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心中未遂

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――区切りのある生活が、自分の生きる世界を探す第一歩なんだわ――
 と、弥生は自分なりに考えていた。死ぬことばかりしか考えていなかった時期が、目の前に広がっている闇のように果てしなく感じられたのが、今は嘘のようである。まだ生きていくことに自信を持つことはできないが、闇の中に何かを見出すことができれば、アリの巣ほどの穴から、掘り出すことのできるものは、すべてこれからの自分が生きる糧になるのではないかと弥生なりに考えていた。ラウンジでの日課が欠かせないことを看護師さんには話をしていないが、彼女も理由が分からないまでも、弥生の顔を見ているうちに、杓子定規になって、
「消灯時間ですよ」
 と注意をすることはしなかったのだ。
 看護師公認での夜のひと時、一人での時間が、弥生にとって長いものなのかあっという間のものなのか、弥生本人も、ハッキリと自覚できるものではなかった。曖昧な意識なだけに弥生にとって神秘的で、自分を見つける材料としては格好の場所と時間ではないかと思えてならないのだった。
 入院も二週間を過ぎた頃のことであった。入院の予定をあと一週間を残したくらいになると、先が見えてくる。今までの時間を思い返す長さと、これから退院までの時間が、昨日くらいまでは半々だったが、今日になると一気に気持ちが変わってきて、退院間近の感覚になってきたのだ。
 ラウンジで過ごす時間もあとわずかだと思うようになると、急に退院するのが寂しくなってきた。
 ただの寂しさだけではなく、元いた世界に戻るのが、少し怖い気がする。いわゆるカルチャーショックなのだろうが、結局記憶の欠落に対して確固たる成果が見られたわけではない。
「記憶が戻らなくても、後は気長に戻るのを待てばいい」
 と先生には言われたが、曖昧な状態で戻る世界に不安を感じるのは、仕方がないことかも知れない。
 それよりも記憶がいきなり戻る方が怖い気がした。
 その一番の理由は、
「失った記憶が戻ったかわりに、ここ最近の忘れたくない記憶が飛んでしまいそうで、それが怖いんです」
 と先生に話してみたが、
「考えすぎでしょう」
 というだけで、詳しくそれ以上話をしてくれなかった。このあたりの精神的な葛藤は、精神科医であっても、本人のプライベートな感情として、深入りできないところであることを分かっているようだった。
 その日になって、やっと暗闇の向こうに少しずつではあるが、明かりが見えてきた。それはそこに暮らしている人がいるということを感じることができるものであり、暮らしている人の暖かさが伝わってくるものだ。
――人の存在を感じることで暖かさを味わうという思いを、ずっと忘れていたような気がする――
 その時に忘れていたという感情を思い出したのだ。
 忘れていたのは、出来事だけではなく、感覚も忘れていたのだということを思い出させてくれた瞬間が、その時だった。
 明かりが一つ、また一つ感じられるようになっていた。その日は五つまでは分かったが、それ以上は分からない。明日になれば、これが十個になっているかも知れないと感じたが、もう一つの危惧もあった。
――昨日見た光を、今日も見ることができるのだろうか?
 という思いである。
 遠近感も測れない暗闇の中で、見つけた光が昨日と同じ位置だったとハッキリ言えるだろうか。一つを見つけても、昨日見つけたはずのことを、忘れていってしまっているのであれば、記憶が戻ったと言えないのではないかと思うのだ。
 こんな理屈っぽい考えは、記憶を失う前までにはなかったことだ。どうしてこんな感覚になってしまったのか、自分でも分からない。医者に話しても、果たして納得の行く答えが得られるかどうか分からない。しばらくこの思いは自分の中に閉まっておくことにしようと思う弥生だった。
――だが、この思いも忘れていくのかも知れない――
 記憶の欠落部分に、肝心なことが含まれているのではないかという思いが最近は大いにある。暗闇を意識するようになったからなのかも知れない。
 弥生にとって、ここ最近で忘れてしまいたい記憶が存在したわけではないが、記憶が戻ってきているのは、忘れたくない記憶を作るための伏線のようなものではないかという思いが生まれてきた。今はなくとも、近い将来、入院中に見えてくるものであるように思えてならなかった。
 その日は、最初から予感めいたものがあった。今まで話をしてみたいと思っていた人と話ができるかも知れないと感じたのは、当たらずとも遠からじであった。その相手が理沙であり、理沙の方から話しかけてくれるなど、想像もしていなかった。
「夜の闇を見ていると、私は目を瞑ってみたくなるんですよ」
 弥生がハッとして、その声のする方を振り向いてみると、そこに立っていたのは果たして想像していた人であったことで、思わず胸の動悸が激しくなったことで、脈を打っているかのように指先の痺れを感じたのだった。
 後ろに非常灯が点いているだけで、真っ暗な部屋の入り口に立っているのが理沙であることは、シルエットと先ほどの声で分かった。いや、理沙の声を聞くのは初めてだったはずなのだが、今までに垣間見た顔から想像した声とそっくりだったことで、理沙以外の何者でもないことに気が付いていたのだ。
 理沙の表情をすぐに垣間見ることができなかったが、理沙の口調は、この部屋に誰もいないと思い、発した声なのではないだろうか。固唾を飲んでというよりも、あまりのビックリに声を出すことができない弥生だったが、緊迫した感情は、十分に相手に自分の存在を分からせるだけの効果はあるはずである。
 少し、その場所から動くことなく佇んでいた理沙だったが、歩き始めたかと思うと、窓のそばまで歩み出て、視線は表の暗闇を捉えている。その横顔は、真正面しか見えていない視線に、自分の存在を消すまでもなく、理沙のオーラに完全に支配された一体で、自分の身体から魂だけが抜け出して、違う世界から見つめているかのような感情になった弥生に対し、何ら感情を示すことなどないように思えたのだった。
 弥生はそれでも理沙の横顔を拝み続ける。胸の動悸が収まった後でも目線が釘付けになった自分が、まるで金縛りに遭ったかのようになってしまったことを意識せざるおえなくなってしまったのだ。
 理沙の視線の先にあるもの、それが何なのか、弥生は探りを入れてみた。それでも理沙は弥生に気付かない。
――理沙は必死に自分の過去を模索しようとしているのかな?
 前だけを見て、まわりを見てない様子は、模索を感じさせるが、そのわりに、切羽詰った印象はない。どちらかというと、虚空を見つめている様子で、必死さはまったく伝わってこない。
――これが理沙という女性の性格なのかしら?
 とも思えたが、理沙が入ってくる前の一人の時の自分も、他の人から見れば同じような感覚なのかも知れない。
 まさか、いつも一人だと思っているところに誰か他の人が佇んでいるということはないだろうが、それだとまるで夢遊病のようではないか。
 弥生は、以前夢遊病の人のことを聞いたことがあるが、夢遊病というのは、自分が普段気にしているところに行くものだという。
作品名:心中未遂 作家名:森本晃次