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短編集19(過去作品)

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 そう言って大声で笑ったものだ。そういう時の笑いは豪快なものだった。自分の気持ちを分かってくれる数少ない友達は大切にしたいと思うものである。
 芸術家肌の私は、時々無性にアブノーマルな世界にあこがれることがある。かといって立ち入るのが怖いのもあり立ち入ることはないが、虐められたい虐めたいと思うことがあるのだ。
 それが芸術家肌だからかどうか分からないが、人から変わり者と言われるたびに、自分の奥底にあるアブノーマルな部分が弾けてきそうな気がして仕方がない。
 きっと心に秘めた思いを知らず知らずに封印していることで、誰も気付かない思いに私は気付いているのかも知れない。それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、自分に正直になるという思いを見つめれば、決して悪いことではないと思う。それが芸術家肌だと思う由縁なのだろう。
 人の心の奥に秘められた思い、自分にもあるはずの秘められた思い、それを引き出したいと思うようになっていた。秘められた思いだから、隠しておくべきものなのかも知れない。表に出す必要のないものであれば、別にそのままにしておいてもいいのだろうが、自分が芸術家肌だと気付いた時に、秘めたる気持ちの開放を自分が欲していることに気がついたのだ。
 では、その秘めたる思いとはなんだろう?
 小説を書く時に感じるようになったことであるが、とにかく感じたことを表現することの難しさが、まずそこに存在するのだ。小説を書けなかった時の最大の理由、それは表現の仕方が分からなかったことである。何をどう表現すれば一番分かりやすいかばかりを考えていて、結局筆が進まない。考えていることがあっても、表現一つで書ける書けないが決まってくるのだ。
――話せるんだから書けるはずだ――
 という結論を導き出すまでに、かなりの時間を要した。実に単純で分かりやすい結論なのだが、なかなかうまく行かない。元々人と話す時には、どちらかというと考えずに言葉が出てくる方だった。それだけにそれを文章にするということが恐ろしかったのかも知れない。
 人と話す時にあまり気を遣っていない。下手に気を遣って言葉が出てこない方が恐ろしいと感じているからだ。言葉とは大切なもので、相手に気持ちを伝える一番の方法である。それは人間だけに与えられた特権のようなものだ、言葉があるから相手について考え、それが言葉になる。それが会話となるのだが、そこには何ら違和感を感じない。しかし考えてみればこれほどエネルギーを消費することはなく、スリルも感じるのだろう。それをあまり感じることなくできる相手を絶えず求めている。それが人の人たるゆえんではないだろうか。
 感情について考えてみれば分かることだ。感情の起伏が激しく、顔に出ない人が一番厄介で、
――何を考えているのか分からない――
 というのが一番怖い。そこに会話がなければ、本当に相手の考えていることが見えてこないのだ。なるべくならかかわりたくない人間の一人である。自分ばかりが気を遣っているように感じられて、とても辛いだろう。学生時代まではそれでもよかった。近寄らなければそれでよかったのだが、こと仕事となるとそうもいかない。会話なくしてスムーズな仕事ができないからだ。そんな時に余計に自分が芸術家肌だと感じるのだ。
 最初はその状況から逃げているのだと感じた。きっと皆が最初に「逃げ」ということを感じるのだろうが、少し慣れてくると、自分が人の上に立つ人間でないことが分かってくる。相手に合わせることでその状況をのがれようとするからかも知れない。きっとどうでもよい相手なのだろう。人を使うということに喜びなど感じないだろうと思った。
 それがそのまま自分中心の考え方というわけではない。小説を書き始めて最初に感じたのは、自分を曝け出すことであった。考えていることを素直に書く。それを考え始めたのだ。
 元々書けなかった理由の一つに、言葉が続かないことだった。一つの描写に一つ二つくらいしか表現ができない。これでは文章が続くわけがない。人を表わすのでも、体格、年齢、仕草、口癖、服装、その他いろいろあるではないか。その表現を一つ一つ描くことができれば、自ずと文章が続いていく。
――言葉に出して表現してみる――
 きっと表で声を出して言えば、変わった人に見られるだろう。それでもよかった。私は敢えて声に出して話ながら原稿用紙を埋めていったものだ。描写をしていると他人の感情が見えてくる。隠しておきたいという気持ちが見える時がある。それは他人だから見えるのだ。自分の奥底に隠れた気持ちはなかなか自分でも分からないもの。なぜなら無意識に画しているからである。
 自分本位であって、ナルシストなところがあるにもかかわらず、人を求めている自分に気付く。それは自分に従順な女性であり、服従という言葉が似合う人を想像してしまう。
 それが男性でないのは、女性というものに対し、特別な思いがあるからだ。学生時代、特に女性というのを意識した時代があったが、それは思春期という一番感受性の強い磁気だったということもあるが、ただ、そばにいるだけでもいいという気持ちが強かった。しかしそれが間違いではないかということを気付かなかったため、余計なストレスになっていたのかも知れない。欲望を抑えきれないのも思春期にはありがちで、そばにいるだけでいいと感じることは、自分に残るはずのストレスへの「いいわけ」のようなものだった気がする。
 芸術家肌とはいえ、普段は人を支配したいという気持ちであったり、服従させたいという気持ちがないわけではないことを思い知らされた時、ジレンマに陥る。それが嵩じて、ひどい時には鬱病のようになるのだろう。
 普段は紳士のように装い、それでいて、淫らな気持ちは人一倍、それがストレスから来るものか、自分の持って生まれた性格なのか分からない。
 いや、普段は本当に紳士なのである。淫らな気持ちなど起こるはずないと思っている紳士なのである。実際に自分の中にもう一人の自分がいるようで、そのことに気付いたのは本当に最近のことだった。昔読んだ本の中で、人間は自分の才能の十パーセントしか使い切っていないというものがあったが、性格にしてもそうなのだろう。まったく違う人格が自分の中に潜んでいるとしてもそれは不思議のないことで、自分も気付かないところでそれが顔を出している人も少なくないだろう。
 私は鬱病に陥った時にそれを感じる。
――いったい、どっちが本当の私なのだろう――
 震える手足は、じっとりと汗を掻いているのを感じる。熱っぽい時にも感じるのだが、背中に汗を感じるのだが、感じているほど汗を掻いていない。握りしめている手の平もきっと汗でベトベトになっているのではないかと感じるのだが、それほど汗を掻いているわけではない。
――それほど身体が熱を持っているのだろうか?
 掻いた汗を瞬時にして蒸発させるだけの体温を蓄積していると考えれば辻褄が合う。熱っぽいと感じるからだろうか、もうろうとする意識の中で、眠たいのに目蒸れないなどの夢と現実を彷徨っているような感覚に陥ることもしばしばだ。
作品名:短編集19(過去作品) 作家名:森本晃次