小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

鏡の中に見えるもの

INDEX|34ページ/35ページ|

次のページ前のページ
 

 と比較されたこと、そして相手と同じであることにショックが強かった。目の前にいて実際に抱かれている自分の方が有利なはずなのに、負けてしまっているような感覚におそわれたのは不思議だった。
 しかし、それも分からなくもない。目の前にいる自分が変動的だ。今が最高潮であれば、それ以上はない。あるのはそれ以下だけだ。最高潮の状態で他の女を想像しているのだ。想像している女に変化はない。それ以上でもそれ以下でもない。つまりそれ以下に美咲がなった時点で「負け」なのである。これほどプレッシャーのかかる経験は初めてだった。
 亜衣という名前が山岸亜衣に結びつくまでには少し時間が掛かった。
 課長の愛撫に身を任せているうちに、次第に意識が薄れてきた美咲は、自分の中の最高潮が近づいているのを感じた。
「もうだめ」
 と思った瞬間、大きく息を吸い込んだ美咲は、そこに鉄分を含んだ嫌な臭いを感じた。
――何、この臭い――
 目の前のコンクリートがどす黒く濡れていた。
 どんどん溢れてくるドロドロしたどす黒い液体、その先には一人の女性が倒れている。その向こうで、車がガードレールに激突して煙を上げているのが見えた。美咲は自分が小学生だという自覚があったが、目の前で繰り広げられているのが交通事故であることは一目瞭然だった。
――一体、どうしたの?
 最初は状況が掴めず、ただ佇んでいるだけだったが、冷静に考えると、目の前に一人の女の子が倒れているのは、車に轢かれたからだった。そしてガードレールにぶつかっているのは、子供を轢いて車、避けたつもりで、そのままガードレールにぶつかったのだろう。それを見ただけでかなりのスピードだったことが見て取れる。
――死んじゃったのかしら?
 と恐る恐る見てみると、微妙に動いていた。
「ううう……」
 蚊の鳴くような声だったが、腹の奥まで響いてきそうなその声に恐怖以外の何も感じることができなかった。
 本当であれば、
「大丈夫」
 と声を掛けるべきなのだろうが、美咲はすぐにその場から逃げ出すことを考えた。
――一時だととも、この場にいたくない――
 という思いがあるのに、足が竦んで動かない。それでも身体は逃げの態勢に入っているのだが、顔だけは、彼女の頭を見ていてそこから離れない。
 すると彼女は顔を挙げた。その顔は血まみれになっていて、まさに断末魔だった。まるでお化け屋敷の幽霊のようなその雰囲気は、お化け屋敷の非ではない、何しろ本物の断末魔なのだからである。
「た・す・け・て」
 声にならない声でそう叫んでいるのが、唇の動きから見て取れた。
 すでに逃げの態勢に入っている美咲に、いまさらそんな表情をされても、どうしようもない。最後の力を振り絞って、
「断末魔の叫び」
 を演じた彼女は力尽き、またしても顔からコンクリートに落ちていった。
 美咲は金縛りから解放されたかのように、一目散で逃げ出した。
 一体どこをどう通ったのだろう? 気が付けば家に帰っていた。服についているはずのない血が滲んでいるようで、すぐに部屋着に着替えると、洗濯機に着ていたものを放り込む。そのままシャワーを浴びたのだが、美咲は課長とホテルに入り、最初に浴びたシャワーの時間に、この時の恐怖に満ちた時間を思い出した。そして、恐怖が屈辱に変わった時、美咲は課長に抱かれることを抱かれている間に後悔するのではないかと感じた。
 最初は抱かれること自体に後悔すると思ったが、課長の口から出てきた、
「亜衣」
 という名前を聞いた時、
――このことだったのか?
 と、自分が後悔することをどうして感じたのか、思い知った気がした。
 亜衣という名前をすぐには思い出せなかったのは、思い出してしまうと、あの時の断末魔の表情や逃げ出してしまったという罪悪感にまたしても苛まれると分かったからだ。
 子供の頃に、美咲が亜衣を見殺しにしたことは誰も知らない。しかし、
「もうちょっと発見が早ければ、死なずに済んだのに」
 と、何も知らない他の人の噂を聞いてしまったことで、亜衣の中で永遠のトラウマになった。
――何も私に聞こえるように言わなくてもいいのに――
 と、余計なことをいう大人が嫌いになったのは、その時が最初だった。
 美咲の中の記憶が欠落している部分というのは、きっと亜衣のことではないだろうか?
 亜衣とは別に親友だったというわけではないが、一時期だけ親密になったことがあった。その時の亜衣は、
「私、生まれ変わったらどんな人間になるかって、いつも考えているのよ」
 と言っていた。
 小学生の女の子が、そんなことを考えていたことが意外だったということも気になったが、
「どうして生まれ変わったらまた人間になれると思うの?」
 ということの方が気になった。
「どうしてって、人間に生まれてきたら、その前世は人間で、また生まれ変われるとすれば、今度はまた人間なんじゃないかしら?」
 美咲には、亜衣が単純にしか考えていないようにしか思えてならなかった。もっとも小学生の頃の発想で、生まれ変わりを考えるなどということの方が大それたことであり、子供らしくないと言われても仕方がないような気がした。
「今から生まれ変わりに思いを馳せていたら、本当に死んじゃうかも知れないじゃない」
 と美咲がいうと、
「そうね。でも、私は生まれ変わった自分を想像できない方が、死を迎えるのが早い気がするの。生まれ変わった自分を今のうちから感じておかないと、大人になればなるほど、そんな思いはなくなってくると思うのよ」
「だからどうして、生まれ変わった自分を想像する必要があるの? 今という時間を大切にすればそれでいいんじゃないの?」
「じゃあ、美咲ちゃんは今という時間を大切にできていると思う? 漠然と生きているだけだったりしない?」
「そんなことはないわ。将来の夢とか考えたりするもん」
 どこまで将来の夢を考えていたのかは子供の頃の記憶なので覚えていないが、ただ、その時は半分、売り言葉に買い言葉だったような気がする。
「将来の夢を考えるのも、生まれ変わった自分を想像してみるのも、どこに違いがあるというのかしら? どっちにしても将来のことだと思うんだけど」
 屁理屈だと思ってみても、確かに亜衣のいう通りだった。
 さすがにこれ以上話していては自分が不利だと思った美咲は、他に話題を振った。亜衣の方も相手に後ろを見せてしまった美咲に追い打ちをかけるかと思ったが、それ以上この話に言及することはなかった。そして、二度と亜衣とは生まれ変わりの話をすることはなかったのだ。
 美咲が亜衣とのことを記憶の奥に封印してしまったのは、事故を目の前で見て、美咲を見殺しにしてしまったというよりも。二度と生まれ変わりの話をできなくなってしまったことへの後悔があったからかも知れない。
――もっと深く話をしてみたかった――
 美咲は、亜衣とはどこまで行っても意見が合うとは思っていない。しかし、激論を戦わせることで見えてくるものがあったはずだと思っている。
 最近になって美咲は、
――自分の中にもう一人いる――
 という意識が強くなっていた。
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次