心中未遂
穂香にとって誰かと似ているところを見抜かれるのは、まるで自分を裸にされるほど恥かしいことだった。羞恥にまみえるくらいなら、人を頼りになどしたくないという思いが穂香にはある。いつも孤独でいるのは、その思いが強いからだった。
そのくせ独占欲と、競争心が強い。スナックのような店ではもっと自分を表に出せば、きっと独占欲も競争心も、意のままにできて、満足の行く生活が送れるのだろうが、自分を表に出すことのできない性格が災いしてか、どうしても殻に閉じこもってしまうことで、まわりにマイナスのオーラを発散させてしまっている。
それでも、三枝は穂香と一緒にいることを望んでいる。殻に閉じ籠ることさえなければ、弥生に負けないくらいの女性なのだということを分かっているのは、自分だけだと感じている。
三枝は、その思いだけで十分穂香といる時間を大切にできるのだと思っている。穂香は弥生に対して競争心を持っていながら、表に出さない自分でいたのだが、三枝が現れたことで、自分をどんどんアピールできるようにもなっていた。
今まで母親の孤独を見て嫌悪感を感じていたくせに、自分が殻に閉じ籠ってしまっていることと別のことだとして、避けて通ってきた。しかし、三枝との間に開かれた殻は、穂香に笑顔をもたらし、その笑顔は三枝だけのものになっていた。三枝はそんな女性の出現を待っていたことに今さらながらに気が付いた。二人はお互いに足りないところを補って余りある関係であると自覚するに至っていたのだ。
弥生にそれを求めたが、弥生では無理なことが分かった。それは彼女の中に思い出せない記憶の欠落を感じたからで、今後の欠落の中に自分が入ってしまうことを嫌ったのだ。穂香には記憶の欠落は感じられない。さらに穂香と昵懇になった理由としては、
――常に同じ目線で見ることができる――
というところだ。
弥生とは、自分の方が上からであったり、逆に弥生の方が上であったりすることがあった。最初はそれでもよかったが、一緒にいるうちに疲れてくる。気を遣っていないつもりでも、気を遣わされているような気がしてくると、次第に気持ちが冷めてくるからだ。
穂香には競争心が高いところや独占欲の強さもあるが、表情を見ていると、性格が表れている。だから自然と彼女を避けようとする男性もいる。彼女のことを気に入る客と、最初から敬遠する客といて、穂香に対しての態度は両極端である。
一人だけの客の視線を見ていては、穂香のことを見誤ってしまう。やはり本人と仲良くなってみないと分からないことが大いにあるというものだ。
穂香の顔は、幼さの残る顔で、大人の妖艶さも兼ね備えている。表情も両極端なのだが、その時の感情によってどちらが前面に出てくるかが決まってくるようだ。
どちらかが表に出ている時、片方は隠れているというわけではなく、笑顔の中に幼さが残る顔が前面に出ていて、さらによく見るとその奥に妖艶な大人の魅力が見え隠れしている。
大人の妖艶さが前面に見えている時は。その奥に幼さを感じる。三枝は穂香の表情の特徴を掴んでいて、笑顔が前面に出ている時は、恥じらいながら相手の顔を凝視している。逆に大人の妖艶さが醸し出されている時は、視線を合わせようとせずに、下を向いてることが多く、それも恥じらいがもたらすものではないかと思うようになっていた。
声のトーンもそれぞれで違っている。前者はまるで子供と話しているような絵に描いたような舌足らずの声で、後者は鼻に掛かったようなハスキーボイスが魅力であった。
痘痕もエクボという言葉があるが、三枝が穂香を見ていて雰囲気に参っているのは間違いない。
店の外で会うようになると、その気持ちは三枝の中でハッキリしてきた。正直、店にいる時だけでは、一人の気になる女の子というイメージと店の中でのウキウキした雰囲気に酔っていたと言っても過言ではない。店の外で会うようになると、店にいる自分と穂香を客観的に見るようになり、表で会っている自分たちが同じ人間なのかということを意識するようになってくる。
穂香は、三枝に無心するようなことはない。普通店の表で、スナックの女の子と会っている時は、いろいろねだられても不思議ではないが、穂香はねだろうとしない。
――穂香という女性は、甘え下手なのだろうか?
店にいる時も、甘えてくれるというイメージでいけば、穂香よりもむしろ弥生の方が上手だった。弥生と仲良くなって表で会うようになったら、果たして弥生は何かをねだるだろうか?
弥生がおねだりをするような女性に見せないことも確かだ。二人とも一緒にいるだけでいいと言うに決まっている。
三枝も自分から穂香に何かを買ってあげようとは思わない。食事をして、いろいろなことを話す雰囲気は、想像していたのとさほど変わらなかった。店を出てからの穂香は、店で見せていた競争心や独占欲を感じさせない。素直にその場の雰囲気を楽しもうとしているだけだった。
――やはり思った通りだ――
競争心や独占欲は、相手があってのこと、店にいれば、弥生を始め、他の女の子を嫌でも意識してしまうが、一歩店を出ると、普通の一人の女の子。穂香自身も、そのことを強く意識しているのではないかと三枝は思っていた。
三枝の考えは違っていなかった。
穂香の表情は、店にいる時とはまったく違っていた。垣間見れる雰囲気の幼さと大人の妖艶さは変わりないが、そこに結びつく視線が違う。
幼さが表に出て、その奥に大人の妖艶さが見え隠れしている時、穂香は視線を合わせようとはしない。逆に大人の妖艶さが表に出ている時は、三枝を真正面から凝視している。
――営業の時の顔と、普段の顔の違いがここにあるんだ――
と感じた。表で会う時の穂香は、完全に相手を慕っている表情になっているのだ。甘え下手ではあるが、慕いたいという気持ちは人一倍ではないだろうか。他の人が見れば、
「穂香さんは、スナックがお似合いかも知れないな」
と言うかも知れないが、三枝は違った。
――本来の穂香を見てしまったら、スナックの穂香は営業でしかない。逆にその方がスナックでは接しやすいのかも知れないが、スナックに彼女が向いているという考えはないに違いない――
と感じていた。
お店に刑事がフラリとやってきたのは、そんな時だった。
穂香は、三枝と表で会うようになって、自分の心境が少し変わってきたのを感じていた。店の中での自分が、店の外での自分とはまったく違った自分なのだということを再認識していたからである。
刑事が穂香のことに気付いていないようだったが、相手が誰だか思い出してしまった穂香には過去に蓋をすることが自分にはできないということを意識させられたのだ。
その日、三枝は来ない日だった。
表で会うようになると、自然と店に来る頻度も下がってくる。表で会うからと言って、三枝と穂香の間に男女の関係があるわけではない。穂香の方には三枝に抱かれてみたいという意識があるようだが、三枝の方に、一歩踏み込む気持ちがないようだ。それは勇気という言葉で表されるものではなく、どちらかというと、自分の中の「ケジメ」に近いものだった。