短編集19(過去作品)
自分の性格についても考えることはあった。しかし、確実といえるほどの自信などあるわけもなく、漠然と考えているだけだった。ただ、あまり友達と一緒にいることよりも一人でいることの方が多いので、それを自然だと考えられる性格なのだと思っていたのである。
人見知りをするというわけではない。どちらかというと人と話をするのは嫌いな方ではないのだが、それよりも一人でいることの方が好きだった。
「あいつ、話をすると面白いのに、自分から避けるところがあるからな」
偶然自分の噂を聞いたことがあった。
最初は耳たぶが真っ赤になるくらいの憤りのようなものを感じたが、それもあっという間に冷めてしまい、逆に自分が一人でいるのを楽しんでいることが自分の性格なのだと再認識する結果となった。きっとその時に自分の頭の中に自然な形で植えつけられていったのだろう。
だからといって冷静沈着な性格だとは思えない。どちらかいうと、考え事をしていることが多いせいもあってか、普段は注意力散漫なところがあった。担任の先生からもそう思われていたようで、通知表の性格評価の項目には「注意力散漫」と赤文字で書かれていたこともしょっちゅうである。
気にしていないわけでもなかった。さすがに毎回同じ評価を受けていると、嫌でも思い込んでしまうからである。
――きっと短所なのだろう――
思いたくはないが、そう思わざるおえなかった。
友達と一緒にいたくない理由として、注意力散漫な性格が起因しているのだろう。一生懸命に覚えていようと思ったことでも、
「お前、この間の約束、忘れちまったのかよ」
と言われて、
「約束? なんだっけ?」
これではそれ以降の話が続くわけがない。それ以上続かない話の代わりに私には、
――無責任男――
としてのレッテルが貼られ、他の人たちにまでその話が行き渡る。
何と有難くないことだ。しかもそこには尾ひれがついて勝手に暴走を始める。どうにも仕方のないことだ。人と話したい話したくない如何に関わらず、相手から避けられるようになってしまった。
それが思い込みだと感じるのに何年掛かっただろう。
確かに私に対して不審を抱いていた人は多かったようだ。しかしそれも友達として許せる範疇だったのかもしれない。しかしその中でもかなりの割合で、嫌われる一歩手前だったのも事実なようだ。
自分の中で大きなトラウマと思っていたことが、実際は違ったと分かってからの私の肩の荷は完全に降りていた。
もし……という言葉が人生に存在したら、どうなっていたであろう?
私はよくそのことを考える。
SFっぽい話として頭に浮かべることがあるのだが、きっと人生にはいくつかの分岐点があり、そこをどちらに進むかによって変わってくるのだろう。
――もし、あの時――
と思ってしまうことが私にも何度かあった。その選択肢は二つとは限らない。三つだったり四つだったりもするだろう。
しかし選択肢が多いということが人生に影響を与えるとは思えない。
――選ぶべき最良の結果は、常に一つ――
という考えに基づくならば、選択肢は必ず二つだけに留まるのだ。
――選ぶべき最良の道、そして選んでしまった現実の道――
後の選択肢は私のその後の人生において、何ら影響を与えるものではない。
私の考え方の原点でもある。
自分のことを冷静沈着と思えるようになったのはいつからだったのだろう?
中学時代までは、冷静という言葉ほど似合わない男はいないと思っていたほどで、どちらかというと、まわりからそういう意識を植え付けられたようなものだった。
しかし冷静沈着という言葉は、その裏に「冷たい男」というイメージが伴っていることも分かっていたので、決して喜ばしいことではなかったのだ。
――冷たい男というイメージは嫌いではない――
開き直りというわけではないが、高校時代にはそう思っていた。もし中学時代に意識していたのなら完全に嫌いだっただろう。それだけ考え方が成長したのかも知れない。
学生時代はいつも学校が近いこともあって電車を使った通学というものをしたことがない。しかも少し都心部から離れたところに学校があることから、バス通学が多かった。
そのため、居眠りはおろか、座席に座ることさえままならない。しかもまわりは同じ学校の生徒ばかりで、貸し切りと化していたのだ。高校生の集団のテンションの高さがどれだけのものか、話をすることでストレス解消になる青春時代、漲るパワーが身体から溢れていた。
そんな状態で心地よい眠りなどありえるはずもない。まるでスシ詰め状態のバスの中、幸か不幸か、気がつけば学校に着いているという状況が続いていた。
――あまり皆に染まりたくない――
天の邪鬼ではないかと思えるほど私はまわりに染まることを嫌っていた。もちろん、通学時間もそうだったし、授業の合間の会話や挙動にしても、どうしても、冷めた目で見ている自分がいることに気付いていた。
――冷静沈着というより、天の邪鬼ではないか?
というのが本音だった。いいかげんな性格をしているくせに、変なところだけ堅物だと思い込んでいたからだ。
確かに私は正義感に溢れていた時があった。それは小学生の時が一番強かったかも知れない。よくイタズラをする友達を睨み付けていたようで、そのことに反感を持たれ、よくいじめられていた。睨み付けていたことが無意識だっただけに、自分でもなぜいじめられるのか分からなかったくらいだった。
「自分に優しく、他人に冷たい」
こんなレッテルを貼られた時期もあった。
確かに小学生の頃の正義感など、そんなものかも知れない。いくら正義感で動いているといったところで、小学生の頃の自分にとっての正義など、単純なものだったからである。まわりの環境が微妙に影響して、状況が刻一刻と変化していることに果たしてどこまで気がついていただろう。小学生にそんなことまで分かるはずがない。一途さが時には相手にとって酷なことが分からなかったのだ。
そのくせ自分の事情はまわりに話したくなる。それがいい訳と取られても仕方のない状況があったことは、成長すればするほど分かってくる。
「自分に優しく、他人に冷たい」
これは正義感に溢れていた私にとって屈辱的な言葉であったのだが、それすらまわりのただのやっかみによる皮肉だとしか思えなかったほどの天の邪鬼だったのかも知れない。
高校に入るとそんなこともなくなった。友人もできたし、変な正義感だと自分で理解することで、人間が丸くなったような気がしていた。しかし、それでもなぜか皆と同じ行動をとることだけは嫌だったのだ。
――これが本当の自分の性格なのかも知れない――
自分でも丸くなったと思う性格、それだけに、今まさに感じていることは、自分の本当の性格だと思って、これからもうまく付き合っていかなければならないことだと感じていた。
――冷静沈着といわれることも、まんざら嫌でもないな――
一人感じていた。好きな人ができるまでは……。
初恋というのは、実らないから初恋なのだという言葉を聞いたことがある。
私にとってその言葉は他人事としてしか聞いていなかった。
――実際自分に初恋など……
作品名:短編集19(過去作品) 作家名:森本晃次