいえ、その男と正対した穂香には、十分な存在感が植え付けられた。しかし、時間が経つにつれ、十分だったはずの存在感が次第に薄れていき、
――これ以上薄れたら、存在すら怪しく思えてくる――
 と思うほどのところまで来ていることに気が付いた。
 その男を刑事だと思っているから、存在感が消えることはないのだろうが、自分がここまで存在感を感じなくなるほど、印象を薄くしてしまうことができるのだと分かって、信じられない気分である。
 もう一つ気になったのは、その刑事が現れた時、決まって三枝がいない時であった。確かに最近は、表で会うようになってことで少し来店が減ったが、その時はまだ週に何度かは顔を見せていた。これも偶然で片づけていいものなのか、気になるところだったのだ。
 刑事が最後に来てから一か月ほど経ったある日、店の他の女の子が、穂香に忘れ去ってしまいそうになっていた刑事の面影を、面影だけではなく、クッキリと思い出させるようなことを口にしたのだった。
 その日は、開店からしばらく客は誰も来なかった。開店から一時間は誰も来ない時間帯があるのは今に始まったことではなく、その日もカレンダーのめぐり合わせなのか、誰も客が来ない日だった。
 穂香が店の用意をしていると、後二人の女の子が急に話し始めたのだ。
「ほら、一か月前くらいに、一人暗いお客さんが来たの覚えてる?」
「ああ、お店がお客さんでいっぱいの時ね。そのお客さんはカウンターの奥で、一人でビールを飲んでいたのを覚えているわ」
 カウンターの正面に正対していた穂香のことは話題に出なかった。その男だけが気になって、それ以外は見えていなかったのかも知れない。
「この間、昼間見かけたのよ。その人はお店に来たのと同じようなコートを着て、帽子をかぶっていたわ。本当にあれがあの人のトレードマークっていう感じね」
「それで?」
「その時に、その人が喫茶店に入って行ったんだけど、待ち合わせだったみたいで、店の中には女の人がいたのよ」
「へえ、見かけによらないわね。でもそれだけなら大した話題にはならないんじゃないですか?」
「相手が問題なのよ」
「一体誰なのよ?」
「それがね、よく見ると、弥生さんだったのよ」
「えっ、弥生さんって、ここの弥生さん? でも、弥生さんは病院に入院中ということではないんですか?」
「ええ、私もそうだと思っていたんだけど、その人はどう見ても弥生さんだったのよ」
 他の女の子は弥生がどうして入院しているか知らない。自殺を試みたことも知らないので、驚きはあっただろう。二度も入院するのだから、病名は知らなくても、さぞや大きな病気ではないかというのが、他の人のもっぱらの噂である。
 そんな弥生が喫茶店で、お店に来たことのある男と会っているというのもおかしなものだ。しかし、あの男が店に何の用で来たのかも分からない。誰かを探しに来たのか、それとも何か事件の証拠でも探しに来たのか。
 いや、ただの客だったのかも知れない。店の誰かと知り合いで、その人を訪ねてきた。それなら、声を掛けてもよさそうだが、雰囲気に似合っていなかっただけに、声を掛けにくかったと見るのは贔屓目だろうか。
 ただ、それも、今の話を聞くまでだった。
 だが、まさか弥生と刑事が知り合いだったなんて、ビックリである。ただ、弥生が入院しているというのは事実だし、退院すれば店に入るものだと思っていただけに、表で他の男の人と会うというのは、おかしな感じがした。
――本当に弥生さんと刑事だったんだろうか?
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次