小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

心中未遂

INDEX|23ページ/44ページ|

次のページ前のページ
 

 戦後間もない頃のようだが、その頃と時代は違って、死のうとする時は、一人で死を選ぶ人が多くなった。それはそれだけ、一緒に死のうと思う人がまわりにいないからなのか、人と一緒に死ぬことは、自分がその人を巻き込んだようで嫌な気分になったまま死ぬことになるからなのか分からない。
 時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、今の世の中、
――隣は何をする人ぞ――
 という通り、死ぬ時も、
――無関心な相手と死ぬなんて、まっぴらごめんだ――
 と考えているからに違いない。
 弥生は、理沙に興味を持っている自分が、理沙という女性に興味を持っているのと同様に、心中ということを気にしていることに気付き始めているのではないかと思うようになるのは、それからすぐのことだった……。

                   ◇

 穂香がスナックに慣れてきて、三枝との仲が十分にまわりに浸透し始めたある日、店に珍客が現れた。その人の顔を見て、一瞬凍り付いてしまった穂香に気が付いた人は、誰もいなかった。
 その日は珍しくテーブル席のすべてが埋まり、カウンターも一番奥の席を除いて、埋まっていた。女の子もママを含めて三人で足りるわけもなく、普段お休みだった女の子も急遽応援に来てもらったくらいだ。
 テーブル席の団体は別にして、カウンターの単独客も、まるで示し合わせたかのように同じくらいの時間に集中した。客が一気に埋まってしまうと、それまでとはまったく店の雰囲気は一変する。
――カウンター席がこんなに狭かったなんて――
 穂香が初めて感じた感覚だった。今までは客がいっぱいになっても、徐々に人が増えてくる感じなのに、一気に客が埋まってしまうと、息つく暇がないというりも、人に圧迫されて、カウンターのテーブルまでが狭く感じられるほどだった。
 一気に客が埋まってから、三十分ほどはそれぞれの客の相手をしているだけで忙しかったが、助っ人の女の子が来ると、急に楽になった。これだけ客がいるのに、穂香目当ての客はいなかったのである。
 そのため、洗い物に従事していたが、そのおかげで、洗い物が一段落すると、楽になっていた。手が空いてくると、まわりを見渡した。その時にカウンター席の狭さを今さらながら感じていたのだ。
 その時、扉を開ける音がして、
「いらっしゃいませ」
 と、客の姿が見えるか見えないかの瞬間に声が出たことを、ママは見逃さなかった。
――あの娘、よく気が付いたわね――
 扉が開くのを確認してから声を掛けたにしては早すぎる。扉の向こうに誰かがいることを意識しないとできないタイミングだった。
――反射的に声が出てしまったけど、自分でもよく分かったものだわ――
 穂香は、声を掛けたタイミングより、声が出てしまったことが、反射的であったことに我ながら驚いているようだった。
 ママとの感覚の違いは、今までにはあまりなかった。その日、どちらかの感覚が普段と違っていた。どちらが違っていたかというと穂香の方で、その日の穂香は、朝からいつもと違うことを自覚していた。朝起きて目が覚めた時感じたのは、
――あれ? 今日は何日かしら?
 という思いだった。
 昨日の続きという感覚はなく、睡眠に何かの矛盾を感じていたのだ。
 夢を見た気がするが、それがどんな夢だったかまったく見当がつかないほど、記憶にない。普段からあることだが、そういう時は決まって眠りが浅く、起きてから軽い頭痛に襲われることがほとんどだったが。その日は、頭痛がすることもなく、意識も目を覚ますまでしっかりとしていた。
 こういう時の眠りは深いということも今までの経験で間違いのないことだった。
 夢を覚えていないのに、眠りが深かったというのは、今までに経験したことがなく、穂香の感覚では、矛盾した睡眠だったのだ。
 穂香は、目が完全に覚めるまで、結構な時間を要する方だったが、その日はさらに時間が掛かった。だが、時間が掛かったおかげでスッキリとした目覚めを感じることができ、そんな日は、余裕のある一日が過ごせてきたのが今までだった。
 確かに午前中は、余裕を持って時間を過ごすことができ、なかなか時間が過ぎてくれなかったわりには、後から思えばあっという間に過ぎているという、理想的な時間の過ごし方だった。
 昼を過ぎてからは、余裕もあるが、時間の感覚は普段の状態に戻っていて、どちらかというと、普段と変わらない感覚に、まだ午前中を過ごしているように思うのは、朝の時間がまるで他人事だと思うほど、
――穂香らしくない時間――
 を過ごしていたことに気が付いていた。
 午後はそれでも、家を出て、近くの喫茶店に寄った。
 馴染みというわけではないが、その店に行く時、午前中であればコーヒーを注文し、午後であれば紅茶を注文するというユニークな感覚で立ち寄る店だった。一種のこだわりと言ってもいいのだろうが、他の店ではこのようなことはしない。家に近いということも穂香の中の意識としてはあったのだ。
 家が近いと、自分の部屋にいるような気がしてくる。
――勝手知ったる自分の家――
 という言葉もあるが、まさしくその通りだろう。
 ただ、自分の部屋では午前中と午後とで生活を変えるようなことをしない。この店だからするのであって、それだけ憩いの場を求めているということだろう。
 その日も紅茶を注文したが、その日の気分がアップルティーだった。何よりも香りと味がマッチしていて、香りと味とをダブルで楽しめる感覚で、さらにスイーツとしてアップルパイを注文し、アップルずくしを味わっていたが、それはその日一日が一貫した何かを求めている証拠でもあった。
 いや、ひょっとすると、何か嫌な予感があったのかも知れない。何か嫌な予感がある時は、学生時代から、一日を通して、一貫した何かを求めるのが無意識の中にあった気がした。
 穂香は短大を出ていたのだが、短大時代に初めてスナックでアルバイトをした時、初めて感じたことだった。アルバイトだったのと、女子学生ということで、お店の男性客からはちやほやされることに、有頂天になっていた。まわりの女の子から嫉妬の目で見られなかったのは、やはりアルバイトだということがあったからだろう。
――まさか、こんな小娘に自分の客を取られることはないだろう――
 という思いがあっただろうし、穂香もちやほやされるだけで満足し、一人の客と仲良くなるところまでは考えていない。学生アルバイトでそこまでしてしまうと、自分では意識しなくとも、リスクのようなものを背負い込むことになるからだ。そんなことを望むはずもなく、他の女の子と張り合うなどと言う気持ちも毛頭ないものだった。
 その日の穂香は、「午後の紅茶」を楽しむ時間が一番の頂点だったのかも知れない。店に入ると、その日、店内が喧騒とした雰囲気になるなど、考えてもいなかった。一気に押し寄せる客にビックリしながら、ママから、
「うちは、時々こういうことがあるのよ」
 と、目を白黒させていた穂香の耳元でそっと囁いたのだった。
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次