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鏡の中に見えるもの

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 夢の中で金縛りに遭っていたという記憶は、今までに何度かあったが、今回とは少し違っている。誰かに見つめられて金縛りに遭っていたという記憶は初めてだったからだ。落合を見ていると昨日の自分の様子を思い出せるような気がして、じっと落合を見ていた。実際に見つめられている女性は、見つめられていることを分かっていながら、気にしていないようだが、そんな様子のどこに落合に金縛りを掛ける力があるというのだろう?
 久志は他人が金縛りに遭っているのを見るのは初めてだった。自分が金縛りに遭ったことは何度かあったが、いつも誰も見ていないところで金縛りに遭っていた。
――金縛りに遭うというのは、誰にも見られない状態でしかありえないことなのかも知れない――
 と感じていたのも事実で、金縛りの話は落合を含めて誰ともしたことはなかった。
 きっと、この時の様子も、落合と話すことはないだろう。もちろん、落合は自分が金縛りに遭っていることは分かっているはずだ。落合という男の性格からして、自分が何もできないところを他人に見られていたら、そのことを話題にするなどありえないことだからである。
 落合という男のことは誰よりも分かっているつもりだったが、この時の金縛りを見てしまうと、
――本当にそうなのだろうか?
 と思えてくる。
 自分の慢心なのか、それとも自信過剰なのか、どちらにしても、落合に対して感じることとしては、あまりいいことではないように思える。そして、落合を金縛りにした目の前の女性の存在も、久志にとっては無視できない相手になるであろうと思えた。今後の展開はまったく読めないが、この時、別に新しい特別な共有空間が生まれたような気がしてならなかった。
 三すくみの話を思い浮かべた久志だったが、じゃんけんであっても、ヘビとカエルとナメクジであっても、どこから始まっても、結論が出ることはない。自然界の摂理と言ってしまえばそれまでなのだろうが、
――タマゴが先か、ニワトリが先か――
 という話にも繋がってきて、久志の頭の中に、パラドックスという文字がちらついてくるのを感じた。
――ということは、彼女は、俺には弱いということか?
 と勝手な想像が頭をめぐる。
 しかし、一度感じてしまうと、その思いを断ち切るのは難しい。それは金縛りに遭っている落合も同じであろうし、目の前の女性にも言えることではないだろうか。
 よく見ていると、彼女は落合を意識しているわけではない。落合が金縛りに遭っているのでそう思っていたのだが、彼女の意識は落合というよりも、むしろ久志に向けられているようだ。
 久志は彼女の視線を浴びても、落合のように金縛りに遭ったりはしない。どちらかというと、久志にとって意識させるような気配を感じさせない相手に思えてくるのだ。
 久志が彼女の視線に気が付くと、今まで金縛りに遭っていた落合が解放された。身体を動かすことができるようになったようで、手足を動かしてみて、動くかどうか確認しているようだ。
 そんな落合を横目に見ながら、久志は彼女の視線を敢えて浴びていた。落合がかかったような金縛りを感じることはない。別に熱い視線を感じるわけではなかったからだ。
 しばし三人の間に共有していた空間に歪が生じた。歪を引き起こしたのは、久志のようだったが、彼女は相変わらず気配を感じさせないように、久志を見つめている。この場で様子が変わったのは落合だけで、その落合も。落ち着いてくるにしたがって、
「何が起こったんだろう?」
 と言わんばかりにきょとんとしていた。
――こんな落合は初めて見たな――
 自分にないものを持っている落合を、絶えず尊敬していた久志は、自分が落合を見る視線が他の人と違っていることは意識していた。その時も、尊敬している気持ちに変わりはないはずなのに、他の人に見せる視線と、あまり変わらない気がしていた。それを感じた時、少しの間自己嫌悪に陥った久志だったが、いつ自分も落合と同じような状況に陥るか分からないと思うと、自己嫌悪に陥る必要はないと感じた。
――それも近い将来――
 そう感じると、その時の落合の様子を、記憶しておかなければいけないと思うようになった。完全に記憶できるわけはないが、何かの拍子に思い出すと、記憶の奥から湧き出してくる意識は今の状態に限りなく近いことを感じていた。
 そこまで感じていると、彼女の方からこちらに近づいてくるのを感じた。落合は、すでに金縛りから完全に解放されていて、別に変わった様子はなかった。
「あなた、私の夢に出てきた人に似ているわ」
 そう言って、見つめた相手は久志だった。
「君はその夢を覚えているの?」
「ええ、半分は忘れているんだけど、半分だけでも覚えているだけ、すごいと思うの」
「でも、よく半分だって分かったね。ひょっとしたら、それがすべてかも知れないのに」
「目が覚める瞬間を覚えているからですね」
 久志は、その言葉を聞いて納得した。
 その話を聞いていて、落合は黙って頷いている。時々目を瞑っては瞑想にふけっているようだが、そのことに、久志は気づいていなかった。
 二人の話はそれほど時間が掛かったものではなかったが、落合には結構時間経っているように思えてならなかった。もし、他にその場に人がいたとしても、この時間を長く感じたのは落合だけだっただろう。落合は、二人の会話を、自分なりの世界に入り込んで見ていたのだ。
 落合は、美咲を見つめていた。美咲はその視線を意識はしていないようだったが、分からないはずはない。それなのに意識していないように振舞えるのは、よほど落ち着いているからなのか、それとも、同じような状況を今までにも何度も切り抜けてくることができたからではないだろうか。もし、後者だとすれば、人の視線を絶えず浴びているということになるが、少なくともこの場で二人は、美咲に対してそこまでの意識はない。それだけ美咲のまわりには、同じような人が群がっているということで、久志も落合も、そのグループには含まれないだろう。
――どっちが、普通なんだろうか?
 この思いは、当事者の誰も感じていないはずだった。
 当事者三人には、「普通」という概念がない。しいて言えば、自分と同じ考えの人が他の人が考える「普通」なのではないだろうか。何が普通なのか、ノーマル、アブノーマルという感覚でいえば、久志も落合も、自分も含めてお互いに、アブノーマルだと思っている。他の人には話せないような話を二人だけでする時点で、すでにノーマルではないと言えよう。
 落合の視線に、美咲は気づいている。気づいていながら気づかないようにしているのは、落ち着いているからでも、今までに同じような経験を重ねてきたからでもない。落ち着いているという方が近いのかも知れないが、美咲は自分の世界を作ることで、他人の視線を浴びても、意識しないように相手に見せる態度が取れるようになった。
 ただ、それは本人が望んでできるようになったわけではなく、むしろ、相手に気づかれたいくらいであった。無意識とはいえ、相手の視線を無視することは、相手に対して失礼だという思いはある。
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次