短編集19(過去作品)
確かに図書館の雰囲気で、多少の余裕があるのは先ほどから感じていることだった。しかし一瞬にしてそれを見抜くとは、さすがこの雰囲気に慣れているだけのことはある。
そういえば、私も小説を書いてみたいと思う時期があった。それは文章自体を作りたいという気持ちではなく、本になった自分の作品を先に思い浮かべただけのことである。確かに本を読むのは好きではない。しかし本というものが嫌いだというわけではないところが矛盾しているようで、自分の理解できる範囲を超えていたのかも知れない。
もちろん、そんな中途半端な気持ちで書けるほど、小説というのは甘いものではない。かしこまればかしこまるほど意固地になっていく自分が分かり、緊張とはまた違った硬さが思考能力を鈍らせ、想像力の入り込む余地をなくしてしまう。
――そうか、女性的な気持ちになればよかったんだ――
今さらながらに感じることである。昔から私はどちらかというと女性的なところがあったような気がしていた。小学校の頃の虐めの原因も多少なりともそこにあったような気がしてならない。
「虐めなんて結局は些細なことから始まるものだよ」
中学に入り、当時私を虐めていたやつと仲良くなってから、自分への虐めの原因を聞いたことがあった。その時に笑いながら答えていたのを見て、一瞬「ふざけたやつだ」と思ったが、よくよく考えると、その言葉にこそ真実があるのかも知れない。
中学に入って虐めのターゲットは違うやつに移った。私は心の底で、
――よかった、これで虐められないで済む――
と感じた。今でもその時の思いを忘れないが、今となっては他人事のような気がしてくる。
私を虐めていたやつは、もう今の虐めに加わってはいない。
「もう、卒業さ」
と笑っていたが、その通りだろう。
「虐める方も、結構辛いものだぞ」
そんなこと言われても、虐められていた方に虐める側の気持ちが分かるはずもない。彼が笑っていたのも、そのことが分かっての苦笑いだったに違いない。
いつも虐められていては、なるべくジメジメした気持ちにならないようにと心掛けていた。しかし、そうもいかない。次第に卑屈になっていく自分が分かってくる。最初は虐めるやつと視線を合わさないようにしていただけなのが、そのうち、まわりの誰とも視線を逸らすようになる。
それも仕方のないことではあった。
――虐めに加わらない連中の私を見る目――
私には卑屈にしか見えない。ただ他人事を決め込んでいるだけならいいのだが、まるで汚いものを見るような目を露骨に感じるのだ。虐めている連中よりも、傍観している連中の方が、よほど罪深いのではないか、などと感じてもいた。
――そんな目で見ないでくれ――
心の中で何度叫んだことか……。
その目は明らかに、虐められている私が「男らしくない」ということを訴えているようだった。
――抵抗するのが「男らしい」のか?
心の中で叫ぶが、抵抗してもただ傍観している連中の目が変わるとは思えない。自分たちは安全な場所にいて、ただ傍観を決め込んでいるだけなのだ。
私が手にとって読んでいた本も、少なからず虐めに関した内容のものだったが、ジメジメしたところがあまり感じられない。私自身が虐めという感覚を忘れてしまったからかも知れないが、図書館で本を読んでいるという雰囲気に加え、実際におおらかな気分にさせてくれる本の内容でもあった。
主人公はアウトドアが好きで、それが心の拠りどころになっているのか、「大自然」が読む人を文章の世界に誘い入れてくれる。青い空、大きな山の緑、そして緑に囲まれた目の前に広がる大きな湖、そんな情景が目を瞑れば目の前に広がり、すぐそばに感じてしまうのは、さすがというべき文章術なのだと感動させられてしまう。
――さすがにこれだけのことを想像させられると心に余裕も出てくるというものだ――
本を読みながら、そんなことを考えていた。
しかし私にとっての図書館は、違ったイメージもあった。図書館だけに限ったことではなく、ゆっくりできて気持ちに余裕を持てると思っているところに共通していえることなのかも知れない。
――余裕が却って緊張を呼ぶ――
そういうこともあった。
試験前など、よく利用していたのだが、静かなところで勉強していると耳鳴りがしてくることがある。自分の中にある
――勉強しなければならない――
という使命感が余裕を持てるはずの空間を圧迫している。たぶんそのことを無意識に分かっているのだろう。自分で分かっていて無意識な分、それが耳鳴りのような現象となって私を襲う。緊張感があまり持続できる方ではないと思っているが、それでも迫ってくる試験は避けて通ることができないことから、それなりに勉強は進むのだった。
気分的には不思議なものがあった。余裕を持つべきところなのに、気がつけば余裕がなくなっている。自分にとって“神聖な場所”を冒涜しているのではないか、とまで思ってしまう。
最初は緊張が続いていても一旦解けてしまうと、後はあまり長続きしない。図書館の中をまるで放浪するかのごとく一周したりすることもあり、自分が分からなくなることさえあった。それでも勉強した内容が頭に入っている自分が不思議ではあった。
しかし、それがこと執筆となると、まったくだめだった。原稿用紙を広げて、腕を組んでマス目を睨みつけている。時折マス目が立体的に見えてくるくらいじっと見つめていることもあるくらいで、そんな時は時間の感覚が、まったくなくなっている。
――まだ五分しか経ってないや――
時間が執筆に関係あるわけではないが、まるで一時間以上いる感覚でいた時など、気がつけば薄っすらと額に汗を掻いていることもある。
以前はそんな汗など気がつかなかった。一度汗に気がつくと気になってしまい、汗が出ていれば、時間の感覚が麻痺しているのだと、逆に考えるようになった。
――きっとこの空間は、私の想像力を引き出す空間ではないのかも知れない――
と感じた。いや、それよりも想像力自体が欠如しているのではないかと思ってしまう。それから図書館には試験前以外で立ち寄ることはなくなっていた。
麻衣に本を渡した。
もう少し読んでみたいという気が無きにしもあらずだったが、仕方がないことだった。彼女の目を見ていると、
――今度はゆっくり読んでみよう――
と感じる。
本を読むにしろ、文章を書くにしろ、一気に進めないと続かないと思っている。自分の中で覚えていればまだしも、最近多感なせいもあってか、意外と覚えていなかったりする。それだけ色々なことに興味を持つ年頃なのかも知れない。
――女性に興味を持ち始めているのかも知れない――
そう感じるようになったのは、きっとその時が初めてだろう。
――人に自慢したくなるような女性――
彼女が欲しいと思ったことはなかったが、友達の中で、彼女とのデートを私との約束より優先させるやつがいる。
――なぜそこまで?
作品名:短編集19(過去作品) 作家名:森本晃次