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鏡の中に見えるもの

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「そうなんだ。今度の夢も、もし他の人も同じような夢を見ていたとしても、絶対に他の人の見る夢とは違っていると思うんだ」
「その根拠は?」
 落合は、興味深く覗き込むように下から見上げるような視線を久志に送っていた。
「夢の中に出てきた女性の名前を憶えているんだよ」
 落合は訝しそうな表情をして、
「それは、夢の中で女が口にしたということかい?」
「それがそうではないようなんだ。彼女が口を開いた記憶もなければ、声を覚えているわけでもない。だから、今でもどうして名前を憶えているのか自分でも分からない」
「それは何という名前だったんだ?」
「山岸亜衣という名前なんだ。亜衣の亜は、亜熱帯の亜、衣はころもという字なんだけどね」
「漢字まで分かっているんだな?」
「そうなんだ。だから、直接口で聞いたというわけでもない」
「ちなみに、君はその名前の女性に心当たりはないのかい?」
「それがないんだ。ひょっとすると似ている人が意識の中にあって、その人と夢の中でかぶってしまったんじゃないかって思ったんだけど、いくら思い出しても、山岸亜衣という名前は記憶の中にないんだ」
「俺もさっき、同じような夢を見たことがあったって言っただろう?」
「ああ」
「俺の場合は、その時の女性の名前はまったく分からない。お前とは夢の種類が違っているのかも知れないな」
 という落合の言葉を聞いた時、久志はホッとした。やはり自分の見た夢は異色のもので、いくら似ている夢だとはいえ、絶対に近づくことのない結界が目の前に広がっていることを確信した。
 落合は続けた。
「でも、夢に出てきた女性は、間違いなく俺に似た女性だって思うんだ。男性と女性の違いこそあれ、俺はその夢に出てきた女性が自分の分身のような気がして仕方がなかったんだ」
「それは、俺も同じだ。だけど、分身というところまではないんだ。きっと、相手の名前を聞いたからかも知れないな」
 落合との夢の決定的な違いは、相手の女性を自分の分身と思えるか思えないかということだった。落合は分身のように思っているようだが、久志は名前を憶えていることで、その人が決して自分の分身ではありえないという意識を持ったのだ。
 そのことはある意味、久志を安心させた。
 自分がストイックであると思いながらも、その思いは淫靡でありたくないという思いを感じたくないという思いから、必要以上に、ストイックであり、孤独を愛する人間だと思い込みたいという意識が強いのであれば、それは自分の理想とは程遠い性格であることは明らかである。
 落合と話をしながら、どこか迷走している気がしていた久志は、自分が今どこにいるのかを必死に模索していたのだろう。そのことを、落合が分かっているかどうか、久志には疑問だった。
「ところで、その女性のどんなところが淫靡だって思うんだ?」
「俺の妄想していることを、すべて知り尽くしていて、妄想通りに行動してくれるところかな?」
「それは夢なんだから、当然のことなんじゃないのか?」
 落合のいう通りなのだが、久志には納得のいかないところがあった。
「確かにそうなんだけど、それはあくまでも性的な行為だけのことで、会話や普通の態度に関しては、まったく想像がつかないんだ」
「会話したのか?」
「覚えていないんだが、会話もしたようなんだ。そして、彼女は俺の意見とは違った考えを持っているようだった。でも、俺は正直ホッとしたんだ」
「俺もお前の立場だったら、ホッとしたと思う名。何から何まで一緒だったら、本当にもう一人の自分の存在を肯定しているようで恐ろしいからな」
 落合も、もう一人の自分の存在について恐怖を感じている。そのことを分かったうえで、二人はいつも会話をしていた。
 ただ、もう一人の自分の存在を信じていると言っても、まったく同じように考えているわけではない。
「俺は、夢の中だけにしか、もう一人の自分の存在はありえないと思っているんだ」
 というのは、久志の考えで、
「そこが違うんだ。俺はもう一人の自分は同じ世界にいてこその、もう一人の自分だって思うんだ。そのうえで、もう一人の自分の存在を信じているんだから、きっとどこかにいるはずなんだ」
「じゃあ、いつか会うことになるということなのかい?」
「いや、それはないと思うんだ。同じ人間が同じ世界に存在するということはパラドックスの考え方からもありえないだろう? だから、俺はもう一人の自分の存在は信じていても、会うことはないと思っているんだ」
 さすがにここまで来ると、久志も落合の考えについていけないと思っている。
 確かにこの世で落合の考えに一番近い人間がいるとすれば自分だと思っているが、結界が存在することも事実であり、決して入り込むことのできない世界をそれぞれに意識している。親友と呼べるのは、そんな相手ではないかと思うようになっていた。
 人間なんて、しょせんは孤独なもの。親友と言っても、本当に困った時に助けてくれる人間なんていやしない。その思いは二人とも持っていて、それなら考えがお互いに分かり合える相手を親友と呼ぶふさわしいと思うようになっていた。
 落合には話そうかどうしようか迷っているが、夢の中に出てきた山岸亜衣という女、どこか落合に似たところがあった。覚えていない話の中に、共鳴できるところがあったからなのだろうが、だからこそ、覚えていないんじゃないかとも思えるのだった。
 久志と落合は呑みながら冷静に話をしているようにまわりから見えているかも知れないが、実際には、まわりが見えているわけではない。自分たちの話に入り込み、まわりに何かがあっても、気が付かないことがあるくらいだった。きっと、二人は相手と話をしているというよりも、相手に話しかけながら、心の中の自分にも話しているのかも知れない。
 言い聞かせているというよりも、心の中の声に耳を傾けていると言った方がいいのか。返事がないのを分かっていながらも、心の中の声に、絶えず耳を傾けているのだった。その思いは久志よりも落合の方が強かったが、久志自身は、自分の方が強いと思っているようだ。
 久志と落合は気づいていなかったが、話に夢中になっているうちに、いつの間にか、もう一人客が増えていた。ほとんど気配を表に出さない人だったので、それも無理のないことだった。
 その人は女性で、マスターはもちろん、その女性が入ってきたことは分かっていたのだが、二人の会話を邪魔しないように、声を立てることはしなかった。
 シーンと静まり返った店の中で、二人は会話に熱中していたが、会話が白熱してきても、二人の声が店内に響くということはなかった。バーというところは、あまり店の特性上、声が響きわたるような仕掛けにはなっていない。それでもさらに声が通っていないのは、二人の声質が、元々響くようなものではないということであろう。
 確かに声は重低音であり、重みを感じさせた。人によっては、耳に響く声なのだろうが、バーではちょうどいいくらいだろう。その女性は話を聞いていないようで、聞き耳を立てていた。彼女にとって興味のある話だったのだろうか?
 二人の話が、また久志の夢の話に戻ってきた。
「その女性と、ひょっとするとまた会えるかも知れないな」
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次