小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集19(過去作品)

INDEX|12ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

 色の変化に気付くこともある。全体的に黄色掛かった色を感じている、それは黄昏の夕日を思わせ、公民館から聞こえる夕焼け小焼けのメロディを思い起こさせる。私の育った街では、夕方五時になると必ず、公民館からメロディが流れてきた。しかもそれぞれの公民館で少しずつ時間差があるようで、それが却って神秘性を感じさせた。
 夕焼けを見ると今でも思い出すが、夕焼けに寂しさを感じるのは、夕焼けを見ながらメロディを聞いたせいか、メロディを聞きながら夕焼けを見たせいか分からない。それはまるで「にわとりが先かたまごが先か」といった禅問答を繰り返しているようなものではないだろうか。
 鮮やかな色を感じていて急に褪せた色に変わってしまうと、普通はほとんどが色褪せて見えるはずだが、少し違っていた。赤い色だけが新鮮な原色に近い色に感じるのである。特に夕焼けの日など、間違いなく真っ赤に染まった太陽を見ることができる。それは血塗られた色のようで、気持ち悪さを伴うが、いつも立ち止まって視線が釘付けになってしまっている。
 真ん丸い月を見るとオオカミ男は変身するという。私は夕焼けに染まった天空を見ると自分の中にいるもう一人の自分が顔を出すのを感じた。小さい頃は一瞬だったのかも知れない。たまにボッとしていて、いつの間にか正気に戻っているという思いをしたことは何度もあった。
 そんな時、自分が死ぬ夢を見たりすることがあった。きっと、真っ赤な夕焼けに血糊を感じ、それが過剰反応を起こし、そんな夢を見せたのだろう。かなりリアルな夢だったこともしばしばだ。
 自分が処刑される夢がほとんどである。ということは、死ぬ瞬間の夢だけが、脳裏に残っていて、その前後の記憶はあまりない。そのためか、夢の記憶はいつも断片的で、却って夢であるのに、リアルさだけが残ってしまう。汗が乾いているのも、そんな気持ちがあるからだろうか。
 鬱病になる時に、予感めいたものがある。夢を見ていたのではないかと思うことがあるが、それはきっと処刑される夢なのかも知れない。処刑の瞬間に目が覚めるのであって、しかも覚えているのは、その瞬間だけ……。それだけに夢の内容が定かではない。
――なぜ処刑されなければならないのだろう――
 しかもそれがギロチンであったり、絞首刑であったりと、その時によってバラバラなのだ。きっと前世というものが存在し、そのどこかで処刑された記憶が潜在意識の中に残っているのだろう。そう思うことが一番自分を納得させるのだ。
 とにかく自分で納得したい。納得ができなければ、自分が自分でなくなってしまうような気がするのだ。自分を見つめなおすことが大切だと常々思っている私に、潜在意識を考えることは避けて通れない道なのかも知れない。
 もし前世というのが存在するとしたら、私はその前世のいつを生きているのだろう。今現在考えている自分は間違いなく、今の自分だと思っている。しかし前世の自分もどこかにいて、何かを考えながら過ごしているはずである。潜在意識の中だけの前世ということはありえないだろう。鬱状態の時の自分にはそれがわかるのかも知れない。だから、鬱状態への入り口で、決まって処刑される夢を見るのだ。
 鬱状態に陥った時の私は、やけに視線が気になってしまう。いつも誰かに見られているような気持ちがあるのだが、それはあまり嫌なものではない。気持ち悪いと感じる時もあるが、ないと却って気になる時もある。不思議な気持ちに陥るのだ。
 被害妄想というわけではない。鬱状態といっても被害妄想とただ単に人の視線が気になることの違いくらいは分かるもので、精神的に余裕があるのだ。しかし、紙一重のところもあるようで、気持ちに最初から余裕のあるものだと思っていないと、下手をすると被害妄想に陥ってしまうのも鬱状態の特徴でもある。
 そう鬱状態とはすべての面で普段の生活とは紙一重なのだ。それだけに鬱状態に入りかける時に前兆を感じることがある。見えない壁一つ隔てたところにある鬱状態、一歩足を踏み入れる時に分かっていながらどうしようもない自分が口惜しい。
 しかしそれとて、鬱状態がずっと続くものではないと思うから、まだ救いなのだろう。
――辛いことが、いつまで続くか分からない――
 これほどの恐怖があるだろうか。普段の生活をしている時は鬱状態の気持ちの想像がつかない。しかし鬱状態の時も普段の気持ちを思うことは困難なのだが、薄いガラスの見えない壁一枚向こう側に普通の生活があるという自覚だけはあるのだ。
 しかし、自分の世界に入ることの多い私は、比較的鬱状態が多いような気がする。躁状態の時は誰かれとも話しかけるくらいに人懐っこいが、一旦鬱状態に入ってしまうと、人の笑顔がすべて白々しく感じ、笑顔で接せられるとゾ〜っとして鳥肌が立ってしまうくらいである。
 こんな時に営業の仕事などしているとこれほど辛いことはない。ちょうど管理業務の仕事でよかったと思っている。事務所にいて、自分のペースでできる仕事だったことは不幸中の幸いかも知れない。
 しかし、いつも事務所で机に向かって仕事をしていると、時々時間の感覚が麻痺してきて何を考えているのか分からない時がある。それは普段に起こるもので、鬱状態の時は結構まわりを気にしているせいか、そんな感覚にはならない。気がつけば時間が過ぎていたというよりも、時間の経過があまりにも遅く、イライラしている方が印象深く残っている。
 そろそろ一時間経ったかな?
 と思って時計を見ると、まだ十五分くらいしか経過していなかったりする。一旦そんな気持ちを抱いてしまうと、余計に時間が気になるもので、五分置きくらいに時計を見ることになる。
 それでも一日が終わってしまうと、
――意外とあっという間だったような気がする――
 と感じることが多く、結局何もできなかった一日を無駄に過ごしていたような気がしてやりきれなくなることもあるのだ。
 どちらかというと時間に関しては几帳面な方である。規則的に並んでいるものには昔から造詣が深く、算数や数学が好きだった。公式を自分で考えたりして、楽しんだ小学生時代だったのだ。
 時間を考える時も月のように十二という数字を基準に考える時も、私は頭の中で時計を思い浮かべる。それは、頭の中で、時計を見て時間が分かるようになった時の感動を覚えているからだろう。よく弟に時刻を聞かれて教えてあげたものだ。そんな時に小さいながらも兄としての尊厳を感じていた。初めて他人に感じた優越感だったのかも知れない。
 そんな弟も、私が小学生の時に亡くなった。交通事故で一瞬の出来事だったらしい。弟が悪いというのではなく、無謀運転に巻き込まれたのだ。その時の両親の悲しみようは、ここでは言い表せないもので、表わすとすれば膨大な量になるだろう。
 いや、同じところをグルグル廻って考えが袋小路から抜けられないのかも知れない。楽しかった頃の思い出が走馬灯のように頭を巡り、また同じところの光景へと戻ってくる。もう二度と弟の顔を笑った顔を見ることができないと思うとさすがに悲しかったが、両親ほどの落ち込みはなかった。なぜなのだろう。
作品名:短編集19(過去作品) 作家名:森本晃次