短編集19(過去作品)
自分が死ぬ夢
自分が死ぬ夢
私は以前から自分が芸術家肌だと思ってきた。あまり人に使われることが好きではないことに気付いたのは就職してからなのだが、自分の個性や感性を生かせることに誇りを持ちたいと常々考えていた。
特に文芸には造詣が深く、学生時代から文芸サークルに入部して活動をしていたが、それだけでは物足りず、自分でサークルを起こし、在籍していたところを飛び出したのだ。
そういう意味で私は思い立ったらすぐに行動するところがある。後先考えることなく行動するので、時々友達に注意されることもあったが、それがあまり大きなことにならなかったのも、運がよかったからだけではないと思っている。
――持って生まれた天性のものがあるのかも知れない――
そう思っているから思い切った行動にも出られるし、芸術家肌だと思えるのだろう。
しかし、だからといってギャンブラーではない。ここぞという時に勝負師になれないのも私の性格で、計算高いところがあるのだろう。特に金銭関係ともなるとシビアーで、いつも頭の中で計算している。
大学の時にはよく公募に応募したものだ。一度文学新人賞の佳作に選ばれたことで、さらに自分の感性を信じるに至った。それがちょうど三年前だっただろうか。就職してから仕事を覚えないといけないことから少し筆を絶っていたのだが、仕事も落ち着いてくると書きたくて仕方がなくなっていた。その感情は学生時代に感じたものとは少し違い、書きたくとも書けなかったストレスのようなものが爆発したのかも知れない。
数作仕上げていくつか投稿したのだが、もちろん筆を絶っていたこともあって作品にはあまり自信がなかった。自分でも読み返していきながら、以前との違いが分からないだけに、それほどいいところまでいけるとは思ってもいなかったのだ。学生時代は、それこそ一次選考を通過するのが目標というべきレベルだったが、それがいつの間に佳作入賞までできるようになったか一番不思議なのは、かくいう私なのかも知れない。
「いやぁ、君が佳作入賞するなど、信じられないよ」
学生時代のサークル仲間とは卒業して五年にもなるのに、よく交流を深めている。友達の間でも結構投稿を重ねているやつがいるが、彼はなかなか一次選考を通過することすらなかったようだ。まるで学生時代の自分を見ているようで、話が合っていた。
毒舌なところがあるやつで、それがそのまま文章に表れている。そのあたりが文章的に一次選考を通過しない理由ではないかと思っていた。一次選考というと、審査員の先生が読むのではなく、いわゆる「下読み専門」の方たちがいて、彼らが目を通すのである。そのため、下手にくせのある文章や過激な話題などは避けられるのかも知れない。だが、センセーショナルな話題性や、将来への可能性も含めたところで審査されるであろうから、マンネリ化したような作品はあまり評価されないかも知れない。きっとどこかに分岐点のようなものがあるのだろう。
私はその分岐点を通貨したのだろうか?
見えない点や線が存在するのであれば、それがどこなのか、見つけることが次へのさらなるステップアップに繋がるのだろう。
私は自分の感性を信じている。感性を信じるからこそ佳作とは言え入賞したのだ。投稿を重ねている仲間うちで私との違いは、きっと感性を信じるということが最大の違いではないだろうか。
感性を信じることへ自信を深めた私は、それ以後も作品を書き続けた。あれからすっかり作品を書く楽しさを覚えたこともあってか、どこへ行っても描写を忘れないようになった。メモ帳は作品のネタを思いついた時にいつでも思い出せるように持ち歩いているのは前からのことだが、今までに比べて格段に書く量が増えていた。半年くらいで一杯になってしまう。今までであれば二年近くはもっていたのに、それだけ思いついたことを書き留める癖がついたというか、目に見えることすべてが作品へと結びついてくるのだ。
――それに感性が加われば――
それが私の考えである。
感性、それは持って生まれたものだけではないような気がする。そこには経験や対人関係といった外部的要素が少なからず働いているようだ。学生時代にいくらがんばっても入賞できなかったのが、社会人になって入賞するのは、きっと経験からの感性がものを言ったのかも知れない。
よく考えたら、夢というのもそうである。
――潜在意識が見せるのが夢だ――
と思っている私は、いくら夢とは言え、何でもありだとは思わない。どうしても自分の常識で考えられる範囲でしかものを見ることができないのだ。空を飛ぶ夢しかり、なぜか夢であることを認識している私は、
――夢だから飛べるだろう――
と思っても無理なのだ。
夢を私は中学時代、よく見ることに気がついた。起きたら汗を掻いていて、なぜ掻いているのだろうと考えると、どうやら夢を見ているようなのだ。いつもであれば、起きた瞬間は何となくだが覚えている夢も、完全に芽が覚めてしまうのと同時に忘れてしまう。いや忘れてしまうというよりも記憶の奥に隠れてしまっているだけなのかも知れない。
――疲れているのだろうか?
言われてみれば、最近眠りにつくまでに思ったより時間が掛かっている。いざ深い眠りに就きそうだと思ったその時に身体がむず痒くなったり、鼻が詰まったような感覚になったりと、一回では眠りに就けることなどあまりない。それだけに深い眠りに就けそうな感覚というのがどんなものか分かるのかも知れない。
しかし夢を見ている時に、
――この夢は以前に見たことがある――
と感じ、そのために、それが夢であることを同時に悟るのだ。
怖い夢というのはそんなものではないだろうか?
その日の夢も怖いものだった。今までであれば、ハッキリと覚えていないものを、汗を掻くことで忘れなかったのかも知れない。今までも汗を掻くことはあったが、起きてからずっと引かない汗というのも珍しかった。それだけ目が覚めてもまだ夢の世界から脱却していない気がしていたのだ。
――叫び声を上げたような気がする――
これが最大の記憶だった。その叫び声で目を覚ましたのであって、今でも自分の叫び声が耳にこびり付いている。
今まで現実の世界でも叫び声など上げたことはない。怖いものを見たりすると上げるのかも知れないが、そこまで怖いものを見たという記憶はない。
――夢というのは潜在意識が見せるもの――
と日頃から考えていることを思い出したのは、完全に目が覚めてからだった。目が覚めても夢の内容を覚えていたからで、忘れてしまっていてはそんなことを感じることもなかったはずだ。
夢を見ていて感じるのは、最後まで見ることができないということだった。それが私にとっていい夢であっても悪い夢であっても、印象に深い夢であればあるほど、きっと最後まで見ることはないだろう。
それがいい夢だったら、
――ああ、もっと見ていたかったのに――
と、地団駄を踏むことだろうし、逆に悪い夢だったら、
――よかった、これはやっぱり夢だったんだ――
作品名:短編集19(過去作品) 作家名:森本晃次